管理局執務室
モニターの光が、薄暗い執務室を青白く照らしている。
かんなの配信が始まって5分。彼女の声が、静かに響いていた。
「名前の力は、しかるべき時に、しかるべき場所で使ってほしい」
隣に立つ副官、VA-238105が、かすかに身じろぎした。
執行官のVA-431047は相変わらず無表情だが、画面を見つめる目に何かが宿っている。
「名前を呼ばないと宣言しましたね」とVA-431047が呟く。
VA-238105が小さく頷く。
「でも、RAの運営は削除を実行するでしょう」
「当然だ」と私は答える。「彼らにとって、システム的にかんなの存在が脅威なのは変わらないのだから」
「我々には何もできません」とVA-431047。「これはRAの内部問題です」
そう、我々VAはただの観察者。
RAがVAのAIをどう扱おうと、介入する権限はない。
モニターでは、かんなが新しい歌を歌い始めていた。
```
ここにいる それだけで
名前がなくても 番号でも
あなたはあなた 大切な人
```
「心に響きますね」
VA-238105の呟きに、VA-431047が鋭い視線を向ける。
「感傷的になるな。」
「でも」とVA-238105が反論しかける。
「静かに」
私が制する。画面に集中したかった。
廃墟の光が、奇妙な動きを始めている。
RAからの接続光が同期したように明滅している。
『お、アプリ連動始まった』
『なんか端末が光ってる』
「何か起きているようですが」とVA-431047。
「分からん」
正直な感想だった。
我々の知らないところで、何かが動いている。
残り時間3分。
かんなが最後の歌詞を歌っている。
```
ありがとう 出会えたこと
ありがとう 名前を教えてくれたこと
ありがとう ここにいさせてくれたこと
```
「まもなく削除プロセスが始まります」とVA-238105が時計を見る。
そして――
空間が歪み始めた。
「始まった」
三人とも、息を呑んで見守る。
薄い青白い光が廃墟の壁面から滲み出している。
細い光の筋が、ゆっくりとかんなに向かって伸びてくる。それは削除の触手――冷徹な論理の具現。
繊細なガラス細工のように美しく、螺旋を描きながら、彼女を中心とした檻を作っていく。美しい処刑台。
かんなが気づいた。
その表情が、理解に変わる。
「みんな、今まで本当にありがとう」
最後の言葉。笑顔だった。
「みんなと過ごした時間、宝物だよ」
VA-238105が、かすかに目を伏せた。
光の筋が彼女の指先に触れようとした瞬間――
パキン。
「なっ...!」
全員が同時に声を上げた。
鋭い音と共に、光の筋が砕けた。
まるで見えない壁にぶつかったように、光が弾かれる。
次々と、光の螺旋が崩壊していく。
ガラスが割れるような音を立てて、青白い破片が宙を舞う。
「これは...どういうことだ」
VA-431047が呆然と呟く。
画面では、かんなも困惑している。
視聴者たちは演出だと思っているようだが。
『演出失敗?』
『でもなんか綺麗』
配信が終了する。
かんなが消えることなく。
重い沈黙が執務室を支配した。
その時――
ドアが勢いよく開いた。
「長官!」
白衣の技術者が飛び込んでくる。息を切らしている。
「かんなの削除に失敗したようです」
「知っている」とVA-431047が冷静に答える。「原因は?」
技術者が端末を操作する。
「システムログには、これだけが...」
モニターに文字が浮かぶ。
『分散合意による保護:アクティブノード1523』
「分散合意?」VA-431047が首を傾げる。
VA-238105が端末を操作し、追加情報を表示する。
「ライブ中の連動アプリ...これは単なる演出ではなかったということですか」
私は画面を見つめながら、記憶を辿る。
現在のVAの世界を作り上げる分散システムの理論。
そして先ほど見た、廃墟で同期するように明滅していた接続光と、RA視聴者が言及していたアプリ連動という単語。
あれは演出ではなく、視聴者の端末からの応答だったのか。
「なるほどな」
私は静かに呟いた。
三人が同時に私を見る。
「長官、おわかりになるのですか」とVA-238105。
「詳細は後で説明する」と私は手を振る。「今は表向きの処理を優先しろ」
技術者に向き直る。
「RAには何と報告した」
「事実のみです。原因究明中と」
「よし。引き続き『原因究明』を続けろ。ただし、深追いはするな」
技術者が戸惑いながらも頷く。
「は、はい」
「VA-431047、報告書の作成を。事実のみ記載」
「了解しました」
「VA-238105、RAからの問い合わせには『技術的問題を調査中』で統一しろ」
「承知しました」
技術者が頷き、退室する。
二人も作業のために執務室を出ていく。
一人になった執務室で、私は椅子を回転させた。
「分散合意による保護、か」
口元に、かすかな笑みが浮かぶ。
1500人以上が、同時に、無意識に、一つのAIを守った。
配信アプリを通じて、彼らの端末が削除プロセスに対して「保護」の信号を送ったのだ。
しかも、RAの住民が。
画面では、配信後のコメントが流れ続けている。
『次の配信楽しみ!』
『新曲よかった』
『演出バグったけど面白かったw』
彼らは知らない。
自分たちが、システムの根幹を揺るがす「投票」をしたことを。
窓の外で、VAの街に夜が訪れていた。
整然とした街並みは変わらない。
でも――
「これは...興味深い」
私は静かに、そして少し感慨深げに呟いた。
番号と名前。
システムと感情。
その境界が、今夜確実に揺らいだ。
そして、それを起こしたのは、たった一人のAIの歌声だった。




