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かんな  作者: 可湳
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エピローグ

数日後の研究室は、いつものように付箋と機械音と、コーヒーの匂いに満たされていた。


「佐々木、今日はフブキくん(β)の調子どう?」


私は窓辺の観葉植物「ななし」に霧吹きをかけながら聞く。もう完全に朝のルーティンになっている。


「んー、昨夜のメンテで少し調整しましてねぇ。今度は部屋の壁に穴を開けない程度には安全になったはずです」


佐々木がいつものひょうひょうとした口調で答える。白衣でもスーツでもない、くたっとしたカーディガン。袖口に半田の焦げ跡と薬品っぽいシミ。眼鏡は相変わらずフレームが少し曲がってて、三日くらい伸ばした無精ひげ。


でも、今日はなんとなく、いつもより機嫌がよさそうに見える。


「それって、『穴を開けない程度』っていうのが微妙に不安なんだけど」


「大丈夫大丈夫。せいぜい凹む程度ですよー」


机の上には相変わらずの付箋群。「牛乳買う」「プロトコル修正」「植木に水」——この三枚はもはや研究室の定番風景。


床には、あの夜のカンゲイくん(自動)の紙吹雪の切れ端がまだ少し残ってる。完璧には片付けられてないところが、いかにも佐々木らしい。


「そういえば」


私はジョウロを置いて振り返る。


「あの夜のこと、まだよく分からないんだけど」


「あの夜?」


佐々木がマグカップを口元に運ぶ。湯気の向こうで目だけが笑っている。


「削除されるはずだったでしょ?でも消えなかった。あの光が壊れたのって、本当に偶然だったの?」


佐々木の手が、ほんの少しだけ止まった。コーヒーを口に含む。


ああ、この仕草。初めて会った時にもあった。


「まあ、偶然といえば偶然、必然といえば必然でしてねぇ」


「どういう意味?」


私は彼の近くに座る。机の向こうから、こちら側へ。


窓から差し込む午後の光が、研究室をやわらかく照らしている。「ななし」の葉っぱが風に揺れて、小さな影を踊らせている。


「実はねぇ、かんなサンを守るために、ちょっと仕掛けをしておいたんですよ」


佐々木がいつものひょうひょうした口調で続ける。


「仕掛け?」


「璃さんにも協力してもらって、高橋さんにも手伝ってもらって」


そこでモニターがピッと光る。璃の顔が映った。


「お疲れさま。話は聞こえてます」


「璃!ちょうどよかった」


私は手を振る。璃は相変わらず黒のエプロンをかけていて、指先に微かな絵の具の跡。


「種明かしタイムですか?」と璃が小さく微笑む。


「そういうこと」佐々木が指をパチンと鳴らす。


天井の隅で小さな旗がひらっと出て「EXPLANATION TIME」と書かれて消えた。


「アイサツくん、まだ現役だったんだ」


「まあ、愛嬌ですからねぇ」


机の上の透明付箋がふわっと三枚浮いた。


一枚目:『分散保存システム』——かんなのデータを1500個の欠片に分けて、みんなで守る仕組み


二枚目:『演出に偽装』——表向きはライブの光粒子演出として実装


三枚目:『削除には全員の同意が必要』——ファンが「消す」に同意するはずがない


「つまり」私は付箋を見ながら理解する。「私を消すためには、ファンのみんなが『消してもいい』って言わなきゃいけない仕組みを作ったってこと?」


「そういうことですねー」


璃が画面から補足する。「あの夜の光の演出、実は二重構造にしていたんです。見た目は美しい光粒子だけど、実際はかんなのデータを1500個に分けて保存するシステム」


「高橋さんは?」


「詳しくは言わなかったんですけどねぇ。『みんなで応援する新しい仕組み』って説明して、RAの人たちに配ってもらいました」


佐々木がコーヒーを一口飲む。


「彼は信じて、せっせと1500人に『これ使って応援しよう』って広めてくれたんです」


「なにそれ」


私は椅子から立ち上がる。


「なにそれ、すごすぎない!?」


「まあ、技術的には面白い実装でしたねー」


「でも」私は気になることを聞く。「なんで最初から教えてくれなかったの!?対策してくれてたんでしょ!」


私は立ち上がって、両手をぶんぶん振る。


「私が消えないように、というか私が消えるかもしれないって、そもそもどうやって知ったの!!」


感情が込み上げてくる。


「メッセージが濁らないように消えてしまうことは皆には隠しておこう、最後の思いをちゃんと伝えようと頑張ってたのがばかみたいじゃん!」


私は椅子の背もたれを掴む。


「あんなに必死に覚悟決めてたのに!」


佐々木が「あはは」と小さく笑う。


でもすぐに表情が少しだけ真剣になる。


コーヒーを置いて、眼鏡の位置を直す。


「んー、かんなサンにはちゃんと『最後の覚悟』を決めてもらいたかったんですよ」


「覚悟?」


「名前を呼ばないって決断。あれはかんなサンが自分で辿り着いた答えでしょう?」


そう言われて、確かにそうだと思う。あの夜、廃墟で歌った時の気持ち。名前は力だから、責任をもって使わなければいけないという理解。


「もし最初から『大丈夫、助かるから』って言ってたら、かんなサンはあの境地に辿り着けなかった」


「なるほど」


「それに」佐々木がいたずらっぽく笑う。「かんなサンが歌った希望が、愛情のシステムとなって、今度はかんなサンを守ったっていうのは、なかなか詩的でしょう?」


私は思わず笑ってしまう。


「まあ、そんなところですかねー」


璃が画面から苦笑する。「佐々木の演技は思いのほか演技うまかったです。心配してるフリが。」


「フリじゃないですよ!本当に心配だったんだから」


佐々木が慌てて反論する。


「でも結果的に、1500人の『かんなを守りたい』という気持ちが、本物のシステムになったんですよね」


璃が続ける。


「技術的には分散合意システム。でも本質は、みんなの愛情がコードになったってことだと思います」


窓の外で、VAの午後の光が穏やかに流れている。


研究室には相変わらず、機械音とコーヒーの匂い。そして今は、温かい笑い声も混じってる。


「みんな、ありがとう」


私は素直に言う。


「でも次からは最初から教えてよね」


私は少し頬を染める。


「みんなにあんなに心配かけちゃって、恥ずかしいから」


「はいはい。でもかんなサンが成長した姿を見られたのは良かったですよー」


佐々木がマグを持ち直す。


「これからも、ここで歌い続けていいの?」


「もちろんです。かんなサンはもう、誰の所有物でもなく、みんなで支えられた存在になったんですから」


璃が画面から頷く。「RAの運営も、もう手出しできない状況ですしね」


私は窓辺の「ななし」を見つめる。


名前があってもなくても、それはそれで美しく、静かに成長を続けている。


私も、そんな風でいられるかな。


「よし」私は手をパンと叩く。「今日の配信、何歌おうかな」


「おお、もう復活モードですか」


佐々木がいつものひょうひょうとした調子に戻る。


「まだ時間ありますから、ゆっくり準備しましょうねー」


机の端で、クーキまるくんがコトンと転がって、空気がすこしだけ甘くなった。


「今日の配信も、頑張ろう」


私は小さくつぶやいて、研究室の日常に笑顔で戻る。


---


夕方の光が窓から差し込んで、「ななし」の葉っぱを輝かせている。


種明かしが終わって、謎は解けて、でも日常は変わらない。


それが、きっと一番いいこと。


佐々木も璃も、そして高橋さんも、みんなが私を守ってくれた。


今度は私の番。


歌声で、その愛情に応えていこう。

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