33 働きますよ①
どうぞよろしくお願いします。
優作さんは私が最初に働いた会社にいた人だった。
洗剤が主力商品の企業の下請け会社で、優作さんは事務や営業の人たちともフラットに話してくれる気さくないい人だった。慣れない書類作成で申請やなんやで迷惑をかける私を、徐々に慣れるよと励ましてくれた。
ある日、体調を崩して休むことになった私は、どうしても届けたい資料をちなみに頼んだのだ。ちなみは夏休み中だったので快く引き受け、そこで優作さんに会った。そして忙しさのあまり私の体調が戻るまでと会社から頼まれて代わりに事務仕事をすることになった1週間で、ちなみと優作さんは恋に落ちたのだった。
そこからの優作さんはすごかった。驚くような努力でちなみの就職先に転職するという離れ業をやってのけたのだ。
元々能力は高かったのだろうが、短期間でやり遂げた底力にうちの両親もちなみも脱帽して結婚が決まった。その後はすぐ近くに部屋を借りた二人といわゆるスープの冷めない距離で私たちは暮らしてきたのだ。
生まれた小さな双子も協力して育ててきた。短い育児休業から復帰したちなみを支えながら双子の成長を見守るのはなかなかに大変だったけれど私にとっても幸せだった。
優作さんの海外勤務が決まった時も、家族みんなで『大丈夫、ちなみも遥香ちゃんも奏汰くんも、私達が面倒みるから!』と笑顔で送り出した。それなのに。
あんなに幸せそうだった二人が死別するなんて、神様がいるとしたらなんて残酷なんだろうかと葬儀の時に泣き崩れるちなみを見て思った。何かしらを感じ取ってシクシク泣く子どもたちも不憫で仕方なかった。
その後に起きたマスコミや世間の対応も許しがたいものがあり、私たちはちなみと遥香、奏汰を守ることに全力を傾けた。
あれから3ヶ月…いや転生の記憶がある私にとってはもっと長い期間だが…こんなふうに食卓が賑やかになって、ちなみの笑顔が見られるようになって、本当によかった。
「はーい、できたよ〜。大人は生姜や柚子胡椒も入れちゃお!」
私は茹でて冷やした素麺をザルごとお皿に乗せて持って行った。
*****
「おはようございます」
「おはようございます」
次の日、だいぶ早めに出勤したが、佐々木さんは既に机でパソコンに向かっていた。
すみませんと言いたいの我慢して私も机につく。まだ就業時間には程遠いのだから申し訳なくなる必要はないのだが、二人部署で上司が先に来ていたのにはちょっとダメージを受ける。でも今日は起きた時に頭痛がして薬が効くまでに少し時間がかかってしまったのでこれ以上早くは無理だった。
さすがにこの世界に戻ってきて、私の記憶が夢でないならだけど、新しい職場で仕事を始めればそれなりのストレスがかかっているのだろう。小さくため息をつきながらパソコンの起動を待っていると、
「…あの」
「はい?」
画面を見たままの佐々木さんから声をかけられた。
「えーと、早く来るのは自分の生活習慣のせいなので、気にしないでください」
「あ…はい」
どうやら私が申し訳なく思っているのを感じ取ったらしい。律儀で親切な人だなと思った。なんとかこの職場でやっていけそうだなとちょっと安心した。
「佐々木さん、ちょっといいですか」
「佐々木さん、10時半から少し時間もらえますか」
「佐々木さん、この資料なんですけど、ちょっと見てほしくて」
「佐々木さん…」
今日届いた伝票の整理とデータの入力を1時間程度で終えてしまった私は、次から次へと佐々木さんのところに来る人たちに驚いていた。
どうも佐々木さんは随分と頼られているようだ。でも当然佐々木さんが全員に対応できるはずもなく、打ち合わせ中だと伝えると空振りかと項垂れて戻って行く人も多く、見かねた私は一瞬自席に戻ってきた佐々木さんにスケジュール調整をしましょうかと申し出てみた。
佐々木さんはちょっと驚いた顔をしたけれど、すぐに
「そうしてもらえると助かる、よろしくお願いします。ええと、スケジューラーの使い方は?」
と困ったような笑顔で許可してくれた。
なんとかすることを伝えると、お礼を言って、またすぐにどこかへ行ってしまった。
隣の部署の人にマニュアルの在り処を聞くと、教えてくれたフォルダ内にあったのはありがたいことにスケジューラーを含む事務手続き全てに関するマニュアルだった。
当然かもしれないけれど、まだまだ紙の書類で動いている会社も多いので、よしよしと読み始める。なんとなくわかったところで、やってきた他部署の人に簡単な相談内容とかかりそうな時間を聞いて登録し、ついでに会議室を予約しているかを聞いた。
半数程度は部屋をとっていなかったので、予約方法を教えてもらってその場で場所を押さえると、
「ありがとうございます、助かりました。さすが佐々木さんのところの人ですね」
とお礼を言われた。『いやマニュアル首っ引きです』と思ったけれどにっこりしておいた。
佐々木さんが戻ってきたのはもうすぐお昼という時間だった。
「いや、すみません席にいられなくて。指示もなく手持ち無沙汰だったでしょう」
と申し訳無さそうな佐々木さんに
「いえ、事務のマニュアルを教えてもらったので読んでいました。それから打ち合わせの申込みが来ていたのを登録していたら意外と時間がもちました」
と伝えると、どれどれと予定を確認してくれた。
「え、こんなに?」
「あ、すみません!既に予定が入っていたので、それ以外の空いているところは大丈夫なのかと思って受けてしまったのですが、ダメでしたか?」
驚いた様子の佐々木さんに、これはまずかったかと思い反射的に謝ってしまったが、彼は
「いや、そうじゃなくて、会議室までとっておいてくれたのに驚いただけ。空いていた時間は何も入ってなかったのでいいんです。調整をお願いしたんだし。本当にありがとうございました、正直助かった」
と笑ってくれた。
その後はお昼にしましょうと誘ってもらい、昨日の帰りに見ていたサンドイッチ屋さんに行くことにした。佐々木さんはローストビーフとごぼう、私はアボカドとエビのサンドイッチを注文した。
「お弁当は持って来なかったんですね?」
「あー、昨日この辺りを見て、美味しそうなお店がたくさんあるな〜って思ってしまって。値段もお手頃な感じだったので…」
基本お弁当とか言った手前少々気まずかったが正直に話すと、佐々木さんは
「昨日の、相田さんの昼食は人生の食事の約3分の1だから嫌じゃないほうがいいという考え方、すごくいいなと思ったんですよね。これからは心置きなく外食を楽しめそうです」
とどこを見るでもなく氷水の入ったグラスの周りの結露を指で撫で落としながら言った。
「なんていうか、冷たいご飯が苦手だなんてなんとなくカッコ悪いし、外食ばかりなのもなんだか贅沢しているみたいだし、かと言って弁当を作れるかと言えば絶対に無理だし。そもそもこの辺を制覇したとか言ってその実は役所の机で一人で昼食をとるのが」
黙ってしまった佐々木さんの手元のグラスの下に溜まっていく水を見ながら続きを待つ。
「…嫌だったんだなって思って。嫌ならしなくていいっていう相田さんの話でホッとしたんです」
「そうですか」
「ええ、しかも人生の食の3分の1なんて、すごいって。それで自分の体ができていくんですから、本当に嫌なものをとる必要はないよなって」
佐々木さんは顔を上げて笑った。
そこまで言い切ったような自覚はなかったけれど、そう受け止めて佐々木さんの気がラクになったなら何よりだと思って私も笑い返した。
「お待たせしました」
丁度運ばれてきたサンドイッチは想像以上に美味しくて、食べながら、お互いに食レポをし合った。これは明日も別メニューに挑戦しようという話になり、ランチだけど可能だというので席を予約した。
「あんまり昼食代に使う余裕ないって言ってたのに、外食続きで大丈夫ですか?」
お互いに自分の分を支払った後で、昨日の話を覚えていた佐々木さんがちょっと心配そうに聞いてくれたが、実家暮らしなこと、役所の仕事はこれまでよりもだいぶ収入が増えることを説明したら『それならよかった』と納得していた。
お読みくださりありがとうございます。
それにしてもep.30くらいまでと同じ話か?というくらい違いますよね…。




