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異世界派遣物語  作者: 青木薫


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32/40

32 振り出しにもどる?

よろしくお願いします。

 ワインを飲み干し、ハァっと大きく息を吐き出して、ゆっくりと目を開けると毎度おなじみになってきた部屋だった。


「あ…」


「はい、お帰りなさい。お疲れ様でした」


「…」


「あー、最後はピッチが早かったからね、大丈夫かな?」


 口を押さえる私の目の前にゴミ箱が現れる。が、そこまでではない。なにせワインは2本準備したけれど空いたのは1本だったのだから。


「だ、大丈夫です。無事に達成できたようで、良かったです…」


「ああ、まぁ、あの先はわからないけどね、ひとまず君的には達成感があって何よりです」


 あんなに頑張ったつもりなのに『君的には』とか言われたので少しばかりムッとしたが、間違ってはいないのでゴミ箱を持ったままで黙っていると、何かを察したのか課長さんが咳払いをして続けた。


「…んんっ、まあとにかく今回もありがとう、感謝しているのは本当だ。ところで、次の仕事なのだが…ちょっと厄介かもしれない」


「はぁ…」


 これまでだって相当厄介だったのだから今更だが、わざわざ断りを入れるくらいなのだから何かあるのだろう。もしや『赤ちゃん』になるとか?それだと自分にできることが殆どないし、長い期間になりそうなので困るなあと思っていたら、


「新生児とかじゃないから安心してほしい」


と言われてしまった。


 どうしてわかったんだろうと思ったけれどやっぱり黙っていると、


「…びっくりするかもしれませんが、これまで通り頑張ってください。いいですね?君は理不尽な目に遭っている登場人物に転生する、そこで少しでもその人物がラクになれるように行動する、それが仕事です」


「はい…?ええ、わかっています」


「わかっていればいい、ではそちらの扉からどうぞ」


 手に持っていたゴミ箱を床に置いて、課長さんを見ると、少しばかり顔色が悪い。さっきまで一緒に飲んでいたからだろうかと思いながらも一礼して部屋を出る。


 そして、いつもよりもちょっと時間がかかった気がするが、気がつくと、そこは我が家からほど近い道だった。


「何、これ、どういうこと?」


 幸い車通りも人通りもなく、私はそこで一人立ち止まった。


 振り返ったが当然扉はなく、前後に道が続いているだけだった。慌てた私は自分の姿を確かめようと見下ろした。黒のスカートにパンプス。肩には持ち慣れたバッグ。これは…


 バッグの中を探ると甥っ子と姪っ子のプリクラが貼られた自分のスマホがあり、日付は29歳の誕生日の次の日で時間は7時40分だった。


 これはあの転生したと思しき日だ。


 どうなっているのか。この数ヶ月の転生は?あ、頑張ったから元の世界に戻してもらえた?いや、もしかしたら転生なんてしていなくて、私はここで立ち尽くして瞬きの間に夢を見ていた?…時間もこれから歩いて向かえば役所に到着してちょっと待つくらいの時間だし…


 1、2分だろうか、立ち尽くしていたが埒が明かないので思い切って家に向かって回れ右をした。


 二日酔いはというと、あの日の具合の悪さに比べたら全然で飲んでいた感じもしない。やっぱり夢だったか…?考えながら走って、家の玄関を開けようと手を伸ばしたが、把手に触る前に開いた。


「あら、ゆかりどうしたの?」


「…お母さん…」


「忘れ物?スマホ…は持ってるわね、ああ、お財布?見てこようか?」


 私の手のスマホを見て、お母さんはこれから出しに行くつもりだったろうゴミ袋を持ったまま家の中へ戻ろうとした。


「あ、違うの、お財布とかじゃなくて…その…」


 不思議そうな顔のお母さんを見て口ごもってしまったが、何か言わなくてはと思い、


「き、緊張しちゃって。もう一回トイレに行っておこうと思ったの」


「やだ、本当に?仕方ないわね、早く行ってきなさい。初出勤なのに、時間大丈夫?」


「大丈夫…」


そんな会話をしながら玄関で靴を脱ぎ、トイレへ向かう。


 中へ入ってドアを閉めたもののすることはないので、これからのことを考える。


『なんだかわからないけど、お母さんのあの様子からしても今日はこれから役所に出勤すべきだよね…仕方ないとりあえず行くか』


 用を足した感を出すために一応水を流し、廊下へ出る。


 と、妹のちなみが起きてきていた。


「あれ、お姉ちゃん、どうしたの?出勤は?」


「あー…これから」


「さっき出たと思ったのに。どっか具合悪い?私が代わろうか?」


「え?何言ってるの、そんなことできるわけないでしょ」


妹の無茶振りに苦笑しながら答えたが、


「そう?だって向こうは人手が必要で募集しているんだし、行ってみないとわかんないじゃない。昔、そうやって私が行ったことあったし」


という言葉に心臓がドキンとした。


「…そう、だっけ?」


「そうだよ、ほら、最初にお姉ちゃんが就職した会社。事務ができるならいいよって」


「あー…そう言えば、あったね…」


「だから、本当に具合悪いなら私が代わりに行ってみてもいいよ?」


「だい、じょうぶ。じゃあ…行って来るね」


「うん、無理はしないでね。行ってらっしゃい。あ、お母さーん、奏汰と遥香のご飯、何かある?」


 ゴミを出し終わって戻ってきたお母さんと甥たちの食事のことを話し始めたちなみに背を向けて私は役所へ向かった。



「おはようございます。課長の多田です。面接時にもお会いしました。今日からよろしくお願いしますね」


「…」


「相田さん?」


「あ…よろしくお願いいたします」


 どこからどう見ても『課長さん』の多田さんを見て固まっていた私だが、さすがに無視はできず、慌てて頭を下げた。課長さんは私を見ても表情に変わりはなく、知り合いという雰囲気は全くなかったので、転生に関わった『課長さん』は面接時のイメージで私が作り上げた人物だったのだなと思った。


 それまでの社会人としての生活で、いかにも『課長』『上司』みたいな人と直接やり取りしたことが少なかったので、想像力で引っ張られたということなのだろう。


 第一本人ならそもそもなぜこの世界にいるのか理由がわからないし。そんなこんなで、その後は自分の机に案内され、指導してくれる担当の佐々木さんという人に紹介された。


「どうも佐々木です。よろしく。ええと、これまでこういうところで働いたことは?」


「あります。役所ではないですけれど、事務員として」


「じゃあパソコンとかも大丈夫ですね、良かった。うち独自のシステムはありますけど、そんなに難しいものではないので。今日はその使い方と仕事内容の説明をしますから、わからないことがあったら遠慮なく聞いてください」


「ありがとうございます、どうぞよろしくお願いいたします」


 隣の席の佐々木さんは、柔らかい雰囲気の中堅どころという感じで、午前中は私の職歴や住所なんかを入力するのを隣からチョイチョイサポートしてくれた。


 こんな新人に親切にしてくれて仕事は大丈夫なのだろうかと内心心配になったのは、うちの部署が佐々木さんと私の二人だけだからで、これまでどうやってきたのかなと思ったけれど、働いていれば仕事の内容から徐々にわかってくることもあるだろうから今は聞かないでおくことにした。観察して把握するのも短期職員の仕事のうちだ。


 大体終わって、午後からはデータの入力や、まだまだ紙で届いてしまう伝票の整理をしてもらうから、とりあえずお昼を食べに行こうかと誘ってくれたのでありがたくお受けすることにした。



「面倒ですけど、個人情報の入力は最初だけですからね、もうあの画面はそうそう見ないから」


「どこの職場でもですけれど、最初は必ずあるので慣れているつもりなんですけどね…」


「疲れますよね、ま、午後は単純な作業だから、ゆるゆるやってくれればいいですよ。ほら、何にしますか?ここのオススメは日替わりパスタです」


「えっ、それじゃあそれで!」


「いい選択です」


 佐々木さんはにっこり笑って店員さんに二人分のランチセットを注文してくれた。彼はいつも外食でこの辺りのお店は制覇しているということだったが、私はそんなに昼食代をかける余裕はないので基本お弁当にするつもりだと言うと、健康のためにはそのほうがいいよね〜と苦笑いしていた。


「お弁当は食費も抑えられるし健康にもいいのはわかっているんですけど、冷めたご飯が苦手なんですよね〜。かと言って電子レンジで温めたものもそんなに得意ではなくて、ついつい外食になってしまいます」


「いいんじゃないですか?そういうのは、お財布が許せば外部委託ということで。昼食は人生で食べるもののおよそ3分の1ですから、嫌じゃないものにしたほうがいいと思います」


 食べながら私がそう言うと、佐々木さんはちょっと驚いたような顔をして


「そう、そうですよね、全食事の約3分の1ですよね…」


と言ってから、にっこりした。


 その後は職場の細々とした慣例、給湯のことやゴミの捨て方…意外と厳しいようだ…や、休みはしっかり取ったほうがいいこと、他の人の出勤時間のことなんかを教えてくれて、丁度戻る頃合いに二人とも食べ終わった。


「なんだか、すみません」


「いいのいいの、最初の一回だけだから。もうないからね〜」


「ごちそうさまでした」


 初出勤だしということでお昼をごちそうになってしまい恐縮したが、佐々木さんはニコニコしていて、役所へ戻る道すがらサンドイッチのお店の前で「あ、この店新メニューになってる。明日来よう」なんて独り言を言ってるので『いい人なんだな』と思った。


 午後はあちこちから提出されたデータを集計して、伝票の整理をして終了となった。


「お先に失礼します」


「あ、お疲れ様でした〜」


 私が帰る時、佐々木さんはまだパソコンに向かっていた。今日一日、私の世話で仕事にならなかったのではと思ったが、教えてもらわないと何もできないのは事実なので、心の中で『早く仕事覚えますから!ありがとうございます!』とお礼を言って退勤した。


 仕事を終えてホッとしたせいか、道すがら今朝の出来事が思い浮かぶ。転生した日々はなんだったのだろうか。こうしていると本当にあれは一瞬の夢だったような気がする。パン職人のドニ、教会のジーノ、辺境に行ったダニエル…


「ただいま」


 考えているうちに家に着いてしまったので、急いで着替えて夕飯の準備に取り掛かる。


 今日は初出勤と転生騒ぎで疲れたので簡単にしようと思い、白菜と豚肉の重ね煮とトマトのサラダ、大人用にはアサリの酒蒸しを作ることにする。


「あとは素麺かな…」


冷蔵庫から薬味用の小ネギや生姜を取り出しているとちなみが来た。


「お姉ちゃんお帰り。お役所はどうだった?」


「ただいま、うーん、まあ普通だったよ」


「普通って何よぉ。もう、お姉ちゃんはいろんなところで働いてるからいいだろうけど、私はずっと家にいるんだから。もう少しおもしろかった話を聞かせてよ〜。刺激がほしいんだよ〜」


「はいはい、でもちなみには遥香ちゃんと奏汰くんがいるじゃない。十分刺激的だと思うけど?」


「まあ〜ねー。ホントに可愛いんだけど」


「でしょ」


「それでも毎日家の中に閉じこもってると、時々は外に出たくなるってものよ」


「それは、そうね。じゃあ今週末は私が二人を見ているから、どこかへ出かけてきたら?美容院でも行ってさっぱりしてから遊んできなさいよ」


「えっ、ホント?嬉しい!お姉ちゃん大好き!」


「はいはい、じゃあこれ冷蔵庫で冷やしておいて」


 ニコニコしているちなみに話しながら切ったトマトを並べたお皿を渡して、玉ねぎドレッシングを作り始める。お酢とレモンとオリーブオイル、砂糖、塩コショウ、乾燥ハーブミックスを混ぜたものにみじん切りにした玉ねぎを漬けておく。ちなみはこれが大好きだ。その後も台所でチョロチョロしているちなみと話しながら他の物を作っていく。


「お姉ちゃんて本当に手際がいいよね。私なんてそんなに美味しいもの作れないから、うらやましい」


「何言ってるの。なんだって本当は作れるでしょう。ちなみは凝ったもの作りたがるから」


「うーん、そうかも?」


 ちなみは料理ができないわけではない。日常的なおかずを作ることがあまりないだけで、本やネットでレシピを見て作れば、写真そっくりなものができあがる。味だってとてもいい。


 料理だけではない、勉強や仕事だってそうだ。今は家で半分休職しているような状態だけれど、難関大学に合格して、卒業後は研究職に就いて、結婚して子どもが生まれて、と能力にふさわしい人生だ。唯一を除いて…


「でも、今は作ってあげたい人もいないし…」


「…ま、おかずなんて私が作るから、今度何か作ってよ。あ、あれがいい、焦げたみたいなケーキ」


「バスクチーズケーキのこと?」


「それそれ」


「もうっ!」


 二人でおしゃべりして笑い合っているうちに料理ができあがって、遥香と奏汰もお母さんに連れて来られた。まだ2歳の双子がいる食卓は賑やかで大忙しだ。


「ちゅるちゅる〜」


「あっ、遥香、だめ、手で食べちゃ!」


「ちゅるー」


「奏汰まで!ああっ!」


 大人3人がなんとか宥めながら食べさせ、子どもたちが専用スペースでキャッキャと遊び始めてようやく私達も食事となる。


「は~、じゃあお素麺もう一度茹でてくるね」


「ありがと、お姉ちゃんごめんね」


「あらやだ、ちなみ、スカートに玉ねぎ落ちてるわよ」


「え?わっ、本当だ」


「ちょっと、床じゃないからって!」


 お母さんに言われてスカートの玉ねぎを拾って口にしたちなみが叱られている。何でもできるのにああいうところが可愛い子なのだ。


 ちなみは大学院を出た後、食品会社に就職して研究職に就いた。すぐに同じ研究職だった優作さんと結婚して遥香と奏汰が生まれて、しばらくはこれ以上ないってくらいに幸せそうだったけれど、彼は海外勤務中に事故で亡くなってしまった。


 大きな会社で世界中に支店があり、中にはあまり治安がよくないところもある。それでもそんなことになるとは思ってもみなかった。それがそれなりに大きなニュースになったせいでちなみは出社を控えたほうがいいと判断され、今は家で午前中だけテレワークで働いている。


 最近は騒ぎも収まって、世間は他のセンセーショナルな出来事に目を向け、ちなみのことは忘れられつつある。だからちなみも外に意識が向くようになってきたのだろう。


「よかった…」


 母親と子どもたちと楽しそうに笑っているちなみを見てポロリと言葉がこぼれ出た。

お読みくださりありがとうございました。

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