22 一応、別れと言えなくもない
よろしくお願いします。
出発だと声をかけてくれたのはもちろんトレイさんだった。部屋を出て、玄関というにはあまりに大きな扉を抜けて外に出る。使用人たちは何とも言えない顔で僕を見ている。気を遣わせて悪いね、と思う。
外には、驚いたことに馬車が2台準備されていた。ラーシュ用と僕用だ。移動中でも僕と2人きりになるのは嫌ということなのだろう。どれだけ息子が嫌いなんだと心の中で苦笑したが、何にせよ、僕にとっては願ったりかなったりだ。これで行きの3日間について、だいぶ気がラクになった。
「では行ってくる。すぐに戻るからな」
「はい、お父様、行ってらっしゃい!お帰りをお待ちしています!」
「お気をつけて」
ラーシュと母親、そしてエドガーの別れの儀式の間、僕は3人の後ろに立って黙って待っていた。その脇でトレイさんが馬車の中で読めるようにと何冊かの本や書きものができるノートと呼べなくもない紙束、少しの着替えが入ったカバンを持って控えてくれていた。
寒さ対策だと言って小型のブランケットも詰めてくれたせいで大きく膨らんでいる。この他の荷物は箱に詰められて馬車の荷台に載せられている。どんな世界でも旅の荷物は大変になるんだななんてことをつらつらと考えていたらラーシュに指示された。
「おい、さっさと乗れ」
黙って頷いて馬車に乗り込もうとした時、エドガーが
「おい、トレイ、そのカバンの中には何が入っているんだ。開けてみろ」
と、とんでもないことを言い出した。
ちょっとぉ、もう出発なんですけど?と思ったが、ラーシュが
「ふむ、何か金目の物でも入っていたら困るな」
と言ったので腹立たしくなり、トレイさんに開けるようにお願いした。どうせ大したものは入っていないのだから。
なのに。
「なんだ、このぬいぐるみは。僕のじゃないか」
エドガーがクマのぬいぐるみを取り上げて自分のだと主張し始めたのだ。
はっきり言って僕はそのぬいぐるみに思い入れもなく、トレイさんやエイダが押し付けてくるから持って行くかというくらいだったのに、これはどうしたものかと考える。エドガーの勝ち誇ったような顔からして、これは僕がダメージを受けるのだと思っていることがわかる。
それに乗って『取り上げないで』と懇願するべきか、それとも涙をこらえて譲るべきなのか。黙っている僕にエドガーが
「なんとか言えよ。これは僕のぬいぐるみだぞ、木から落ちた後見当たらないと思ったら、お前が隠していたんだな」
と顔を歪めて怒りを顕にする。見かねたのかトレイさんが意見した。
「あの、エドガー様、エドガー様のぬいぐるみは木の枝で傷がつき、その、直そうとしたのですが、奥様が…」
すると驚いたことに、母親までもが口を出してきた。
「そうよエドガー、あなたのは破れてしまったの。だからもう…」
おそらく修理もできずに処分してしまったのだろうということがわかる話の流れだったが、エドガーはひかない。
「うるさい、これが僕のだ!破れたのがお前のだろう!いいから黙ってこれを寄越せ、泥棒め!」
わめく10歳児に付き合うのが面倒になった僕は
「ああ、そうかもしれません。ではお兄様がこれをお持ちください。これまでお借りしてしまい申し訳ありませんでした」
と頭を下げた。
エドガーは勝ち誇った顔をしていたが、母親は目を見開き、手で口を覆っていた。ラーシュも怪訝な顔をしている。何か間違っただろうかとトレイさんを見ると、トレイさんも顔を強張らせている。
「あ、あの、トレイさん?」
「ダニエル様、よろしいので?あんなに大切にしていらしたのに…」
なんと、ダニエルにとっては相当大切なものだったらしい。成る程、最初に見た時にベッドにいたのは、一緒に寝ていたとかそういうことだったのだろう。しかしここまできて意見を翻すわけにもいかないし実際これまでも洗ってもらった後はチェストの上に置きっぱなしだったので、苦笑して答えた。
「いいんです、新しい場所に行くのに、そんなに甘えてはいられませんから。さあ、まいりましょう」
あっさりした僕の返事に大人たちは動揺気味だったが、さっさと馬車に乗り込んだ僕を見やった後でラーシュももう一台の馬車に乗り込んだようだった。
馬車の外ではひとしきりまた別れの儀式があったようだけれど、僕には関係ないのでこれから読む本と考えを書き留める紙を取り出しながら待っていた。やがて馬車は走り出した。
家から出たのは初めてだし、馬車に乗るもの初めてだしで、考えていたように本なんか読む暇はなかった。
賑やかな街を抜け、田園風景の中を進んで行く。本で読んだように穀倉地帯を抜け、林や森、山道を駆け、馬車は進んだ。思っていたよりもずっとこの家の領地は大きく、豊かなようだ。これで辺境も治めているなんて、随分だなと思っているうちに今夜泊まる宿に着いた。
当然ラーシュとは別の部屋でトレイさんが一緒に過ごしてくれることになった。
「ダニエル様、不安でいらっしゃいますか?」
部屋での夕食の後、もう寝る時分になってトレイさんに聞かれた。寝る環境が違うことについてかと思ったがどうもそうではないようで驚くようなことを聞かれた。
「その…いつもはあのぬいぐるみと眠っていらしたので…」
僕は笑ってしまった。
「ははっ、トレイさん、そんな心配をしてくれていたんですか?僕、ここのところあれ無しで、ずっと一人で寝ていましたよ。全然平気ですから、気にしないでください」
気楽に答えたが、トレイさんの顔は曇ったままだった。
「トレイさん?」
「…ダニエル様、あのぬいぐるみは、奥様がエドガー様とダニエル様へとお選びになったもので、お二方と同じ瞳の色でした。その、エドガー様のは青で…」
「ああ…そう言われれば…」
緑の目をしていたなと思い起こしたが、すでにエドガーに譲ってしまったのだから今更何か言っても仕方がないし、本当に僕にとっては思い入れのあるものではないので困ってしまう。
それとも、ダニエルの記憶と統合された時にダニエルが悲しむだろうか?それでももうこの先は辺境の領地で生きていくしか道はないのだから。
「それでもいいんだ。僕はあの家を出たのだから。いい機会だったんだと思うことにするよ。それより今日はさすがに疲れたし、もう眠たいよ。休んでもいいかな?」
トレイさんは困ったような笑顔で僕をベッドに寝かせてくれた。僕はすぐに寝てしまい、そして、また夢を見た。
お読みくださりありがとうございました。
後から考えると親との関係性に頭をひねることありませんか?でもそれが子どもってことなのかもしれませんね。




