20 穏やかな時間
お付き合いくださり、ありがとうございます。ダニエル、元気になってきました。
夕食は先程よりもしっかりしたもので、魚をソテーしたものが美味しかった。洋風の味付けでここの世界で食事に困ることはないようだ。
まあ、パンは自分で作ったほうがおいしいかもしれないが、本職だったのだからそれは言っては可哀想かもしれない。いつか子どもの自分にもパンを作る機会があればいいなと思った。
スープと果物もつけてもらって大満足の私は、食事の後の勉強にも気分良く取り組むことができた。
領地の歴史をまとめた本からわかったことは、辺境は3代前から治めていて、領地では父親のラーシュはうまくやっていると評価されていること。ラーシュは32歳、その歳でその評価なら文句のつけようもない優秀さなのだろう。
流行病で妻のベアトリスと父親、ダニエルにとっては祖父を亡くし、辛いことだっただろう。まあ、だからといってダニエルを放置しておいていいことにはならないが。いずれにせよダニエルは辺境に置いてこられるはずだから、そこで人間関係を築き、生きていけるようにしなければ。
「ダニエル様、そろそろお休みになられては」
時間を忘れて資料を読んでいた私にトレイさんが声をかけてくれた。外は真っ暗でおそらくは子どもが寝る時間をとうに過ぎている。
これまでの転生では寝ると激しい頭痛とともに記憶が蘇った。今回もそうであれば頭痛にはまいるが、ダニエルがどんなことを考え感じながら生きてきたのかがわかるだろうと期待した。
「うん、そうするよ。今日は本当にいろいろとありがとう。感謝します」
「…では資料は私が整理しておきますので、寝室へどうぞ」
私は促されるままに寝室へ行きベッドに入った。
「おやすみなさい、トレイさん」
「おやすみなさいませ、ダニエル様」
トレイさんは部屋の明かりを落とし、部屋をあとにした。
私は思っていた以上に疲れていたようで、すぐにまぶたが重くなった。そして、いくつもの夢を見た。
*****
「ダニエル、そら、見えるか?」
「うん、見える。とても広いね」
「そうだろう。ここがうちの、領民たちの土地だ。寒くて厳しいが多くの民が住む大切な場所だ。お前も治める立場の一人としてよく学び、ここで生きていく覚悟をもつんだぞ」
「はいっ、がんばりますっ!」
*****
「いつもいつも小賢しいことを言う。お前に意見など求めていない」
「でもっ、叔父上は辺境は大切だと…」
「うるさいっ!そんなに辺境が心配なら、お前を送ってやる。それなら文句はあるまい」
「父様…」
「お前に父などと呼ばれたくない」
*****
「母様、私はどうすればよいのでしょうか…」
「ダニエル…あなたは、そうね、あなたの力はここよりも辺境で発揮されるかもしれないわ。あなたにはきっと力がある。でもここでは…」
「母様…」
「ダニエル、ごめんなさいね、弱い母で。本当に…」
誰かに肩車をされながら広い土地を見渡す夢を見た後は、叱責される夢だった。そして母親の泣き顔。その後は…
*****
目が覚めると頭痛がした。それでもこれまでの転生時とは比べ物にならないくらい軽いものだ。二日酔いも軽かったし、子どもの身体は丈夫なのか、それとも鈍くてよくわからないだけなのか、おそらく後者だろうと思いつつもベッドから出て水を飲みに洗面所へ行った。
鏡があり、そこに映った自分の姿は昨日よりも随分とマシになっていた。巻毛ではあるが髪は梳かれていてもつれていないし、顔も起き抜けとは言え薄汚れた感じはない。
もう少し顔色が良くなって目の下の隈が薄くなればなと思った。洗面台の下に置かれていた台に乗って手で掬って水を飲み、ついでにと顔も洗った。タオルも清潔なものが準備されていたので遠慮なく使わせてもらう。
起きてしまうには少し早いようなのでベッドに横になって夢を思い返す。夢ではなく記憶の統合なのかもしれないが、子どもの身体では夢のように感じた。
それでも父親が自分を嫌っていて辺境にやろうとしていることは事実だろう。そして母親は自分に対して申し訳ないと感じているようだが、やはり辺境に行ったほうがいいと考えているようだ。それなら悩む必要などない、このまま準備を整えて辺境の領地へ行くだけだ。気になると言えば…
「ダニエル様、起きていらっしゃいますか」
ノックの後トレイさんの声がした。
「ああ、はい起きています。どうぞ」
「おはようございます。体調はいかがですか」
「ありがとう、とてもいいです。昨日の食事と睡眠が効いているみたいで」
「それは何よりです。今朝もお食事の準備はできていますが、どうなさいますか?」
「えっ、本当に?ぜひ!お腹がすきました」
トレイさんはニコニコしてくれた。昨日会ったメイドのエイダが来たので季節や今日の気温を訪ねながら一緒に衣服を選び、自分で身だしなみを整えた。
エイダは僕の様子に感心しながらも仕上げをしてくれた。特に髪はオイルを塗ってブラッシングのあと後ろにリボンで一つでまとめてくれたのでスッキリした。肩よりも少し長いくらいだと思ったが巻毛なので伸ばすと思ったよりも長さがあり、リボンの先からはクルクルとした赤い色が見えていることだろう。
食事はそのまま自分の部屋で取ることにした。カーテンが開けられ日差しがある部屋の中は明るく気持ちが良い。窓も細く開けられ換気もされている。急拵えらしいが、僕に合ったサイズのテーブルと椅子が準備され快適だ。
丸パンにスープ、チーズが入った卵料理…これはオムレツだよね…おいしいなぁ…そしてフルーツ。オレンジとプラムだろうか、食べていると頬がゆるむ。
「ダニエル様、もう少しお持ちしましょうか?」
「はっ…?は、あ、いえ、もう」
「そうおっしゃらず。…エイダ」
「はい」
エイダさんはすぐにフルーツのおかわりと紅茶を持ってきてくれた。恥ずかしかったが二人がニコニコしているので素直に食べた。食べながらふと夢を思い出して気になっていたことをトレイさんに聞いてみた。
「ところで、トレイさん、僕の瞳の色は誰に似たのですか?母の瞳はもう少し薄い緑ですよね、そして父は青」
途端に大人二人の顔が強張った。しかしトレイさんは持ち直した。
「旦那様のお父様、ダニエル様のお祖父様の瞳の色かと」
「ふぅん…祖父、ね」
「はい。ベアトリス様と同じ頃、流行病で亡くなられましたが、肖像画も残っておりますよ。領地で見ることができると思います」
「そうなんだ、楽しみだよ。あ、それから、父には兄弟がいますか?」
「…」
今度こそトレイさんは黙ってしまった。うん、夢で僕を肩車して領地を見せてくれた人は父の兄弟のようだ。そしてその人の瞳は僕と同じ濃い緑色だった。トレイさんの反応からするに、あれが父の兄弟だろう。兄か弟かはわからないけれど。
「ああ、いいんです。領地に行けば会えますよね、きっと」
「あの、ダニエル様…」
「僕ね、多分記憶が戻りかけているんだ。夢で…」
「夢で?」
「うん、夢で僕と同じ瞳の人が笑っているのを見たから。金髪で緑色の瞳の…あの髪の色は多分父親と同じ色で、瞳は祖父の、ということなんだなって、今の話を聞いて思ったんだ」
「そうでしたか」
「うん、でもこの家では話題にしないほうがいいみたいだね、二人の様子からすると」
「…その方はステファン様です。旦那様の2歳下の弟君で、領地でお会いできます」
「あ、そうなんだ」
意外とすぐに教えてもらって拍子抜けだったが、ならばなぜ最初は、と言いかけてピンときた。弟で領地を治めているなら昨日読んだ資料に名前があって然るべきなのに、そんな記載はなかった。つまりその人、僕の叔父にあたる人はいないものとされているということだ。
「まあ、いいです。領地で会えるならそれで。楽しみですよ。ああ〜、もうお腹がいっぱいです。ありがとうございました!」
ことさら元気よく言うと、二人はホッとした顔になった。片付けてもらいながら、午前中は資料の続きと以前勉強に使っていた本があればそれを読みたいことを伝えた。そして午後は体力がどれくらいあるか感じたいから庭に出ても良いか聞いてみた。
「ダニエル様はお勉強はなんでもおできでしたよ。今だって領地や家の資料を難なく読まれて。以前よりも話し方もしっかりなさっていますし、本はお持ちしますが、あれではちょっと簡単かもしれませんね
…お庭の方は、本日は旦那様たちが街へお出かけの予定ですので大丈夫かと」
トレイさんが言ったように、勉強の本は簡単だった。普通に小学生が勉強するような内容だったし、算数や理科の基本も同じだった。
歴史は当然全く知らないものだけれど、それはそもそも8歳ならこれから覚えていくものだろうから焦っても仕方がない。辺境とやらに行ってから考えよう。地理はもらった資料だけではよくわからないところがあったので、大きめの地図と農作物、特産物、文化についての資料を追加でお願いした。
特に発明品についての子ども向けに簡単に書かれているものは強く要望した。ここにある水道の設備なんかは辺境にもあるくらいポピュラーなのだろうか。この弱々しい子どもの体力だ、生活水準についてはさすがに気になる。
「ダニエル様、そんなに学んではお疲れになりませんか?」
「平気です。これまで特に何もしていなかったんだし。十分休んだので。あと一週間しかないんですから、できるだけの準備をしていきたいんです。荷物はトレイさんにお任せしていいんですよね?」
「もちろんです。ああ、それから午後はやはりお庭に出られますか?」
「はい、ちょっと走ってみたくて」
「はぁ…走って…」
不思議そうな顔をしているトレイさんだったが、こちらは2ヶ月でどれくらい体力・筋力が落ちているか心配だ。庭に出る口実は…
「お庭で植物も見たいんですよね」
「ああ、そうでしたか、では庭師を」
「ははっ、いいですよそんな。仕事中に迷惑でしょう。適当に見て回りますから」
よかった、これで庭に出ることができそうだ。
午前中の最後はエドガーが勉強している内容よりももう少し対象が上、つまり中学生くらいに向けた本を読んで終わった。
私の知っている世界の人が作ったのだろう、ココは地球とそう変わりない世界で、前世の記憶を使えば工夫次第でラクに暮らすことも可能かもしれないと感じた。
でも、そんなに長い期間ここにいることはできないはずなので、とにかくダニエルが辺境でなんとかやっていけるようにすることを第一に考えなくてはと改めて気を引き締めた。
昼食の後、庭に出た。月並みだけれど風が爽やかで気持ちが良かった。断ったけれど庭師が待っていてくれたので美しく整えられた庭の樹木や色鮮やかなダリアに似た花などを見せてもらい、お礼を言うと
「そんな、ダニエル様がまたこうしてお庭に出てきてくださっことが本当に嬉しいのです」
と目に涙を浮かべられてしまったので恐縮した。
その後は植木の間をシャトルランのように走って往復したり、両足跳びをしたりして自分の体力を確かめた。8歳にしては、そして2ヶ月も引きこもっていた割には元気なのではないかと感じ、このまましばらくよく食べよく眠り、体力づくりをしていれば健康には問題ないだろうと思えた。
エイダが庭のテーブルに準備してくれていた紅茶を飲んだ後、ストレッチをしている僕をトレイさんが不思議そうに見ていたので、目で何かと問えば、
「そのような運動は見たことがありません。どういう効果があるのでしょうか」
と聞かれた。
確かに子どもでどこかに習いに行ったわけでもない僕のこの動きは怪しまれるだろう。苦笑しながらなんとなく身体が伸びていい気分だからと答えると、はぁともほぅともつかないため息混じりの返事がかえってきた。
そうこうしているうちに日も傾いてきたので部屋に戻ることにした。と、玄関と言うにはあまりに広い入り口から家の中へ進みかけた時、庭の向こうからガラガラという音が聞こえてきたので慌てて部屋へ逃げ帰る。
なんとか間に合い、ホッとして窓辺からそっとうかがうと、馬車から降りたエドガーが自分の半分ほどもあるぬいぐるみを抱えて父と母に笑顔を向けていた。
この世界でも10歳の子どもにとってぬいぐるみは可愛いものなのだなと思って見ていたが、視線を感じて振り向くと、一緒に部屋に引き上げてきたトレイさんが僕を見つめていた。
「ええと、どうかしましたか?」
心配そうな色を浮かべたトレイさんの瞳に何事かと問いかけると
「…ダニエル様も、その…エドガー様のようにご両親とお出かけになりたいのではないかと」
と気まずそうに言われた。そういうことかと驚き、また可笑しくなって
「そんなこと、全く思いませんよ。そうですね、記憶が戻ったら、そう思うこともあるかもしれないけれど…今のところは望んでいない。
第一、領地に行くまで日がないからそんな暇はない。この後少し休んで、夕食後はまた少し資料を読もうかな。トレイさんはどう思う?」
「わ、私ですか?…そうですね、領地についての知識はいくらあっても良いと思います。それから昨日は科学についての本を興味深く読んでいらしたようですから、同じようなものを何冊か準備しておきましょう。辺境の領地ではどんな知識も役立ちますから」
トレイさんが真剣に考えてくれていること、そして昨日の僕の様子をよく見てくれていたことが嬉しくて僕は素直にお礼を伝えた。
そして子どもの身体は休息が必要なのだなあと思いながら、重さを感じる身体をなんとかベッドまで進め、少しだけお昼寝をすることにした。
お読みくださり、どうもありがとうございます。
地味な話ですが、次話以降もよろしくお願いいたします。




