19 複雑な家だった
まだ子どもの話です。
その後トレイさんはすぐにお湯の準備をしてくれた。汚れたものは全て運び出され、私がお風呂に入っている間に清潔な衣類と軽食が揃えられた。
私は自分で身支度を整えてテーブルについた。温かいお茶、柔らかいパン、果物、スープには柔らかく煮込まれた鶏肉が細かくほぐされて入っていた。消化に良いものをと考えてくれたのだろう。いろいろ思うところがあってもトレイさんはこの子を心配してくれていることが伝わってきてホッとした。
「で、エドガーは木から落ちるくらい鈍いの?それとも自分を過信して無茶をするタイプ?」
「…どちらもです」
「ふぅん…どうして弟のせいにしてそれが通るの?普通兄のほうが弟の面倒をみますよね。それが逆転しているってことはエドガーが相当我儘なのか、僕を嫌っていて嫌がらせをしているのか、どっちかな。そもそも僕とエドガーの力関係はどうなっているの」
「あの…エドガー様は、その…」
「トレイさん、大丈夫、僕は傷つかないよ、何も覚えていないから。僕は自分がダニエルだとは思えないし、8歳の子らしくないんだろうなというのはトレイさんの顔を見ていればわかるけどこれが自分の普通だと感じているし、本当にただこの状況がどういうものなのか知りたいだけなんです。
エドガーと僕の関係はどういうものなのか教えてほしい…もしも、僕の出自、生まれにも関係あるのだとしたら、それも。言いにくいかもしれませんが、その…トレイさんには命令したくないから、お願いします…」
ズルい言い方だとは思ったけれど中身はしっかり大人なので、トレイさんが断れないように要求を伝える。言葉遣いは相手の様子を見ながらくだけた言い方や敬語を組み合わせる。と言ってもどうしても目の前のトレイさんや働いている人たちに対しては乱暴な物言いをする気にはなれないのだけれど…。
トレイさんは諦めたような、ホッとしたような顔で話し始めた。
「…エドガー様は旦那様の前妻の…前の奥様とのお子です。前の奥様、ベアトリス様がエドガー様をご出産後、流行病で亡くなられ、エドガー様はしばらくは旦那様のお母様、エドガー様とダニエル様のお祖母様でございますね、の元でお過ごしでした」
「…ふぅん。エドガーの母親が亡くなったのは彼が何歳の時ですか?」
私の様子を見て理解できていると考えたのだろう、言葉遣いに少々苦い表情ながらトレイさんが続ける。
「エドガー様がお生まれになって半年でございました。1歳におなりになる頃、旦那様はダニエル様のお母様、オルガ様と再婚なさったのです。そうしてダニエル様がお生まれに」
へぇ…と思った。ダニエルは今の妻の子ということか。2歳違いだから父親は前妻の生前からオルガ、ダニエルの母親と関係があったとも思えない。だらしない人間ではないと思っていいのだろうか。
そう言えば父親は金髪、母親は赤い髪をしていたがエドガーの髪の色は茶色だった。ベアトリスという人が茶色の髪の持ち主だったのだろう。今の妻は前妻とその子に気を遣ってなのか、遠慮してなのか、本当のところはわからないけれど自分の子よりも前妻の子を大切にしているということか。
そんなことを考えていたらトレイさんに心配されてしまった。
「あの、ダニエル様、お加減でも?お休みになられますか?」
「あ?ああ、いいえ、体調は悪くないです。しっかり食事もとったし。自分の置かれている状況を考えていただけです。ええと、つまり、エドガーは父親の前妻ベアトリスさんの子で、僕は後妻のオルガさんの子、オルガさんは父親とエドガーに遠慮があってか僕の世話には積極的ではない。
そういう関係なのでここで働いている皆さんも僕への対応に困っていて、まあ放置に近い状態で、生かしてはおいてくれてた…って感じであってますか?」
「…っダニエル様っ…!」
「あ、ごめんなさい、お父様、お母様でしたね」
「そうではなく…」
「あの、さっきも言いましたけど、僕は何も覚えていないのでこの話をしていても自分のことだとは思えないので、他人行儀というかぶっきらぼうというか失礼な感じだったらすみません。でもまあそこは我慢してください。
とりあえず状況はこれで合っているということですね?」
「…はい、概ね」
「ふぅん?まだ何かあるってことですかね。でもまあいいです、なんとなくはわかったので。それで、今日僕が部屋の外に出たのはどういう理由があったんでしょうか。何か思い当たることはありますか?」
「…はい、それは、その…」
トレイさんは今度こそ本当に気まずそうで、話すことをためらっているようだった。肩を落として、床を見つめている。
「トレイさん、大丈夫です。聞いてもそうなんだなくらいにしか思いませんよ。多分ですけど。
ただ、閉じこもっていた僕がいきなり外に出たのですから、よっぽどのことが起きたのでしょう?何か僕がしなくてはならないことができたとか、ですか?」
トレイさんはパッと顔を上げて僕を見た。図星のようだ。一瞬眉間にシワが寄り、すぐに眉尻が下がってちょっと泣きそうな顔になってしまった彼に、僕は頷いて見せた。
「…領地に」
「…」
「旦那様が辺境の北の領地に向かわれるのですが、それに…」
「僕が同行する?」
「…はい」
「ええと…何が問題なのかな?父親が連れて行ってくれるなんて、僕にとってはいいことなんじゃないかって思っちゃうんだけど?」
「領地はここから遠く離れた北にあり、到着までは辛い旅程となります」
「は、そういうこと。あとは?」
「土地は寒く、人が生きるのには厳しい環境です」
「なるほどね、そこにエドガーをやるのはしのびないから僕を連れて行って、できればそこに置いてこようって算段か」
「…」
「いいじゃない、そのほうが。僕にとってはいいことだよ」
僕の返事を聞いてトレイさんはまた目を丸くした。
「だってここにいても放置されて特に大切にされもしないんでしょう?それなら知らない人たちの中でも自分で努力できることを見つけるほうが僕はいいな。
多分階段から落ちる前のダニエルもそう思って自分でできることをしようと気持ちを切り替えたんじゃないかな」
「ダニエル様…」
「出発はいつ?」
「…一週間後です」
「そう、わかった。じゃあそれまでにきちんと食べて寝て、休んで、体力を戻さないとね。部屋の中を整えるのは任せていいかな」
「もちろんです」
「ありがとう。それからその北の領地のことが分かる資料を準備してもらえる?地形や気候、産業に関することが知りたい。それからこれまでの歴史、これはそんなに昔からじゃなくていいけど、どういう統治がされてきたのかは知っておきたい。
あ、もしかして『辺境』ってやつで治める人がころころ変わったり攻め込まれて戦いになったりしてきた場所だったりする?」
前世の漫画なんかの知識をもとにそう問いかけるとトレイさんは目をまん丸にしていた。
「そ、その通りです。今は落ち着いていますが、一昔前まではしょっちゅう隣国と小競り合いが」
「へぇ〜テンプレ乙って感じだね」
「は?」
「なんでもない。こっちの話。じゃあ申し訳ないけど、よろしくお願いします」
「と、とんでもない、すぐに準備いたします」
「あ、ねえ」
部屋から出て行こうとしたトレイさんを呼び止める。
「トレイさんっていくつなんですか?いつから僕のことを見てくれているの?」
トレイさんはおやという顔をした。自分のことを聞かれるとは思っていなかったのだろう。すぐに笑顔になり、
「私は28歳になりました。ダニエル様が生まれてすぐにこのお屋敷に来て、それからずっと一緒におりますよ。北にも一緒にまいります」
そう答えて、部屋の中へ戻ってきた。そして私の前に跪くと
「ダニエル様、これまでのことを謝罪いたします。私がもっと旦那様にはっきりと申し上げるべきでした。ダニエル様の従者として力及ばずここまできてしまいました。これからは全力でダニエル様をお守りいたします」
と真っ直ぐに私を見つめて言った。
「あ、あああ、はい、ありがとうございます?でも、その、トレイさんにも立場というものがあったでしょうから、あまり気にしないでください。それよりも、これからのこと、よろしくお願いします。頼りにしていますから」
トレイさんは私の言葉に困ったように、でも微笑んで頷くと立ち上がり、今度こそ部屋から出て行った。
お読みくださりありがとうございました。
状況に腹を立てて、子どもの振りをする気もない主人公です。




