13 本心
ちょっとツラい話が続いております。
11年間。言葉にするとなんて軽いんだろう。
エミリアは聖女になるために厳しい修行に耐えながらも僕に愛を請うた。僕もそれに応えた。あの堅苦しい家での、楽しく美しい日々。エミリアがいたからこそ感じられた幸せだった。
でも、それは唐突に終わりを迎えた。エミリアは世界を救うために強い聖女にならねばならず、そのために愛を深く知り、その愛を諦める必要があった。ここは「そういう世界」で、彼女のためにある。
今、僕の目の前で苦しむディエゴを見てそのことを痛感する。そして思う。エミリア、彼女はこれから先、どれだけの人を傷つけながら強くなっていくのだろう…この世界を救うために。
彼女に傷つけられる人がいて救われるこの世界。僕達はそのための小さなピースにすぎない。知りたくなかった、こんなこと。
ああ、そうだ、今もなお、彼女を思うと…胸が痛まないと言えば嘘になる。こんなに傷つけられたのに。でも、もう僕は苦しまない。だってそれは僕の、僕のせいではないから。僕は僕の人生を生きればいいんだ。
僕は心のなかで慟哭するジーノに呼びかける。ジーノ、もう、自由になろう。悲しみは抱いたままでもいいから。自分を責めないで。
そして同じことを目の前で震えるディエゴに伝える。
「ディエゴ、エミリアは選ばれし者だ。僕だけではない、君だって、誰だって彼女が何かを決めて動き出したら止めることはできないんだ。それは僕達のせいではない。気にするな」
「っうるさいっ!お前に何がわかる!」
ディエゴが怒りと悲しみに満ちた目で僕を見つめる。僕はそんな彼の気持ちに気付かない振りをして、手を広げて大げさに嘆いて見せる。
「わかるさ。だって僕も同じだった。彼女が自分自身を切り拓いて前へ進んでいくために、僕は必要のない人間になった。そればかりか、引き取られた先の家は、本当は僕の家ではなかったのさ。それでこうして平民に戻って暮らしているってわけだ。君は少なくとも家があるじゃないか。君を大切にしてくれる家族も使用人もいる。僕よりずっとマシだ」
ディエゴの表情から少しだけ怒りが消えた。
「エミリアはこの先すごい聖女になるだろう、それこそ国を守るような聖女に。その彼女の邪魔になるわけにはいかない。こうして彼女との関係が終わったのはもちろん寂しい。けど、僕達との出会いと別れが彼女の聖女としての成長を支えたんだと思うと、それはそれで意味があったんだろうと思う」
ディエゴの顔から怒りが抜け落ち、悲しみと困惑が広がる。
「お前…」
「あ、勘違いしないでくれよ。だからってエミリアを許せるかっていうとそんなことはないから。本当のところ、かなり腹が立っている」
ディエゴが意外だという顔をする。こいつ、わかりやすい奴だったんだな、とほんの少しばかり愉快になる。言わないけど。
「だって、11年も貴族としてあれこれさせられた上に、言い寄ってこられたせいで婚約までした相手に振られて、平民に戻れとか、どれだけバカにしてんの?って感じだろう。戻ってきてしばらく、というかつい最近まで何もする気がおきなかった」
ディエゴは僕を見つめている。真面目に暮らしていた僕しか知らないから、ジーノの中にこんな投げやりな感情や言葉が詰まっているなんて思いもしなかったんだろう。
実際、僕だって今こうして『ゆかり』が話していることで自分の考えが明らかになっていてびっくりしている。ジーノは黙って我慢して自分を責めるばかりだったから、自分が怒っているって、ふざけるなっていろんなものを恨んでいるなんて、考えもしなかったんだ。そうだ、本当は僕はもっと怒って良かったんだ。
「でも、この前、ちょっと体調を崩してさ、その時、死にたくないって思ったんだ。生きていたいって。そしてどうせ生きるなら幸せになってやるって思った。
僕も、孤児院のみんなも、一緒に幸せになる、そう決めたんだ。だって、貴族に間違えられたのも、エミリアに好かれたのも、振られたのも、家を追い出されたのも、大部分は巻き込まれただけだ。
そんな偶然を恨んで、自分の何が悪かったんだろうって悩んでも、無駄だよね。だから僕はもう悩まないことにしたんだ。ディエゴ、君だって同じじゃないか?急にエミリアのお相手だって言われて、舞い上がって、でも、すぐに見放された。だろう?」
「…」
「きっとエミリアは強い聖女になるために他のいろんなものを必要とする人間なんだよ。そして相手から何かを得て成長すると次を探して去っていく。
選ばれた方は迷惑だけど、世界はそんな彼女を必要としている。僕は…そんな彼女を愛していた。それは途中経過はどうあれ、本当の自分の気持ちだった。だから、ツラかったよ。でも仕方ないんだよな…本当に」
頬に熱いものが流れるのが感じられた。泣いているんだとわかった。ディエゴもリーナも見ていたけど、そんなこと気にならなかった。目をつぶっても後から後から溢れる涙に心が溶け出すようだった。
「ははっ、僕も今自覚したかも。君にこんな偉そうに話しているくせにね。だから、君もさ、『運が悪かったな、でも自分のおかげで世界はちょっとだけ守られたな』って思っておけばいいんだよ」
しばらくして目を開けると、ディエゴが俯いたまま立ちつくしている。大の大人が悲しいってこんなに泣いているところを見たらいたたまれないか。それとも自分の境遇と重ねて辛いのか。
なんにせよ、その感情は自分で処理するしかないよ、と心の中でディエゴに呼びかける。そして、悪いけどこれは言っておかなくちゃ。
「ディエゴ、君、エミリアを諦められなくて彼女のいる大聖堂に行って偶然リーナに出会って見初めたなんてことなんだろうけど、悪いけどリーナを君に渡すことはできないよ」
ディエゴがパッと顔を上げた。当たりか、それくらいありふれた物語なんだろうな。
「リーナはうちの大事な子なんだ。だから今、君に渡すことはできない。もう少しリーナが大きくなって、自分のことを自分で決められるようになったら、その時にまた来なよ。その時にリーナが君を選んだら、一緒になればいい。でもまだリーナは子どもだから、守られる必要があるんだ」
ディエゴの瞳が迷いで揺れる。
「決して僕がまた君に取られると思って焦っている訳じゃあないからさ。そうだ、下心ありでもいいからうちの院に遊びにおいでよ。ディエゴは貴族でこの辺りを治めている人間の1人なんだから、きっといい経験になるよ。いいところを見せればリーナの気持ちも傾くかもしれないし、ね、リーナ?」
リーナはちょっとムッとした顔だったが、ディエゴには
「…うちの教会に来て小さい子たちと遊んでくれるなら、来てもいいわ」
と言った。
ほらね、リーナは本当にいい子なんだ。ちょっと言い寄られて迷惑かけられたくらいでその人を拒絶したりしない。ディエゴはとても驚いた顔で、でもちょっと嬉しそうで。
「はい、決まり。教会の集まりやバザーの時にでもおいでよね。待っているから。じゃあ今日はこれでおしまい…あ、そうだ、よかったらこれから苗や種や肥料を買うから君のところの馬車で運んでくれない?」
ディエゴは呆れた顔をしたが、なんだかんだ言って買い物にも付き合ってくれて荷物も運んでくれた。これから、彼も自分の道を探して頑張って欲しいと思った。なんたってディエゴはまだ19歳で子どもみたいなものなんだから、これからいくらだって成長できる。
お読みくださり、ありがとうございました。




