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比較不能 ―《比較解析》の少年と、正解のない世界  作者: たんぱくしつ
第二章 共有する少女

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ぼくだけじゃない

一年前のあの日から、ティアは時々、変なことを言うようになった。


 「いま、兄ちゃんの目だった」


最初にそう言ったのは、店の裏で洗濯物を畳んでいた時だった。


シオンは店先にいて、ティアから見えるはずのない場所にいた。


それでも彼女は、入口の横に積んであった木箱の数を当てた。


三つ。


シオンがちょうど見ていたものと同じだった。


それからも、何度かあった。


ほんの一瞬。


長くても、二、三秒。


シオンが見ていた皿。


道を横切った犬。


店先で父が数えていた銅貨。


ティアは突然それを口にして、すぐに首を傾げた。


それでも、祝紋は現れなかった。


祝紋院でエルナに診てもらっても、《鑑定》では発現を確認できなかった。


 「分からないことを、分かったことにしない」


エルナはそう言った。


だからシオンも、分からないまま記録した。


日付。


場所。


距離。


その時、自分が見ていたもの。


ティアが言ったこと。


どれくらい続いたか。


共通点は、まだ見つかっていなかった。


     ◇


 「兄ちゃん、はやく」


 「待って」


 「さっきから待ってる」


 「いま終わる」


店の前で、ティアが頬を膨らませていた。


シオンは帳面を閉じる。


今日は父に頼まれて、商店通りへ油と糸を取りに行くことになっていた。


ティアもついてきた。


十歳になったシオンと、八歳になったティア。


以前ならシオンが手を引いて歩いていたが、最近はティアの方が先へ行く。


 「走るなよ」


 「走ってない」


 「さっき走ってた」


 「いまは走ってない」


間違ってはいない。


シオンは何も言わなかった。


商店通りは昼前で、人が多かった。


野菜を積んだ荷車が通り、布を抱えた女が人の間を抜けていく。


道端では商人が声を張り、遠くからは鉄を叩く音も聞こえていた。


 「レオいるかな」


 「仕事してるんじゃない?」


 「見るだけ」


 「邪魔するなよ」


 「兄ちゃんもするじゃん」


 「ぼくはしない」


 「する」


鍛冶屋へ寄る予定はなかった。


けれど、通りの向こうに見慣れた赤茶色の髪が見えた。


レオだった。


革袋を肩にかけ、こちらとは反対側の店へ向かっている。


 「レオ!」


ティアが手を振る。


声には気づかなかったらしく、レオはそのまま角へ向かった。


その時、角の向こうから大きな音がした。


馬のいななき。


誰かの怒鳴る声。


次の瞬間、荷車が飛び出してくる。


 「危な――」


シオンが言い終わるより先に、レオの姿がぶれた。


《加速》。


一度目。


石畳を蹴り、荷車の前から外れる。


続けて、もう一度。


レオの身体が鋭く前へ抜け、道の端まで移動した。


そのすぐ後ろを荷車が通り過ぎる。


積んであった樽が一つ落ち、石畳の上で割れた。


 「レオ!」


ティアの声。


けれど、見ている場所がおかしかった。


レオではない。


ティアは、何もない道の途中を見ていた。


 「……馬」


 「ティア?」


 「右から、来た」


顔色が変わる。


 「それで……急に、ぜんぶ速くなって」


ティアが目を押さえ、そのまましゃがみ込んだ。


 「ティア」


シオンもすぐにしゃがむ。


怖い。


そう思った。


それでも、次に何を確かめるべきかだけは妙にはっきりしていた。


 「ぼくが分かる?」


 「……兄ちゃん」


 「頭、痛い?」


 「ちょっと」


 「吐きそう?」


ティアが少し考えて、頷く。


 「目は?」


 「ぐるぐるする」


 「どこかぶつけた?」


 「ぶつけてない」


 「手、動かせる?」


 「動く」


 「立たなくていい」


自分でも、どうしてこの順番で聞いているのかは分からなかった。


ただ、確かめないといけない気がした。


後ろから足音が近づく。


 「ティア!?」


レオだった。


 「大丈夫か?」


 「いまは立たせない方がいい」


 「何があった?」


 「まだ分からない」


シオンはティアを見る。


 「何が見えた?」


 「……馬」


 「どんな?」


 「右から来た」


ティアは目を閉じたまま続ける。


 「すごく近くて……レオがよけて」


シオンは通りの角を見る。


ティアがいた場所からでは、馬が角を曲がる前の様子までは見えない。


 「レオ」


 「ん?」


 「最初に馬が見えたの、角を曲がる前?」


 「ああ」


 「どっちから?」


 「右」


シオンは、もう一度ティアを見る。


偶然同じことを言っただけかもしれない。


でも、今までの記録とは違う。


今回は、自分が見ていたものではない。


 「レオ」


 「ん?」


 「二回使った?」


 「……使ったけど」


 「やっぱり」


 「なんで分かるんだよ」


 「右足」


レオが自分の足を見る。


 「二回使った後、少し引きずる」


 「見すぎだろ」


いつものレオなら笑ったかもしれない。


でも今日は笑わなかった。


ティアの前にしゃがむ。


 「俺が見てたやつ?」


ティアは少ししてから、頷いた。


 「……たぶん」


シオンは、その言葉に引っかかった。


たぶん。


まだ、決めてはいけない。


     ◇


ティアの吐き気が落ち着くまで、三人は近くの日陰で休んだ。


父にはレオから事情を伝えてもらい、シオンはティアを連れて祝紋院へ向かった。


エルナは診察室でティアの顔を見ると、すぐに椅子を引いた。


 「座って。無理して話さなくていいから」


ティアが座る。


シオンはその横に立ったまま、話し始めた。


 「レオが《加速》を使った時にティアがレオの視界を見ました。それで速すぎて気持ち悪くなって、たぶん《加速》の視覚情報がそのまま――」


 「シオン」


止められた。


 「なに?」


 「一回、分けよう」


エルナは机から紙を一枚取る。


 「見たこと」


紙の左側を指す。


 「そうだと思ったこと」


今度は右側。


 「別々に話して」


シオンは口を閉じた。


 「……違うの?」


 「違うことがある」


エルナは責めるようには言わなかった。


 「まず、あなたが実際に見たことは?」


シオンは少し考える。


 「レオが《加速》を二回使った」


 「うん」


 「そのあと、ティアがしゃがんだ」


 「うん」


 「頭が少し痛いって言った。吐き気と、目がぐるぐるする感じも」


 「それから?」


 「ティアが、右から馬が来たって言った」


 「見える場所だった?」


 「たぶん――」


言いかけて止める。


 「ぼくが確認した限りでは、見えにくい場所だった」


エルナが少し笑う。


 「その言い方ならいい」


紙の左側に短く書く。


 「じゃあ、そうだと思ったことは?」


 「ティアがレオの視界を見た」


 「それは?」


シオンは少し黙る。


 「……まだ、確かめられてない」


 「そう」


 「でも、レオが見たものとは合ってる」


 「そこは確認できる」


エルナは、あとでレオからも話を聞くと言った。


それからティアの様子をもう一度確かめ、《鑑定》を使う。


瞳の奥に淡い光が浮かんだ。


しばらくして、エルナの表情がわずかに変わる。


 「まだ、祝紋の発現は確認できない」


 「じゃあ何なの?」


シオンが聞く。


 「分からない」


エルナはあっさり答えた。


 「でも、前より調べる理由は増えた」


シオンは鞄から小さな帳面を取り出し、新しい頁を開く。


『今日あったこと』


その下に書く。


『レオが《加速》を二回使った』


『ティアは、馬が見えにくい場所にいた』


『ティアは右から来た馬を知っていた』


『頭痛、吐き気、目がぐるぐる』


少し空ける。


『まだ分からないこと』


『近くにいたから?』


『知ってる人だから?』


『見るだけ?』


さらに少し考える。


これまで起きたことは、すべてシオンとティアの間だった。


だから、自分とティアの間だけに起きる何かだと思っていた。


でも今日は違った。


シオンは最後に一行だけ足す。


『ぼくだけじゃない』


その下に、もう一つ。


『見たことと、考えたことは分ける』


書き終えたところで、隣からティアが覗き込む。


 「字、小さい」


 「読むなよ」


 「見えるもん」


 「じゃあ離れて」


 「やだ」


いつもの声だった。


シオンは少しだけ息を吐く。


今は、まだ分からない。


分からないことが、一つ増えただけだった。


ただ、帳面の最後に増えた一行だけは、これまでとは違っている。


『ぼくだけじゃない』


今までの記録を、最初から見直す必要がありそうだった。

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