分からない条件
翌日、シオンたちは祝紋院にいた。
ティアの体調は、朝にはほとんど戻っていた。
頭痛もない。
吐き気もない。
朝食も、いつも通り食べた。
それでもエルナは、もう一度ティアを《鑑定》した。
結果は昨日と同じだった。
「発現は確認できない」
「やっぱり?」
ティアが聞く。
「うん」
エルナは短く答えた。
「だから今日は、できるだけ安全なことだけ試す」
机の上には、何枚かの紙と小さな木札が並べられていた。
レオも来ている。
昨日のことを確認するために呼ばれたらしい。
「何するんだ?」
レオが木札を一枚持ち上げる。
裏側には丸が描かれていた。
「まずは簡単なものから」
エルナが木札を取り返す。
「シオンだけが見る。ティアちゃんは反対を向く」
「当てればいいの?」
「見えたらね」
ティアは椅子ごとくるりと向きを変えた。
シオンは木札を受け取る。
三角。
「見た」
「ティアちゃん?」
「……分かんない」
次は丸。
その次は四角。
どれも同じだった。
「何も見えない?」
「見えない」
ティアが答えたあと、少しだけ首を傾げる。
「でも、兄ちゃんがこっち見てる気がする」
「それは見えてるからだろ」
レオが言う。
ティアが振り返った。
「見てないもん」
「じゃあ、なんで分かったんだよ」
「なんとなく」
「二人とも」
エルナが止める。
「それも今は決めない」
シオンは帳面を開いた。
『木札 失敗』
と書きかけて、手を止める。
二文字を消し、代わりに書いた。
『三回とも見えない』
失敗と決めるより、その方が正確だった。
◇
その後は、条件を一つずつ変えた。
同じ部屋。
廊下。
扉を一枚挟む。
逆に、すぐ隣に立ってみる。
手もつないだ。
それでも何も起きなかった。
「昨日より近いのに」
シオンが言う。
「近ければ起きる、とは限らないってことね」
エルナが返す。
シオンは帳面に、
『近さだけじゃない?』
と書いた。
手をつないだ時も同じだった。
「兄ちゃんの手、ちょっと冷たい」
「それは関係ない」
「あるかもしれないだろ」
レオが横から言う。
「ないと思う」
「思う、だろ?」
シオンは少し黙る。
昨日、エルナに言われたことを思い出した。
「……まだ分からない」
「言い直した」
レオが笑う。
「うるさい」
エルナも少し笑っていた。
◇
昼前。
今度はレオを相手にした。
《加速》は使わない。
昨日のように危険なことをする必要はないと、エルナが止めたからだ。
レオが窓の外を見る。
ティアは背を向ける。
「何見てる?」
「言ったら意味ないだろ」
「分かってる」
「じゃあ聞くなよ」
ティアが頬を膨らませる。
レオが見ていたのは、中庭の井戸だった。
ティアには何も見えない。
場所を変えても、歩きながら試しても同じだった。
「昨日はできたのに」
ティアが言う。
声に少しだけ苛立ちが混じっていた。
「できた、とはまだ言えない」
シオンが言う。
「でも見えたもん」
「それはそう」
「じゃあ、できたじゃん」
シオンは言い返そうとして、やめた。
見えたことは事実だ。
どうして見えたのかが分からないだけだった。
「見えた。でも、同じことができない」
そう言うと、ティアは少しだけ納得したようだった。
「それなら分かる」
エルナは、そのやり取りを黙って見ていた。
◇
昼を過ぎる頃には、みんな疲れていた。
ティアは机に頬杖をつき、レオは椅子を後ろに傾けている。
シオンだけが帳面を見ていた。
『分かったこと』
『昨日、ティアはレオが見ていた馬を知っていた』
『今日は同じことが起きていない』
その下に少し間を空ける。
『近さだけじゃない?』
『触るだけでもない?』
さらに、
『まだ分からないこと』
『だれなら起きる?』
『いつ起きる?』
『どうしたら止まる?』
『見るだけ?』
最後の一つだけ、少し強く書いた。
「シオン」
エルナに呼ばれる。
「今日はもう終わり」
「まだできる」
「ティアちゃんが疲れてる」
シオンは隣を見る。
ティアは机に伏せていた。
「疲れてない」
顔を伏せたまま言う。
「それは疲れてる人の言い方」
エルナが言う。
「俺もそう思う」
レオが笑った。
「レオは黙って」
ティアが顔を上げる。
その時、中庭から犬の吠える声がした。
「あっ」
レオが反射的に窓の外を見る。
荷物を運んでいた男のそばで、一匹の犬が吠えていた。
その拍子に積まれていた籠が傾き、赤いリンゴが一つ地面へ落ちる。
ころころと転がっていく。
「……りんご」
ティアが言った。
シオンが振り向く。
ティアは窓とは違う方を向いていた。
「ティア?」
「いま、落ちた」
「何が?」
「りんご」
レオが窓の外を見る。
転がったリンゴは、ちょうど職員が拾い上げたところだった。
シオンはティアを見る。
「どこに見えた?」
「分かんない」
「自分の目?」
ティアは首を振る。
「ちがうと思う」
「じゃあ、レオ?」
「……分かんない」
少し強い声だった。
シオンはそれ以上聞かなかった。
エルナがティアを見る。
「頭は?」
「痛くない」
「気持ち悪い?」
「平気」
「ほかに変な感じは?」
ティアは少し考える。
「一瞬だけ、どっち見てたのか分かんなくなった」
エルナの表情が、ほんの少しだけ変わる。
シオンは帳面を開いた。
「書いていい?」
「いいよ」
『休んでいる時』
『犬が急に吠えた』
『レオがそっちを見た』
『落ちたリンゴ』
『一瞬』
『自分の目か、だれかの目か分からない』
少し考えて、その下に書く。
『急に注意が向いた時?』
さらに、
『まだ分からない』
と付け足した。
◇
帰る前。
エルナはシオンの帳面を借り、しばらく無言で頁をめくった。
「昨日より見やすい」
「分けたから」
「うん」
エルナは帳面を返す。
「でも、一つだけ覚えておいて」
「なに?」
「再現できないから安全、ではない」
シオンは顔を上げた。
「むしろ反対?」
「場合による」
エルナはティアを見る。
「いつ起きるか分からない。誰につながるか分からない。本人が止められるかも分からない」
少し間を置く。
「それは、私だけで判断していい段階じゃなくなってきてる」
「中央に言うの?」
「昨日のことはもう報告してる。今日のことも追加する」
ティアが首を傾げる。
「中央って?」
「もっといろんな祝紋を見てる人たちがいるところ」
「エルナさんより?」
「私より、ずっとたくさん見てる人もいるよ」
ティアは、
「ふうん」
とだけ言った。
それ以上は、あまり気にしていないようだった。
シオンはその横で帳面を閉じる。
分からないことは、昨日より増えていた。
それでも、前より少しだけ、どこが分からないのかは見えてきた。
それはたぶん、何も分からないのとは違った。




