流通の向こう側
違いがある。
そこまでは分かった。
では、いつ違ったのか。
シオンは翌朝から帳簿を開いていた。
「またそれか」
ガルドが言う。
「またこれ」
シオンは返した。
店の奥に積まれた帳簿は、子供には少し重い。
けれど、最近の仕入れ分くらいなら自分でも追える。
ルーメ草。
入荷日。
数。
値段。
仕入れ先。
何度か見直す。
問題が出たのは、最近入った分。
それより前は、少なくともドランのところでは問題がなかった。
「父さん」
「ん?」
「これ、同じ人から買ってる?」
ガルドが帳簿を覗き込む。
「ああ。ベルクだな」
「ずっと?」
「ルーメ草は、ここ半年くらい」
「前のも?」
「そうだ」
シオンは少し考える。
同じ人。
でも、前は大丈夫だった。
「じゃあ、ベルクさんが悪いってことじゃない?」
「まだ何も分からん」
ガルドはそう言って、帳簿を閉じかけた。
シオンが手で止める。
「もうちょっと見る」
「好きだな、お前」
「分からないから」
「そうだったな」
ガルドはそれ以上、何も言わなかった。
⸻
昼前。
エルナが店に来た。
手には数枚の紙を持っている。
「西通りの薬屋からも、同じ時期のルーメ草が出てきた」
ガルドが受け取る。
「仕入れは?」
「同じ中間商人」
「ベルクか」
「そう」
シオンも紙を覗き込む。
名前。
日付。
数。
読めるところだけ拾う。
「でも、前の草もベルクさんなんだよ」
エルナがシオンを見る。
「そこまで見たの?」
「うん」
「じゃあ、人じゃなくて時期かもしれないわね」
その言葉に、シオンの手が止まる。
人じゃなくて、時期。
もう一度、帳簿を見る。
同じベルク。
違う時期。
「どこから来た草か分かる?」
ガルドが紙を指でなぞる。
エルナが首を振る。
「農村の名前までは書いてない。本人に聞くしかないわね」
「会える?」
「呼んである」
シオンが顔を上げる。
「今日?」
「今日」
「早い」
「仕事だから」
⸻
ベルク・サージェンは、シオンが思っていたより普通の男だった。
もっと嫌な顔をしていると思っていた。
どうしてそう思ったのかは、自分でもよく分からない。
少し太った身体に、よく日に焼けた顔。
旅用の上着を着ている。
店に入るなり、ガルドへ手を上げた。
「話は聞いた」
声も普通だった。
ガルドは店台に問題のルーメ草を置く。
「これ、どこから入れた?」
ベルクは草を見る。
「北のルーク村だ」
ドランが腕を組む。
「全部か?」
「この時期のはな」
「前のは?」
「別の村も混ざってる」
シオンはベルクを見る。
「この草、いつもと違うって思った?」
ベルクが少し驚いた顔をする。
「坊主が聞くのか」
「だめ?」
「いや」
ベルクは草を一束持ち上げる。
「少し乾きが強いとは思った」
店の空気がわずかに変わる。
ガルドが聞く。
「気づいてたのか」
「気づいてたってほどじゃない」
ベルクはすぐに返した。
「色も形も問題なし。《鑑定》にも通した」
エルナが顔を上げる。
「誰に?」
「街道沿いの鑑定所だ。記録もある」
「異常なし?」
「そうだ」
ベルクは草束を置く。
「だから買った」
ドランが低い声で言う。
「薬として弱い」
「それは今聞いた」
「なら売るな」
「今だから言える話だろ」
二人の間の空気が張る。
ガルドが手を上げた。
「やめろ」
ベルクは息を吐く。
「俺だって、使えない物を流したつもりはない」
「でも、いつもと違った」
シオンが言う。
ベルクはシオンを見る。
「少しな」
「なんで買ったの?」
その質問には、すぐ答えなかった。
少ししてから口を開く。
「向こうも困ってたからだ」
「雨が続いてな。乾燥が間に合ってなかった」
「乾燥?」
シオンが反応する。
ベルクは頷く。
「いつものやり方じゃ、出荷に間に合わないって話だった」
「それで?」
「少し強めに乾かしたらしい」
ドランの顔が変わる。
「強めに?」
「詳しくは知らん」
シオンはノートを開く。
「どれくらい?」
「だから知らんって」
「時間は?」
「知らん」
「火は?」
「知らん」
「シオン」
ガルドに止められた。
聞きすぎた。
シオンは口を閉じる。
でも、頭の中では止まらなかった。
乾燥。
前の草と、新しい草。
違う。
もしかして。
⸻
その日の午後。
ガルド、シオン、ドラン、エルナ、ベルクの五人は北門を出た。
アルネアの外へ出るのは、シオンにとって珍しかった。
街道の先には畑が広がり、その向こうに低い丘が見える。
ベルクは少し先を歩いている。
仕入れのたびに通っている道らしく、迷う様子はなかった。
ルーク村までは、歩いて半日もかからないらしい。
「レオは?」
シオンが聞く。
「鍛冶場だろ」
ガルドが答える。
「来たがってた」
「遊びじゃない」
「言った」
「なんて?」
「絶対ついてくって」
「来てないじゃない」
「親父さんに、仕事を放り出すなって捕まった」
シオンは少しだけ笑う。
たぶん、かなり揉めたのだろう。
前を歩いていたベルクが振り返る。
「元気な友達だな」
「うるさいけど」
「友達なんて、そんなもんだ」
ベルクはそれだけ言って、また前を向いた。
⸻
ルーク村は、小さかった。
家と畑が並び、その外れに薬草を乾かすための小屋がある。
ハンナ・ルークは、腕の太い女性だった。
年齢はよく分からないが、ガルドより少し上に見える。
事情を聞くと、すぐに乾燥小屋へ案内した。
「隠すことはないよ」
ハンナは言う。
「今年は雨が多すぎた」
小屋の中には、吊るされた薬草が何列も並んでいた。
香りが強い。
「いつものやり方じゃ、次の便に間に合わなかった」
ドランが壁際の炉を見る。
「火を強くしたのか」
「ああ」
「どれくらい?」
「普段よりかなり」
「かなりじゃ分からん」
ハンナが肩をすくめる。
「そう言われてもね。うちは薬師じゃない」
シオンは乾燥棚を見る。
「前のやり方で乾かしたの、残ってる?」
ハンナが少し考える。
「倉庫に少し」
「見たい」
「いいよ」
⸻
二つの草が並んだ。
同じ村で採れた、同じルーメ草。
違うのは乾かし方だった。
シオンはしばらく二つを見る。
「ここで薬にできる?」
ドランが答える。
「最低限なら」
準備が始まった。
前と同じように、草の重さを揃える。
同じ水を使い、できるだけ同じ火加減で、同じ時間だけ煮る。
シオンは横で待った。
今度は、前ほど長く感じなかった。
二つの抽出液が並ぶ。
ドランが反応を見る棒を近づける。
シオンも二つの光を見る。
光の強さ。
《比較解析》。
いつもの乾燥方法で作った方が強い。
シオンは何も言わず、もう一組を見る。
同じ。
さらにもう一組。
結果は変わらなかった。
ドランが低く息を吐く。
「これだな」
ハンナが顔をしかめる。
「乾かし方で?」
「たぶん」
「腐ってないよ」
「腐ってはいない」
ドランは答える。
「でも、薬として使うには弱くなってる」
ハンナはしばらく黙って、吊るされた草を見る。
「……知らなかった」
その声は小さかった。
誰もすぐには何も言わなかった。
シオンも。
⸻
帰り際。
ハンナがガルドに言った。
「返品なら受ける」
「全部は無理だろ」
「でも、うちの草だ」
「うちも売った」
短いやり取りだった。
ベルクも黙って聞いている。
シオンは横で三人を見ていた。
ベルクも。
ハンナも。
父も。
たぶん、誰も最初から薬を効かなくしようとしたわけではない。
それでも、効きの弱い薬ができた。
シオンには、そこが少し変に思えた。
誰も嘘をついていない。
誰も使えない草を売ったつもりもない。
それでも、問題は起きた。
村を出てしばらくした頃。
ベルクがシオンの横まで歩みを緩める。
しばらく無言だったが、やがて口を開いた。
「坊主」
「なに?」
「俺は、どうすりゃよかったと思う?」
シオンは足を止めた。
答えようとする。
でも、出てこなかった。
《鑑定》では異常なし。
見た目も問題なし。
農家は困っている。
買わなければ、全部捨てることになったかもしれない。
売れば、今回みたいになるかもしれない。
シオンは考えた。
それでも、答えは出なかった。
「分からない」
ベルクは笑わなかった。
怒りもしなかった。
「そうか」
それだけ言って、また歩き出す。
シオンはその背中を見ながら、少しだけ落ち着かない気持ちになった。
比べれば分かるものはある。
でも、分かったからといって、どうすればいいかまで決まるわけではない。
そのことを、シオンは初めて知った。




