比較できる形
ドランの工房は、シオンが思っていたより狭かった。
棚には瓶や乾燥した草、粉、見たことのない実や色のついた液体が並んでいる。
壁際には小さな炉があり、部屋の奥では湯が沸いていた。
匂いも一つではない。
甘いもの。
苦いもの。
少し焦げたようなもの。
シオンは入口で一度立ち止まった。
「触るなよ」
ドランが言う。
「触らない」
「お前じゃない」
後ろを見ると、レオが棚の瓶を覗き込んでいた。
「まだ何もしてない」
「する顔してた」
「顔で分かるの?」
「分かる」
レオが不満そうに口を尖らせる。
少し遅れて、エルナも工房へ入ってきた。
「本当にやるのね」
「やる」
シオンはノートを抱えたまま答える。
「何を比べるかは決めた?」
その問いに、シオンは黙った。
決めていない。
正確には、まだ決められていなかった。
「先に同じにする」
「何を?」
「できるだけ全部」
エルナが少しだけ笑う。
「なるほど」
⸻
ドランが古いルーメ草と新しいルーメ草を机に置いた。
「まず量だ」
小さな秤を出す。
シオンはそれぞれを量り、同じ重さになるように少しずつ葉を減らしていった。
「これでいい?」
「いい」
次は水。
同じ大きさの器を二つ並べ、同じ量の井戸水を入れる。
レオが横から覗く。
「そこまで一緒にすんの?」
「違うところを見たいから」
「草が違うだろ」
「だから、それ以外を同じにする」
レオは少し考える。
「めんどくさ」
シオンは気にしなかった。
火も同じにしたい。
けれど、炉は一つしかない。
「二つ同時は無理だな」
ドランが言う。
シオンは炉を見る。
「同じ鍋は?」
「ある」
「火は?」
「同じようにはできる」
「どうやって?」
「同じくらいの炭を使う。完全に同じは無理だがな」
その言葉に、シオンは少しだけ引っかかった。
完全に同じにはできない。
それくらいは分かる。
「じゃあ、できるだけ同じにする」
二つの鍋を順番に火へかける。
同じ量の炭。
同じくらいの火加減。
同じ時間。
ドランが火を見て、シオンは横で時間を数えた。
途中でレオが欠伸をする。
「まだ?」
「まだ」
「ずっと数えてるだけじゃん」
「ずれたら困る」
「一つくらい平気だろ」
「分からないだろ」
「分からないから言ってんの」
シオンは答えず、そのまま数え続けた。
⸻
やがて、二つの抽出液ができた。
どちらも薄い緑色で、匂いも大きくは変わらない。
ドランが片方を持ち上げる。
「薬にするなら、ここから他の材料を入れる」
「今は入れないで」
「分かってる」
机の上に二つを並べる。
古いルーメ草から作った液。
新しいルーメ草から作った液。
シオンは二つを見る。
左目の奥が熱を持ち、輪郭が浮かぶ。
けれど、そこで止まった。
「何を聞く?」
エルナが言う。
シオンは二つの液体を見つめる。
魔力。
それはもう何度も比べた。
でも、それだけでは駄目だった。
「ドラン」
「なんだ」
「これ、何が多いと効くの?」
ドランが顔をしかめる。
「だから細かいことは知らん」
「でも、何かは出てるんだろ?」
「そりゃ出てる」
「それって量?」
ドランは少し黙ってから、棚の奥にある細い棒を一本取った。
先端には、淡い色の石がついている。
「薬師は、こういうので見る」
棒を古い方の液へ近づける。
先端の石が淡く光った。
新しい方へ近づける。
こちらも光る。
「何?」
「薬性反応」
「やくせい?」
「効き目の元が、どれくらい出てるかを見る目安だ」
「量がある?」
「そう考えていい」
シオンはすぐに二つを見る。
薬性反応の量。
《比較解析》。
何も起きない。
「……駄目」
「その言い方じゃ比べられないんじゃない?」
エルナが言う。
シオンは棒を見る。
「エルナさん、《鑑定》で分かる?」
「やってみる」
エルナの瞳に薄い光が浮かぶ。
まず古い方。
「ルーメ草抽出液。治癒性あり」
次に、新しい方。
「同じ」
「どれくらい治る?」
「そこまでは出ない」
シオンは少しだけ眉を寄せた。
まただ。
情報はある。
でも、足りない。
ドランが棒を机に置く。
「薬性ってのは一つじゃない。傷に効くものもあれば、熱を抑えるもの、毒に使うものもある」
「ルーメ草は?」
「傷だ」
シオンは二つの液を見る。
傷に効くものの量。
何も起きない。
治る力の量。
これも駄目。
傷を治す――。
そこで止まった。
言葉が悪い。
昨日までなら、ここで何度も言い換えていた。
でも今日は、一度目を閉じた。
何を知りたい?
どちらが良い薬か。
それは比べられない。
どちらがよく治るか。
それも今ここにはない。
なら、今ここにあるもので比べられるのは何だ。
シオンは目を開く。
「ドラン」
「ん?」
「この棒、光が強い方が薬も効く?」
「傷薬なら、だいたいはな」
「だいたい?」
「他の材料にもよるが、同じ作り方なら強い方が効きやすい」
シオンは棒を見る。
古い液に近づけた時の光。
新しい液に近づけた時の光。
今、目の前にある二つ。
「光の強さ」
視界が変わった。
二つの光の輪郭が浮かび、その間に線が現れる。
感覚が左へ傾いた。
シオンは息を止める。
「……こっち」
「何が?」
「前の草で作った方が、光が強い」
ドランがもう一度、棒をそれぞれの液へ近づける。
目で見ただけでは、ほとんど違いが分からない。
だから、もう一組試した。
別の古い草。
別の新しい草。
同じ量に揃え、同じ水を使い、同じように煮る。
時間はかかった。
途中でレオは床に座り込んだが、それでも待った。
二つの液ができる。
シオンが見る。
光の強さ。
《比較解析》。
古い方。
もう一組。
古い方。
四組目も、古い方だった。
シオンはノートを開く。
少しだけ手が震えていた。
『前の草で作ったほうが、いつも光が強い』
その下に続ける。
『草のままだと分からなかった』
少し考えて、さらに一行書いた。
『ほかを同じにしてから比べた』
シオンは鉛筆を止める。
それだけだった。
でも、何かが変わった気がした。
⸻
「これで決まり?」
レオが聞く。
「何が?」
「新しい草が悪いって」
シオンは首を振る。
「まだ」
「まだなの?」
「なんで弱くなったか分からない」
レオが天井を見る。
「長いなあ」
ドランは二つの抽出液を見ている。
「でも、差はある」
エルナが言った。
シオンは頷く。
「うん」
「《鑑定》では?」
ドランがエルナを見る。
エルナは二つの草束を順番に見る。
「どちらもルーメ草。乾燥済み。異常なし」
次に抽出液。
「どちらもルーメ草抽出液。治癒性あり」
そこまで言って、少し黙った。
「でも、同じじゃない」
シオンが言う。
エルナはシオンを見る。
「そうね」
短い返事だった。
それだけだったが、六歳の時に《比較解析》を見てもらった時とは、少し違う顔をしていた。
シオンはそれに気づいた。
何が違うのかまでは、まだ分からなかった。
⸻
帰る前。
シオンはノートを開き直した。
さっき書いた二行を見る。
『草のままだと分からなかった』
『ほかを同じにしてから比べた』
少し迷ってから、その下にゆっくり書く。
『くらべられないなら、くらべられるようにする』
字は少し曲がった。
それでも消さなかった。
「何書いた?」
レオが横から覗く。
シオンはノートを閉じる。
「別に」
「見せろよ」
「やだ」
「なんでだよ」
「レオに見せても、めんどくさいって言うから」
「言うけど見る」
「じゃあ見せない」
「ケチ」
二人の声を聞きながら、ドランが小さく笑う。
エルナは何も言わず、シオンの閉じたノートを一度だけ見た。
その日の帰り道。
シオンは、いつもより少しだけ左目が軽く感じた。
能力が変わったわけではない。
できることが増えたわけでもない。
二つを比べる。
それだけ。
でも、比べ方は一つじゃない。
初めて、そう思った。




