比較する少年
九歳になったシオンは、店番ができるようになっていた。
もちろん、父の代わりが務まるわけではない。
高価な品の値段を決めることも、大口の取引を任されることもない。
それでも釣り銭を間違えることはほとんどなくなったし、簡単な帳簿なら一人でつけられる。
「銅貨六枚」
「はいよ」
客から受け取った硬貨を数え、釣りを返す。
その横では、ガルドが別の客と話していた。
シオンは手元の帳簿へ売れた品を書き込み、棚を見る。
油は残り三本。
保存肉はあと七つ。
細紐は少なくなっているから、夕方には補充しておいた方がいい。
店の仕事は嫌いではなかった。
同じ客でも、買う物は毎回少し違う。
天気が変われば売れる物も変わり、旅人が増えれば保存食が減る。
雨が続けば、油や薪がよく出る。
違いがあって、そこには理由がある。
分からないことも多い。
だから面白かった。
「シオン」
「ん?」
「そこの袋、奥に運んどいてくれ」
ガルドが指した先に、同じくらいの大きさの袋が二つあった。
シオンは両方を見る。
左目の奥が、わずかに熱を持つ。
二つの輪郭が浮かび、その間に一本の線が現れる。
重さ。
意識した瞬間、感覚が右へ傾いた。
「右の方が重い」
「そうか。じゃあ軽い方から頼む」
「秤あるけど」
「せっかくなんだから使わせろ」
「父さんが?」
「お前の能力をだ」
シオンは肩をすくめ、左の袋を持ち上げる。
やはりこちらの方が軽かった。
便利ではある。
ただ、それ以上でもなかった。
⸻
昼を過ぎ、客足が落ち着いた頃。
シオンは店の奥にある小さな机へ座り、引き出しから一冊の厚いノートを取り出した。
表紙の端は、すでに擦れている。
開くと、最初の方の文字は大きく、形も歪んでいた。
今見ると自分でも読みづらいが、それでも消さずに残している。
『二つならできる。三つはできない』
その下には、後から書き足した文字。
『三つのときは、二つずつならできる』
ページをめくる。
『重さ できる』
『大きさ できる』
『かたさ できる』
『ねだん できない?』
その下には、少し新しい字で続いている。
『ねふだがついてるなら、たかいほうはわかる』
『でも、ほんとうに高いものかはわからない』
さらに次。
『つよいほう できない』
『はやいほう できたりできなかったりする』
その下には、
『いま、どっちがはやくうごいてるかはわかる』
『どっちがはやく走れるかはわからない』
とある。
またページをめくる。
『きのうより多い できない』
この文字だけは、何度か書き直した跡が残っていた。
シオンはそこを指でなぞる。
昨日。
前。
昔。
これだけは、何度試しても駄目だった。
昨日の自分と今日の自分。
先週の在庫と今の在庫。
前に見た商品と、今の商品。
覚えているものと比べようとしても、何も起きない。
必要なのは、今ここにある二つ。
少なくとも、今のところはそうだった。
「まだそれやってんのか?」
声がして、シオンは顔を上げる。
入口に、赤茶色の髪の少年が立っていた。
レオ・アーデン。
肩に細長い包みを担いでいる。
「父さんのところから?」
「おう。釘と金具」
レオは包みを机の横へ置き、当然のようにノートを覗き込む。
「うわ。増えてる」
「増やしてるから」
「こんなに調べて何になるんだよ」
「分かる」
「何が?」
「分からないことが」
レオが顔をしかめる。
「意味分かんねえ」
「俺は分かる」
「じゃあいいけど」
そう言って、レオは椅子を引いて勝手に座った。
昔からこうだった。
遠慮がない。
その代わり、変に気を遣うこともない。
シオンはそこが嫌いではなかった。
「そうだ」
シオンはノートを開いたまま言う。
「ちょっと走って」
「やだ」
「まだ何も言ってない」
「絶対また見るだろ」
「見るだけ」
「それが嫌なんだよ」
レオは立ち上がろうとする。
シオンが袖をつかむ。
「一回だけ」
「前も一回って言った」
「今日は一回」
「その言い方、信用できねえんだよな」
文句を言いながらも、結局レオは店の前へ出た。
シオンもついていく。
昼過ぎの通りは、人も少ない。
「どこまで?」
「向こうの樽まで」
十歩ほど先に、大きな空樽が置いてある。
レオが軽く腰を落とす。
「じゃ、行くぞ」
次の瞬間、レオの姿がぶれた。
一歩。
二歩。
そう見えた時には、もう樽の前にいる。
すぐに戻ってくる。
「どう?」
「前より速い気がする」
「ほんとか?」
「今のと前のを、本当に比べたわけじゃない」
「じゃあ分かんねえじゃん」
「見た感じ」
「普通の感想かよ!」
シオンは少し笑った。
レオは息を整えながら、腰に手を当てる。
「でも、前より楽にはなった」
「どれくらい?」
「分かんねえ」
シオンがじっと見る。
レオが一歩下がった。
「やらねえぞ」
「まだ何も言ってない」
「顔で分かる」
シオンはノートを閉じた。
レオの固有能力は《加速》。
自分の動きを、短い間だけ速くする。
分かりやすい。
強い。
その代わり、負担も分かりやすかった。
少し使っただけなのに、レオの額には汗が浮いている。
「長く使えないんだな」
「長くやったら脚が死ぬ」
「この前、倒れたもんな」
「言うな」
「吐いてた」
「言うなって」
レオがシオンの肩を小突く。
力は弱い。
まだ元気はあるらしい。
「でも、いいよな」
シオンが言う。
「何が?」
「使い道が分かりやすい」
レオは少しだけ眉を上げた。
「お前のも分かりやすいだろ」
「二つ比べるだけ」
「便利じゃん」
「秤がある」
「またそれかよ」
レオは呆れた顔をする。
「俺だったら、そんな目になった時点で喜ぶけどな」
「目は関係ないだろ」
「あるだろ。かっこいいし」
「そこ?」
「そこ大事だろ」
シオンにはよく分からなかった。
レオは、自分の能力をそれほど難しく考えていない。
少なくとも、シオンにはそう見える。
使えるから使う。
速くなれるから鍛える。
疲れたら休む。
単純だった。
でも、その単純さが時々羨ましくもあった。
⸻
夕方近く。
ガルドに頼まれ、シオンは棚の奥から乾燥薬草の束を出していた。
同じ名前の草でも、束ごとに少しずつ違う。
色。
葉の厚さ。
乾き方。
「父さん」
「なんだ?」
「この二束、仕入れ同じ?」
「いや。片方は前の便、もう片方は今朝のだ」
「へえ」
シオンは少し見比べる。
特に意味はない。
ただ、違いが気になっただけだ。
その時、店の扉が勢いよく開いた。
ガルドが顔を上げる。
入ってきたのは、背の高い男だった。
灰色混じりの髪に、少し疲れた顔。
薬草と煙の匂いがする。
ドラン・メイゼル。
町では、腕のいい薬師として知られている。
手には、乾燥した草の束を握っていた。
「ガルド」
いつもより低い声だった。
ガルドもすぐに表情を変える。
「どうした」
ドランは持っていた束を店台に置いた。
「最近入れたルーメ草、まだ残ってるか」
「あるが」
「全部見せろ」
ガルドの眉が寄る。
「何があった?」
ドランは一度、草束を見る。
それから言った。
「薬が効かなかった」
店の空気が、少しだけ変わった。
シオンは黙って、台の上のルーメ草を見る。
いつもと同じように見えた。
だからこそ、少し気になった。




