知りたい
雨が上がったのは、次の日の朝だった。
雲はまだ低く残っていたが、水路の音は昨日より落ち着いている。
それでも、水は濁ったままだった。
倉庫の一角では、ノアが椅子に座っている。
右手を何度か開こうとしているが、指はまだ思うように動かない。
「まだ痺れてる?」
シオンが聞く。
「うん」
ノアは指先を見る。
「昨日よりはまし」
「《固定》は?」
ノアが少し考える。
近くに置いてあった木片へ手を伸ばしかけた。
シオンが止める。
「今日はやめた方がいい」
ノアが見る。
「試すだけ」
「それで悪くなったら困る」
少し間を置いて、ノアは手を引いた。
「……分かった」
少し離れたところでは、レオが壁にもたれている。
右足を床につけてはいるが、体重はあまり乗せていない。
歩けないわけではない。
ただ、いつも通りでもなかった。
ノアがそちらを見る。
「お前も使うなよ」
「使わないって」
「昨日も言ってた」
レオが黙る。
「今度はほんと」
ノアは少しだけ眉を寄せた。
レオも何も言い返さなかった。
◇
昼前。
シオンたちはガルドと一緒に、水路の調整場へ向かった。
壊れた場所の片づけはまだ続いている。
昨日まで仕切りを支えていた木材が外され、濡れた地面の上に並べられていた。
新しい杭も打ち直されている。
シオンは、ノアが《固定》していた場所を見る。
そこは残っていた。
新しく打った杭と、張り直した縄もまだ残っている。
壊れたのは、そこから少し離れた場所だった。
裂けた木の支えが、脇に置かれている。
ノアが足を止める。
「ここ?」
「うん」
シオンが答える。
ノアは、自分が触れていた場所と壊れた支えを交互に見る。
少し離れている。
「俺が止めたせいで、別のところに力が集まった?」
シオンはすぐには答えなかった。
昨日、水の中で見たものを思い出す。
石にぶつかる水。
板を押す力。
流木の横へ逃げていく流れ。
止めても、力そのものがなくなるわけではない。
でも。
ここで何が起きたのかまでは分からない。
「それは、あったかもしれない」
ノアがシオンを見る。
「でも、それだけじゃないと思う」
「なんで?」
シオンは壊れた支えを見る。
ノアが触れていた場所とは違う。
ただ、それだけで原因は決められない。
「分からない」
正直に言う。
「今見えるのは、壊れた後だけだから」
ノアも支えを見る。
「昨日のは、もうない?」
シオンが頷く。
「うん」
ノアは少し黙った。
近くでは、大人たちが壊れた木材を運んでいる。
「中が傷んでたのかもしれんな」
誰かが言う。
「長く使ってたからな」
別の男が答える。
「雨で木が緩んだのもあるかもしれん」
どれも、ありそうには聞こえる。
でも。
シオンには判断できない。
ノアが止めていた場所。
その周りに張られていた縄。
新しく打たれた杭。
少し離れたところで壊れた支え。
昨日の水の中では、今ある物にかかっている力を比べられた。
でも、昨日この木材の中で何が起きていたのかは、もう比べられない。
シオンは裂けた支えから目を離した。
◇
ノアが自分の手を見る。
「……もっと分かってたら、もう少し楽に止められたのかな」
「かも」
「指もこんなにならなかった?」
「それは分からない」
ノアが小さく息を吐く。
それから、少し考えた。
「学院って」
シオンが見る。
「こういうのも教えてくれる?」
「たぶん」
「たぶん?」
「能力のことを調べたり、使い方を教えてもらったりするところだから」
ノアは水路を見る。
しばらく何も言わない。
「……じゃあ、行ってみようかな」
レオが振り返る。
「学院?」
「うん」
「行くんだ」
「まだ決めてない」
「行けばいいじゃん」
ノアがレオを見る。
「すぐ決めるな」
「だって気になってるんだろ?」
ノアは少しだけ笑った。
「前よりは」
◇
帰る頃には、雲の切れ間から少しだけ光が差していた。
倉庫の前で、ノアが二人を見る。
「また来る?」
レオがすぐに答える。
「当たり前だろ」
ノアが少し目を丸くする。
「……そう」
レオが続ける。
「ていうか、お前も来いよ」
「どこに」
「店でも、俺んとこでも」
ノアは少し考える。
レオが笑う。
「もう友達だろ」
ノアは黙ったまま、二人を見る。
それから、小さく頷いた。
「……うん」
シオンも少しだけ笑った。
帰り道。
水路の向こうでは、昨日より静かな水が流れていた。
シオンは一度だけ、その流れを見る。
昨日は見えなかったものが、少しだけ分かるようになった。
それでも。
昨日ここで何が起きたのかは、もう分からない。
シオンは水路から目を離し、レオとノアの後を追った。




