流れ
ガルドが男たちへ振り返る。
「舟を出せ!」
その声で、大人たちが一斉に動いた。
「二人は下流へ! 橋の方も見ろ!」
シオンはその隙に、水路の先を見る。
もう、レオたちの姿はない。
水路は建物の間を曲がりながら、町の下へ続いている。
さらに先には川がある。
そこまで流されたら、もっと助けにくくなる。
シオンは走った。
「シオン!」
ガルドの声が飛ぶ。
シオンは振り返らない。
水路沿いの通路を下へ走る。
雨で石が滑る。
何度か足を取られそうになりながら、曲がり角を抜けた。
少し先。
水路の幅が広がったところに、大きな流木が引っかかっていた。
その周りに石や泥、枝が溜まり、小さな中洲のようになっている。
そこに、人影があった。
「レオ!」
返事はない。
レオは流木に身体を預けるようにして、片腕でノアを抱えていた。
二人とも全身が濡れ、ほとんど動いていない。
顔だけは水の上に出ている。
まだ流されてはいない。
けれど、流木は水を受けるたびに大きく揺れていた。
シオンは周囲を見る。
ここからそのまま入るのは無理だった。
岸の近くまで流れが強い。
上流では、大人たちが舟を出そうとしている。
でも、ここへ来るまでには時間がかかる。
シオンは辺りを見回した。
近くの倉庫脇に、壊した木箱の板が何枚か積まれている。
その中から、小さな板を一枚取る。
水際へ行き、流した。
板はすぐに岸から離れ、中央へ引かれる。
少し先で向きを変え、そのまま流れていった。
二枚目。
今度は少し上流側から流す。
最初の板とは違う方向へ進んだ。
大きな石の手前で向きが変わり、流木の方へ寄る。
だが、中洲には届かない。
途中で横へ押し流された。
三枚目。
場所を少し変える。
流す。
シオンは目で追った。
石。
流木。
水路の壁。
板は何度も向きを変える。
同じ水路なのに、全部が同じように流れているわけではない。
シオンは目を細めた。
板の左側から押している水。
右側から押している水。
今、その板を押している力。
《比較解析》。
左側から受けている力の方が大きい。
シオンの動きが止まった。
もう一枚。
流す。
板が石へ近づく。
今度は、
右側。
左側。
《比較解析》。
右側から受ける力の方が大きい。
板が左へ向きを変えた。
シオンはその動きを見る。
速さじゃない。
押している力だ。
水そのものではない。
板に、今かかっている力。
それなら比べられる。
もう一枚流す。
さらにもう一枚。
場所を少しずつ変える。
中洲へ寄る板。
中央へ持っていかれる板。
途中で横へ押し出される板。
石の陰へ入ると、動きが鈍る。
流木の手前では、大きく向きが変わる。
シオンは一つずつ見る。
右側から受ける力。
左側から受ける力。
前へ押す力。
横へ押す力。
《比較解析》。
一つ。
もう一つ。
さらにもう一つ。
頭の奥が熱くなる。
目も痛い。
それでも止めない。
ばらばらに見えていた板の動きが、少しずつつながっていく。
岸から、大きな石の横へ。
そこから流木の手前。
さらに、その先。
中洲の左側へ寄っていく流れ。
この先も同じとは限らない。
安全だとも分からない。
でも。
今、この瞬間。
中洲の方へ板を押している場所はある。
シオンは最後に一枚、板を流した。
板は大きな石の横を抜ける。
少し中央へ寄る。
流木の手前で向きを変える。
そのまま、中洲の端へぶつかった。
シオンは息を吐いた。
近くにあった、少し大きな板を持つ。
身体を乗せられるほどではない。
けれど、胸の前に抱えて浮くためには使えそうだった。
板を抱えたまま、水際へ入る。
すぐに足元が取られた。
シオンは無理に立とうとせず、板へ身体を預ける。
冷たい水が身体を包む。
流れが、板ごとシオンを押した。
さっきまで見ていた板の動きを思い出す。
最初の石。
板の右側。
左側。
《比較解析》。
左側から受ける力の方が大きい。
身体と板の向きを少し右へ変える。
水が板を押す。
岸から離れていく。
次。
前から受ける力。
右側から受ける力。
《比較解析》。
右側の方が大きい。
少し左へ向ける。
流れに逆らわない。
押されながら、向きだけを変える。
大きな石が近づく。
板を少し傾ける。
石の横を抜けた。
その瞬間、水の押し方が変わる。
シオンはすぐに比べる。
前から受ける力。
横から受ける力。
《比較解析》。
横から受ける方が小さい。
そちらへ身体を寄せる。
石の陰へ入る。
板の揺れが少し小さくなった。
また次。
流木の手前。
水の音が大きい。
正面から受ける力。
左側から受ける力。
《比較解析》。
左側から受ける方が小さい。
シオンは板を抱えたまま、身体を左へ向ける。
流れが板を押す。
その力に乗りながら、少しずつ中洲へ近づく。
レオの顔が見えた。
「レオ!」
反応はない。
あと少し。
だが、中洲の手前で流れがまた変わった。
板が横へ持っていかれる。
シオンは歯を食いしばる。
右。
左。
前。
一つずつ比べる。
《比較解析》。
向きを変える。
もう一度。
流木のすぐ横。
その向こう。
《比較解析》。
流木の陰で受ける力の方が小さい。
シオンは板の向きを変えた。
水に押される。
そのまま流木の横へ入る。
急に、板の揺れが小さくなった。
シオンは手を伸ばす。
流木をつかんだ。
そのまま身体を引き寄せ、中洲へ上がる。
「レオ!」
すぐに駆け寄る。
肩に触れる。
息はある。
次にノアを見る。
顔を横へ向ける。
こちらも息をしている。
「よかった……」
声が漏れた。
でも、まだ終わっていない。
中洲は狭い。
流木も完全に止まっているわけではなく、水を受けるたびにわずかに動いている。
シオンはまずノアを引いた。
腕を肩に回し、少しずつ高いところへ移す。
濡れた服が重い。
次にレオ。
腕をつかんで引く。
途中で、レオが咳き込んだ。
「レオ!」
ゆっくり目が開く。
「……シオン?」
「うん」
レオが顔を動かす。
すぐにノアを見る。
「ノアは?」
「いる」
「生きてる?」
「息してる」
レオが目を閉じた。
「……よかった」
シオンは何も言わない。
レオがもう一度目を開く。
「……そんな顔すんなよ」
「誰のせいだと思ってるの」
レオが少し笑おうとして、咳き込んだ。
その声に反応したのか、ノアが動く。
「……う」
シオンがそちらへ行く。
「ノア」
ゆっくり目が開く。
「……助かった?」
シオンは水路を見る。
まだ流れは強い。
流木も、中洲も、水を受け続けている。
「まだ」
ノアがシオンを見る。
「帰るまで」
上流から声が聞こえた。
「シオン!」
ガルドだった。
水路沿いに何人かの大人が走ってくる。
その後ろから、舟も見えた。
「そこにいろ!」
ガルドが叫ぶ。
シオンは立ち上がる。
「二人ともいる!」
「分かった!」
男たちが岸から縄を投げる。
一度目は手前に落ち、水に取られて流れた。
すぐに引き戻す。
「もう一回!」
二度目。
縄が中洲の端へ落ちる。
シオンがつかむ。
「取った!」
「流木に回せ!」
シオンは縄を流木へ回す。
男たちが岸から張る。
舟がその縄を頼りに、少しずつ中洲へ近づいてくる。
先にノア。
次にレオ。
大人たちが一人ずつ舟へ乗せる。
最後にシオンが乗った。
岸へ戻る間、シオンは水面を見ていた。
さっきまでとは違って見える。
水が流れている。
それだけじゃない。
石にぶつかる。
板を押す。
流木を揺らす。
向きを変える。
力が、物から物へ伝わっていく。
岸へ着く。
ガルドがシオンの肩をつかんだ。
何か言おうとして、やめる。
その代わり、強く抱き寄せた。
シオンはガルドの肩越しに水路を見る。
水はまだ、流れ続けていた。




