決壊
倉庫へ戻ってからも、水の音は聞こえていた。
壁の向こうを、ずっと何かが走っているような音だった。
レオは入口の近くに立ち、何度も外を見る。
「大丈夫かな」
ノアが言う。
「分からない」
シオンも外を見る。
雨はまだ強い。
しばらくして、倉庫の前を男が走っていった。
肩に縄を掛け、その後ろから別の男が木の杭を抱えて続く。
レオが一歩出る。
「手伝った方が」
「戻れって言われた」
シオンが言う。
レオは止まった。
一度だけ右足を見る。
すぐに、何でもないように前を向いた。
その時、外から大きな声がした。
「そっち押さえろ!」
三人とも入口へ寄る。
調整場では、大人たちが仕切りの周りに集まっていた。
さっきより水が高い。
木の板にぶつかった濁った水が白く跳ね、脇の細い作業用通路にも何度も水が乗り上げている。
「まだ増えてる」
ノアが言う。
調整場の脇では、一人の少年が縄の束を抱えていた。
シオンたちと同じくらいの年だった。
道具屋で何度か見たことがある。
近くの男に呼ばれ、少年が縄を一本渡す。
それから倉庫側へ戻ろうとした時だった。
濡れた石の上で足が滑った。
身体が横へ傾く。
「危ない!」
誰かが叫ぶ。
少年はとっさに通路の端へ手をついた。
けれど、そのまま身体が水路へ落ちる。
すぐそばに立っていた木の柱へ、両腕でしがみついた。
身体は水に入ったまま。
足が流れに引かれ、横へ持っていかれている。
「動くな!」
大人が駆け寄る。
だが、通路は狭い。
水が何度も石の上へ乗り上げ、近づこうとする足元を洗っていた。
レオが走った。
「レオ!」
シオンが呼ぶ。
腹のあたりに祝紋が浮かぶ。
《加速》。
レオの姿が一気に前へ抜けた。
通路を駆け、柱にしがみついている少年の腕をつかむ。
「離すな!」
近くの男も身を乗り出す。
レオが引く。
男が少年の服をつかんだ。
「もう少し!」
二人で通路の上へ引き上げる。
少年が濡れた石の上に倒れ込み、何度も咳き込んだ。
さっき縄を受け取っていた男が駆け寄る。
「大丈夫か!」
少年は咳をしながら、何度も頷いた。
レオも立ち上がる。
一歩。
次の一歩で、右足が少し遅れた。
シオンはそれを見る。
「レオ」
「平気」
聞く前に答えた。
ガルドがこちらへ来る。
「お前、使ったな」
レオは黙る。
ガルドは助けられた少年を見る。
それからレオを見る。
怒鳴らなかった。
「もう使うな」
「でも」
「今ので終わりだ」
レオは少しだけ顔をしかめる。
「……分かった」
その声の向こうで、木が軋んだ。
ノアが振り返る。
調整場の右側。
仕切りを支えている太い木材が、水を受けるたびにわずかに動いていた。
その根元を押さえていた杭も、少し傾いている。
男が近づく。
「ここ、またずれてるぞ!」
別の男が杭を持ってくる。
「打ち直すか?」
「今外したら動く!」
ノアがそちらを見る。
シオンも見る。
水が仕切りへぶつかる。
そのたびに、木材の端が少し動く。
戻る。
また押される。
「ノア」
シオンが呼ぶより先に、ノアが歩き出した。
「俺、止められるかも」
ガルドが振り返る。
「待て」
「ここだけなら」
ノアは木材のそばにしゃがむ。
「全部じゃなくていい」
男たちが顔を見合わせる。
一人が支えを見る。
「杭を入れる間だけ持てればいい」
ガルドがノアを見る。
「無理だと思ったら、すぐ離せ」
「うん」
ノアがずれている木材へ手を触れる。
背中の祝紋が光った。
《固定》。
水がぶつかる。
木材は動かない。
もう一度。
水が押し寄せる。
それでも、触れている部分はその位置に残った。
「今だ!」
男たちが動く。
古い杭のすぐ脇へ、新しい杭を打ち込む。
槌の音が雨の中に響く。
別の男が縄を回し、仕切りと新しい杭を結ぶ。
ノアの指が震え始める。
「ノア」
シオンが呼ぶ。
「まだ平気」
水がまたぶつかる。
木材は動かない。
男たちは急いで縄を締めていく。
レオは少し離れたところから見ていた。
立ったまま、右足の位置を一度だけ変える。
それだけだった。
シオンは一度そちらを見て、すぐにノアへ視線を戻す。
支えは止まっている。
けれど、水は止まっていない。
仕切りへぶつかる。
脇へ回る。
板の隙間を抜ける。
下へ流れていく。
ノアが止めている場所だけは動かない。
その周りでは、縄が張り、別の木材がわずかに震えていた。
どこかで。
ぎ、と。
低い音がした。
シオンが顔を上げる。
「今の」
近くの男も振り返る。
「何だ?」
もう一度は鳴らなかった。
雨の向こうでは、大人たちがまだ縄を張っている。
水だけが、止まらず流れ続けていた。




