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比較不能 ―《比較解析》の少年と、正解のない世界  作者: たんぱくしつ
第三章 今ある力

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決壊

倉庫へ戻ってからも、水の音は聞こえていた。


壁の向こうを、ずっと何かが走っているような音だった。


レオは入口の近くに立ち、何度も外を見る。


 「大丈夫かな」


ノアが言う。


 「分からない」


シオンも外を見る。


雨はまだ強い。


しばらくして、倉庫の前を男が走っていった。


肩に縄を掛け、その後ろから別の男が木の杭を抱えて続く。


レオが一歩出る。


 「手伝った方が」


 「戻れって言われた」


シオンが言う。


レオは止まった。


一度だけ右足を見る。


すぐに、何でもないように前を向いた。


その時、外から大きな声がした。


 「そっち押さえろ!」


三人とも入口へ寄る。


調整場では、大人たちが仕切りの周りに集まっていた。


さっきより水が高い。


木の板にぶつかった濁った水が白く跳ね、脇の細い作業用通路にも何度も水が乗り上げている。


 「まだ増えてる」


ノアが言う。


調整場の脇では、一人の少年が縄の束を抱えていた。


シオンたちと同じくらいの年だった。


道具屋で何度か見たことがある。


近くの男に呼ばれ、少年が縄を一本渡す。


それから倉庫側へ戻ろうとした時だった。


濡れた石の上で足が滑った。


身体が横へ傾く。


 「危ない!」


誰かが叫ぶ。


少年はとっさに通路の端へ手をついた。


けれど、そのまま身体が水路へ落ちる。


すぐそばに立っていた木の柱へ、両腕でしがみついた。


身体は水に入ったまま。


足が流れに引かれ、横へ持っていかれている。


 「動くな!」


大人が駆け寄る。


だが、通路は狭い。


水が何度も石の上へ乗り上げ、近づこうとする足元を洗っていた。


レオが走った。


 「レオ!」


シオンが呼ぶ。


腹のあたりに祝紋が浮かぶ。


《加速》。


レオの姿が一気に前へ抜けた。


通路を駆け、柱にしがみついている少年の腕をつかむ。


 「離すな!」


近くの男も身を乗り出す。


レオが引く。


男が少年の服をつかんだ。


 「もう少し!」


二人で通路の上へ引き上げる。


少年が濡れた石の上に倒れ込み、何度も咳き込んだ。


さっき縄を受け取っていた男が駆け寄る。


 「大丈夫か!」


少年は咳をしながら、何度も頷いた。


レオも立ち上がる。


一歩。


次の一歩で、右足が少し遅れた。


シオンはそれを見る。


 「レオ」


 「平気」


聞く前に答えた。


ガルドがこちらへ来る。


 「お前、使ったな」


レオは黙る。


ガルドは助けられた少年を見る。


それからレオを見る。


怒鳴らなかった。


 「もう使うな」


 「でも」


 「今ので終わりだ」


レオは少しだけ顔をしかめる。


 「……分かった」


その声の向こうで、木が軋んだ。


ノアが振り返る。


調整場の右側。


仕切りを支えている太い木材が、水を受けるたびにわずかに動いていた。


その根元を押さえていた杭も、少し傾いている。


男が近づく。


 「ここ、またずれてるぞ!」


別の男が杭を持ってくる。


 「打ち直すか?」


 「今外したら動く!」


ノアがそちらを見る。


シオンも見る。


水が仕切りへぶつかる。


そのたびに、木材の端が少し動く。


戻る。


また押される。


 「ノア」


シオンが呼ぶより先に、ノアが歩き出した。


 「俺、止められるかも」


ガルドが振り返る。


 「待て」


 「ここだけなら」


ノアは木材のそばにしゃがむ。


 「全部じゃなくていい」


男たちが顔を見合わせる。


一人が支えを見る。


 「杭を入れる間だけ持てればいい」


ガルドがノアを見る。


 「無理だと思ったら、すぐ離せ」


 「うん」


ノアがずれている木材へ手を触れる。


背中の祝紋が光った。


《固定》。


水がぶつかる。


木材は動かない。


もう一度。


水が押し寄せる。


それでも、触れている部分はその位置に残った。


 「今だ!」


男たちが動く。


古い杭のすぐ脇へ、新しい杭を打ち込む。


槌の音が雨の中に響く。


別の男が縄を回し、仕切りと新しい杭を結ぶ。


ノアの指が震え始める。


 「ノア」


シオンが呼ぶ。


 「まだ平気」


水がまたぶつかる。


木材は動かない。


男たちは急いで縄を締めていく。


レオは少し離れたところから見ていた。


立ったまま、右足の位置を一度だけ変える。


それだけだった。


シオンは一度そちらを見て、すぐにノアへ視線を戻す。


支えは止まっている。


けれど、水は止まっていない。


仕切りへぶつかる。


脇へ回る。


板の隙間を抜ける。


下へ流れていく。


ノアが止めている場所だけは動かない。


その周りでは、縄が張り、別の木材がわずかに震えていた。


どこかで。


ぎ、と。


低い音がした。


シオンが顔を上げる。


 「今の」


近くの男も振り返る。


 「何だ?」


もう一度は鳴らなかった。


雨の向こうでは、大人たちがまだ縄を張っている。


水だけが、止まらず流れ続けていた。

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