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比較不能 ―《比較解析》の少年と、正解のない世界  作者: たんぱくしつ
第三章 今ある力

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雨・後編

朝になっても、雨は止まなかった。


昨夜より弱くなったようにも見える。


けれど、屋根から落ちる水の音は途切れていない。


ガルドは店の前に立ち、外を見ていた。


 「今日は出るな」


シオンが聞く。


 「水路?」


 「ああ」


ガルドは頷く。


 「かなり増えてるらしい」


シオンも店の奥から通りを見る。


道の端を、濁った雨水が流れていた。


少しして、店の扉が開く。


レオだった。


濡れた髪を手で払う。


 「ノアのところ行く」


ガルドが振り返る。


 「行くな」


 「でも、人足りてないって」


 「誰に聞いた?」


 「さっき、倉庫の人に」


ガルドはしばらく黙った。


 「手伝うなら、無茶はするな」


レオが頷く。


 「分かってる」


 「《加速》も使うなよ」


レオは少し間を置く。


 「……分かった」


ガルドがシオンを見る。


 「お前は?」


 「行かない」


 「そうしろ」


レオはそのまま店を出ていった。


雨の音だけが残る。


     ◇


しばらくして、今度は別の男が店へ入ってきた。


全身が濡れている。


 「ガルド、太い縄あるか?」


 「何に使う?」


 「下の水路だ」


ガルドの顔つきが変わった。


 「水が多すぎる。仕切りだけじゃ支えきれん」


 「調整場は?」


 「動かしてる」


男が息を整える。


 「でも、全部そのまま下へ流すわけにもいかない。何本か縄を足して支える」


ガルドは店の奥へ行き、束ねてあった太い縄を持ってくる。


シオンが聞く。


 「止めればいいんじゃないの?」


男が首を振った。


 「全部止めたら、今度は上であふれる」


ガルドも続ける。


 「流れを残しながら、少しずつ調整してるんだ」


男は縄を受け取る。


 「助かる」


そのまま外へ出ていった。


ガルドは扉の向こうを見る。


少し考えてから、店先の板を下ろし始めた。


 「今日は閉める」


 「行くの?」


 「様子を見てくる」


 「ぼくも」


 「駄目だ」


即答だった。


シオンは黙る。


ガルドは外套を羽織る。


 「ここにいろ」


そう言って、店を出ていった。


     ◇


昼を過ぎても、雨は止まなかった。


店の中は静かだった。


シオンは何度か窓の外を見る。


ここから水路は見えない。


ただ、通りを流れる雨水は絶えず道の端へ集まっていた。


その時。


扉が強く叩かれた。


シオンが開ける。


ノアだった。


肩で息をしている。


 「シオン」


 「どうしたの?」


 「親父たち、水路の方にいる」


 「うん」


 「仕切りの脇」


ノアが一度息を整える。


 「縄が一本、切れそうなんだ」


シオンを見る。


 「どれが一番悪いか、見てもらえない?」


シオンは黙った。


ガルドに、ここにいろと言われている。


でも、ノアは冗談を言っていない。


 「父さんは?」


 「向こうにいた」


シオンは顔を上げる。


 「一緒に行く」


二人で店を出た。


     ◇


水路へ近づくほど、水の音が大きくなっていく。


雨音よりも、流れる水の音の方が近かった。


調整場には何人もの大人が集まっていた。


石で固められた水路が少し狭くなり、その途中に太い木の板が何枚も組まれている。


完全に水を塞ぐためのものではない。


板の位置を変えて流れを絞ったり、別の通り道へ分けたりするための仕切りだった。


脇には木の杭が打たれ、太い縄が何本も張られている。


土を詰めた袋も積まれていた。


 「シオン!」


ガルドが気づく。


 「来るなって言っただろ」


 「ノアが呼びに来た」


ガルドがノアを見る。


ノアはすぐに言う。


 「縄が危ない」


近くの男も振り返る。


 「一本、もう毛羽立ってる」


シオンはそちらを見る。


何本かの縄が、杭と仕切りの間に張られていた。


どれもぴんと伸びている。


雨で濡れ、表面の繊維が浮いているものもある。


一本。


もう一本。


シオンは目を細める。


今、表面から浮いている繊維の量。


《比較解析》。


一本目より、二本目。


二本目より、中央寄りの一本。


 「これ」


シオンが指す。


 「これが一番、ほどけてる」


男たちが縄を見る。


表面には細い繊維が何本も浮き、一本の撚りが少し開いていた。


 「やっぱりこいつか」


 「替えるぞ!」


男が新しい縄を持ってくる。


だが、今張っている縄をそのまま外すことはできない。


仕切りが動くかもしれない。


ノアが前へ出た。


 「俺が止める」


ガルドが見る。


 「できるのか?」


 「分からない」


ノアは毛羽立った縄の、撚りが開きかけているところに触れる。


背中の祝紋が光った。


《固定》。


浮いていた繊維の動きが止まる。


男が縄をつかんだ。


 「今だ!」


新しい縄を回す。


別の杭へ掛け、何人かで引く。


古い縄を緩めないようにしながら、新しい縄を少しずつ張っていく。


ノアの指が震える。


それでも、触れている部分はそれ以上ほどけなかった。


 「もう少し!」


新しい縄が張られる。


男たちが確かめる。


 「よし!」


古い縄を外す。


 「ノア、もういい!」


ノアが《固定》を解いた。


手を離した途端。


開きかけていた撚りが、さらに少しばらけた。


ノアがそれを見る。


 「……ほどけるのも止められるんだ」


シオンも縄を見る。


 「今は、そう見えた」


 「動かないようにしてるだけじゃない?」


シオンは少し考える。


 「分からない」


止めたのは縄そのものなのか。


撚りが開く動きなのか。


それとも別の何かなのか。


今の一回だけでは決められない。


ノアは切り離された縄を見つめていた。


 「もう少し、試したい」


少し前までなら言わなかった言葉だった。


     ◇


少し離れたところで、レオが土袋を運んでいた。


一つ抱える。


腹のあたりに祝紋が浮かぶ。


《加速》。


運ぶ。


置く。


また戻る。


シオンが目を細める。


 「レオ!」


返事はない。


また土袋を持つ。


《加速》。


戻ってきたところで、右足が少し遅れた。


レオが一度、足を引く。


ノアが近づく。


 「それ、平気じゃないだろ」


 「平気」


 「足」


 「まだ動ける」


ノアが眉を寄せた。


 「それで決めるの?」


レオが見る。


 「何が?」


 「使っていいかどうか」


 「俺の能力だろ」


 「うん」


 「じゃあ俺が決める」


ノアは少し黙る。


 「じゃあ、動かなくなるまで分からないじゃん」


レオが顔をしかめた。


 「ならないし」


ノアは右足を見る。


 「まだ?」


レオは答えなかった。


その時、水路の方から声が飛ぶ。


 「水、増えてるぞ!」


別の男が叫ぶ。


 「右の支え見ろ!」


 「縄、もう一本回せ!」


大人たちが一斉に動いた。


ぎ、と低い音がする。


木が軋んだ。


ガルドが三人を見る。


 「お前たちは倉庫に戻れ」


 「でも」


レオが言う。


 「戻れ」


今度は強い声だった。


三人は倉庫の方へ向かう。


後ろでは、槌で木を打つ音と水の音が続いている。


ノアが一度だけ振り返った。


 「これ、まずい?」


シオンも振り返る。


雨の向こうで、何人もの大人が仕切りの周りを動いている。


 「分からない」


少し間を置く。


また、木が軋んだ。


シオンはそちらを見る。


 「でも、あの音は気になる」

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