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比較不能 ―《比較解析》の少年と、正解のない世界  作者: たんぱくしつ
第三章 今ある力

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雨・前編

加筆修正しました。

雨が降り始めたのは、その日の夜だった。


最初は弱かったが、朝になっても止まらなかった。


シオンは店の前から通りを見る。


軒先から落ちた雨が細い流れになって、道の端へ集まっている。


その先には、町を通る生活用の水路がある。


普段は穏やかで、水を汲んだり、道具や荷車の汚れを落としたりするのに使われている。


今日は、その水の音がここまで聞こえていた。


 「今日は水路の方には近づきすぎるなよ」


ガルドが言う。


 「そんなに?」


 「昨日からずっと降ってるからな」


ガルドも外を見る。


 「町中の雨水が、あそこに集まる」


シオンも通りの向こうを見る。


ここから水路そのものは見えない。


それでも、いつもより大きな水音が続いていた。


昼を過ぎる頃、雨は少し弱くなった。


止んではいない。


店の扉が開く。


レオだった。


髪も肩も濡れている。


 「行こう」


 「どこ?」


 「ノアんとこ」


ガルドが奥から顔を出す。


 「水路には近づくなよ」


 「倉庫だけ」


レオが答える。


ガルドは少し考える。


 「暗くなる前に戻れ」


 「分かった」


二人で外へ出る。


町はいつもより静かだった。


店じまいを早めているところもあり、軒下では濡れた荷物を奥へ移している人がいる。


途中、男がレオを見つける。


 「レオ!」


レオが止まる。


 「何?」


 「これ、向こうの店まで頼めるか?」


布を掛けた小さな荷物だった。


レオが受け取る。


 「いいよ」


腹のあたりに祝紋が浮かぶ。


《加速》。


少しして戻ってくる。


 「終わった」


また歩き出す。


今度は別の店先から声がかかる。


 「悪い、これ倉庫まで持ってってくれないか?」


 「いいよ」


また《加速》。


シオンは黙って見ていた。


戻ってきたレオが、一度だけ右足を軽く振る。


 「レオ」


 「何?」


 「今ので何回目?」


レオが少し考える。


 「知らない」


 「結構使ってる」


 「このくらい平気」


そのまま歩き出す。


シオンは少し遅れてついていった。


     ◇


倉庫街へ入ると、水の音がはっきり聞こえた。


倉庫の裏を生活用水路が通っている。


普段なら底の石が見えるくらい穏やかな水路だったが、今日は水位が上がり、濁った水がいつもより速く流れていた。


水路の脇には、点検や荷物の積み下ろしに使う細い作業用通路が続いている。


レオが覗き込む。


 「結構増えてるな」


シオンも水路を見る。


中央。


岸寄り。


今、流れている水の速さ。


《比較解析》。


中央の方が速い。


普段なら、わざわざ比べる必要もないくらい穏やかな流れだった。


 「昨日より多い?」


レオが聞く。


 「それは分からない」


 「見れば分かるだろ」


 「昨日はもう比べられないから」


レオが少し首を傾げる。


倉庫に入ると、中では荷物を低い場所から高い棚へ移していた。


ノアも箱を一つ持って、奥へ運んでいる。


 「ノア」


ノアが振り返る。


 「来た」


 「手伝う」


レオがすぐに箱を持つ。


 「それ、上?」


 「うん」


レオが走ろうとする。


ノアが言う。


 「急いでないけど」


レオが止まる。


 「でも早い方がいいだろ」


 「まだ時間ある」


レオは少しだけ黙り、普通に歩いて箱を置いた。


すぐ次を持つ。


今度は《加速》。


ノアが見る。


 「使うんだ」


 「早いじゃん」


 「別に急いでない」


 「でも早く終わる」


ノアは何も言わなかった。


その時、棚の端に置かれていた箱が少し傾いた。


下の木箱が濡れて、ずれたらしい。


ノアが手を伸ばし、箱に触れる。


《固定》。


箱が止まる。


 「今、使った?」


レオが聞く。


 「うん」


 「必要だった?」


 「落ちそうだったから」


レオが少し笑う。


 「使ってんじゃん」


 「必要だったから」


 「同じだろ」


 「違う」


レオが眉を上げる。


 「何が?」


ノアは箱を押し戻す。


 「使わなくても困らない時は、使わない」


 「できるのに?」


 「できるけど、今はいらない」


レオは少し黙り、それから何も言わずに次の荷物を持った。


     ◇


外から大人の声が聞こえる。


 「水路、見てくる!」


別の声が返る。


 「気をつけろよ!」


倉庫の男が濡れた外套を羽織る。


 「下の仕切りも見といた方がいいな」


 「そんなに上がってる?」


シオンが聞く。


男は入口から水路を見る。


 「この雨じゃな」


それだけ言って外へ出ていった。


シオンも入口へ行き、水路を見る。


さっきより増えたようにも見える。


でも、それは分からない。


比べられるのは今だけ。


中央と端。


右と左。


今ある流れの違い。


ノアが横に来る。


 「危ない?」


シオンは少し考える。


 「それは分からない」


 「比べても?」


 「危ないかどうかは比べられない」


ノアが水路を見る。


 「じゃあ、今と昨日」


 「できない」


 「なんで?」


 「昨日は、もうないから」


ノアが少し黙る。


 「不便だな」


 「うん」


レオが後ろから来る。


 「でも今のことは分かるんだろ?」


シオンは頷く。


 「比べるものがあれば」


レオも水路を見る。


雨がまた少し強くなった。


水面に細かい輪がいくつも広がる。


倉庫の屋根から落ちる水も、道を流れる水も、少しずつこの水路へ集まっていた。


遠く、下流の方から木を打つ音がする。


何かを補強しているような音だった。


ノアがそちらを見る。


 「親父、あっち行ってる」


 「何してるの?」


 「水の量を調整するところ」


ノアは少し考える。


 「仕切りを動かしたり、流れを分けたりするところ」


シオンも下流を見る。


ここからは建物と雨でよく見えない。


ただ、水路だけが町の奥へ続いている。


その先には人が住んでいる。


店もある。


倉庫もある。


さらに先で、水路は川へつながる。


レオが言う。


 「明日には止むかな」


誰も答えなかった。


雨は、その夜も降り続いた。

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