ここにいる
それから、二週間ほどが過ぎた。
店の棚には、いつも通り商品が並んでいる。
朝になればガルドが店を開け、シオンが手伝う。
ティアも、その横でできることをする。
変わったこともある。
夜になると、リーメル家からそう遠くない場所に、祝紋院の職員が一人待機するようになった。
毎日同じ人ではない。
エルナの日もあれば、代理担当として紹介された職員の日もある。
何かあれば、ガルドがすぐ呼びに行く。
最初の一か月だけ。
今のところは、そう決まっていた。
最初の数日は、シオンも夜になるたび、誰が来ているのか気にしていた。
今は、たまに思い出すくらいだ。
呼ぶことがないまま終わるのが、一番いい。
◇
ティアは週に何度か、祝紋院へ行っている。
その日はシオンも一緒だった。
小さな部屋。
ティアの向かいにはエルナが座っている。
机の上には水と濡らした布、それに記録用の紙。
試すためのものより、何かあった時に使うものの方が多い。
「今日はどう?」
エルナが聞く。
「普通」
「頭は?」
「痛くない」
「気持ち悪くない?」
「ない」
「眠い?」
「ちょっと」
「昨日、ちゃんと寝た?」
「寝た」
「何時?」
「知らない」
「ティア」
ガルドが呼ぶ。
「ちゃんと寝たって」
エルナが笑う。
「じゃあ、今日は少しだけにしようか」
ティアが頷く。
今日やるのは、《共有》が起きそうな時の感覚を確かめることだった。
近くにいる相手を見る。
一度目を閉じる。
何か変わった感じがしたら、すぐに話す。
無理に《共有》を起こそうとはしない。
起きれば記録する。
起きなくても、それを記録する。
最初の頃、ティアは、
「何も起きなかったら、来た意味ないじゃん」
と言っていた。
今は、何も起きなかったことも記録になると分かっている。
ティアが目を閉じる。
しばらく、何も起きない。
シオンもエルナも黙って待つ。
やがて、ティアの眉が少し動いた。
「……なんか」
「どうした?」
「来そう」
シオンが顔を上げる。
「見えた?」
「まだ」
ティアは目を閉じたまま答える。
「でも、ちょっと変」
エルナが聞く。
「続けたい?」
ティアは少し考えた。
「……今日はやめる」
「分かった」
エルナはそれだけ言って、紙に書く。
誰も、もう一回やってみようとは言わなかった。
ティアが目を開ける。
「終わり?」
「今日はね」
「早い」
「自分でやめたんでしょ」
「そうだけど」
シオンはティアを見る。
顔色に変わりはない。
「頭痛い?」
「痛くない」
「気持ち悪い?」
「ない」
「変な感じは?」
「もうない」
シオンが帳面を開こうとすると、ティアがその手を押さえた。
「兄ちゃんまで書かなくていい」
「なんで」
「エルナさんが書いてる」
「ぼくも――」
「二個もいらない」
シオンはエルナを見る。
「必要?」
「今日は私の記録だけで大丈夫」
シオンは帳面を閉じた。
「分かった」
ティアが満足そうに頷く。
◇
帰り道。
ティアは少し前を歩いていた。
祝紋院へ行くのが好きになったわけではない。
行きたくない日は、そう言う。
疲れた日は短くする。
やめたい時には、そこで終わる。
それが、今のやり方になっていた。
「来週、セレスさん来るんだっけ?」
ティアが振り返る。
「たぶん」
「たぶんじゃないよ。来るって言ってた」
「予定は変わるかもしれない」
「また条件」
「違う」
「同じ」
ティアが笑う。
シオンは少し考えて、否定するのをやめた。
◇
店に戻ると、ガルドが荷物を運んでいた。
「おかえり」
「ただいま」
「今日どうだった?」
「途中でやめた」
ガルドの手が一瞬止まる。
「具合悪くなったのか?」
「違う」
「じゃあ?」
「なんか来そうだったから、今日はやめた」
ガルドはティアを見て、頷いた。
「そうか」
それだけだった。
今でも心配している。
でも、ティアが自分で言えることも、少しずつ信じるようになっていた。
ガルドは荷物を持ち直す。
「じゃあ、これ運ぶの手伝ってくれ」
「重い?」
「軽いやつだけな」
「それならやる」
ティアが箱を一つ持つ。
いつもの店。
いつもの声。
そこに、新しい決まりが少しだけ混ざっていた。
◇
夕方。
店の外から大きな声がした。
「シオン!」
聞き慣れた声だった。
シオンが外へ出ると、道の向こうにレオがいる。
「なに?」
「今日、院だったんだろ?」
「うん」
「ティアどうだった?」
「途中でやめた」
レオの顔が少し変わる。
「大丈夫なのか?」
「大丈夫」
「ならいいけど」
レオが店の中を覗く。
ティアが気づいて手を振った。
「レオ!」
「おー」
レオも手を上げる。
その直後、はっとした顔をした。
「俺、父ちゃんに頼まれたの忘れてた。またあとで来る!」
「今来たばっかりじゃん」
「忘れてたんだって!」
レオの腹のあたりに祝紋が浮かぶ。
次の瞬間、地面を蹴った。
一気に距離が開く。
少し先で《加速》を解き、立ち止まる。
そこで一度だけ、右足を気にするように軽く振った。
すぐに、何事もなかったように歩き出す。
シオンはその足元を見ていた。
続けて使った時。
たまに、右足を気にする。
前から何度か見ていた。
でも今日は一度だけだった。
「兄ちゃん?」
後ろからティアに呼ばれる。
「なに?」
「店、戻らないの?」
「戻る」
レオはもう普通に歩いている。
シオンも店へ戻った。
◇
夜。
店を閉めたあと。
シオンは帳面を開いた。
《共有》。
分かっていること。
まだ分からないこと。
起きたこと。
起きなかったこと。
頁は前より増えている。
今日は何も書かず、少し前の頁を開く。
『足りないもの』
その下には、たくさんの文字。
一番下には、
『ティアは、今はここにいたい』
シオンはその一行を見る。
店の奥から声がした。
「兄ちゃん!」
「なに?」
「父さんがお風呂先入れって!」
「分かった」
帳面を閉じる。
《共有》のことも。
これからのことも。
まだ分からない。
それでも、分からないまま選べることはある。
シオンは立ち上がる。
廊下の向こうでは、ティアがまだ何か言っている。
その声を聞きながら、いつもの場所へ戻っていった。




