条件付き
三日後。
シオンたちは、また祝紋院に呼ばれた。
今度は、いつもの小さな会議室ではなかった。
少し広い部屋。
机の上には、見慣れない封蝋のついた書類が置かれている。
ティアはそれをじっと見ていた。
「これ、中央から?」
「そうです」
セレスが答える。
ガルドの表情は少し硬い。
エルナも、その横でいつもより静かだった。
シオンは椅子に座りながら、書類を見る。
三日前。
みんなで作った案。
家で見ること。
地方院でやること。
夜に何か起きた時のこと。
異常が出た時。
中央への報告。
ティア自身が、やめたいと言えること。
全部、中央へ送られた。
その答えが、今ここにある。
「先に結論から言います」
セレスが封を開く。
ティアの手が、膝の上で少しだけ動いた。
「アルネアでの試験運用が認められました」
一瞬。
誰も何も言わなかった。
最初に顔を上げたのはティアだった。
「……ここにいていいの?」
「条件付きで」
セレスが言う。
ティアはガルドを見る。
ガルドが大きく息を吐いた。
「よかったな」
「うん」
ティアの顔が少しずつ緩む。
シオンも息を吐いた。
自分が息を止めていたことに、その時気づいた。
◇
セレスは書類を机の上に広げた。
「試験期間は、予定通り原則三か月です」
シオンは帳面を開く。
「途中で変わる?」
「変わる可能性はあります」
「短くなる?」
「状態が安定して、今より少ない確認でも問題ないと判断されれば」
「長くなる?」
「必要なら」
シオンが書く。
ティアが横から覗く。
「また書いてる」
「忘れるから」
「兄ちゃん、忘れないじゃん」
「それでも書く」
セレスは少しだけ待ってから続けた。
「日常の様子を見るのは、ご家族」
ガルドが頷く。
「定期的な体調確認と訓練は、アルネア地方院」
エルナが頷く。
「エルナ不在時には、代理担当を二名置きます」
シオンが顔を上げた。
「もう決まった?」
「候補は決まっています」
エルナが答える。
「ティアちゃんには、あとで紹介するね」
「こわい人?」
「たぶん大丈夫」
「たぶん?」
「一人はちょっと顔が怖い」
ティアが嫌そうな顔をする。
ガルドが小さく笑った。
セレスも少しだけ口元を緩める。
「顔は条件に入っていません」
「入れて」
「入りません」
ティアが頬を膨らませた。
少しだけ、部屋の空気が軽くなる。
◇
「夜についても決まりました」
セレスが次の紙を見る。
シオンの手が止まる。
「近くに人を置くやつ?」
「はい。最初の一か月は、夜間に動ける担当をリーメル家の近くへ交代で置きます」
ガルドが顔を上げる。
「毎晩ですか?」
「最初の一か月は。その後は、状態を見て見直します」
シオンが聞く。
「何かあったら?」
「ガルドさんが担当を呼ぶ。担当から地方院へ知らせます」
「すぐ来れる?」
「少なくとも、今よりは早く対応できます」
「どれくらい?」
セレスが少しだけ眉を寄せる。
「家からどの場所に担当を置くかで変わります。そこまでの時間は、配置が決まってから確認してください」
「じゃあ、あとで聞く」
「……そうしてください」
エルナが小さく笑った。
セレスは書類の次の行へ目を落とす。
「《共有》の兆候が出た場合は、まず視覚刺激を減らす」
ティアが自分の目に触れる。
「目、閉じる?」
「はい」
「布も?」
「必要なら」
「周りの人の祝紋も止める?」
シオンが聞く。
「可能なら」
セレスは頷く。
「ただし、それで《共有》そのものが切れるとは限りません」
「分かってる」
シオンが答える。
セレスが少しだけシオンを見る。
それから続けた。
「改善しない場合は、すぐ地方院へ連絡」
「強い頭痛、繰り返す嘔吐、意識の混乱、複数人への同時共有、これまでにない感覚があった場合は、中央にもすぐ報告します」
ティアが少しだけ顔をしかめる。
「いっぱいある」
「全部起きるという意味ではありません」
「起きない方がいい?」
「もちろん」
「じゃあ起きない」
セレスは少しだけ困った顔をした。
「そうできれば一番いいですね」
◇
シオンは書類の下の方を見る。
「中央が見るのは?」
「そこも決まりました」
セレスが答える。
「私は一度、中央へ戻ります」
ティアの顔が少し曇る。
「もう来ない?」
「来ます」
「いつ?」
「試験運用の間は、原則として月に一度」
ティアは指を一本立てる。
「一回?」
「必要があれば、それより増えることもあります」
「毎月?」
「その予定です」
シオンが聞く。
「セレスさんが来れない時は?」
「別の中央担当者が来る可能性もあります」
「でも、基本はセレスさん?」
「はい」
ティアが少しだけ安心した顔をする。
セレスは続けた。
「それとは別に、最初の一か月は地方院から中央へ毎週報告」
「その後は?」
「状態が安定していれば、月ごと」
「セレスさんが来た時にも見る?」
「もちろん」
「直接?」
「直接」
シオンはそこまで書いて、鉛筆を止めた。
中央へ行かなくても。
中央が来る。
数日前にはなかった形だった。
◇
「ただし」
セレスの声が少しだけ変わる。
ティアも顔を上げた。
「追加の条件があります」
シオンは帳面を見る。
また。
条件。
「今まで話したもの以外?」
「いくつか、中央から加えられています」
「なに?」
「《共有》が複数人に同時に発生した場合」
シオンが書く。
「長い時間、切れない場合」
書く。
「視覚以外の感覚が、はっきり共有された場合」
シオンの手が少し止まる。
「ほかの感覚?」
「可能性としてです」
「まだ起きてない」
「だから、起きたら」
前にも聞いた言い方だった。
シオンは続きを書く。
「それから、祝紋を使っている相手と、これまでより深くつながったと考えられる場合」
「深く?」
ティアが聞く。
セレスは少し考えた。
「今まで見えなかったものまで分かるようになったり、相手の感覚と自分の感覚の区別がつきにくくなったりした時です」
ティアは眉を寄せる。
「よく分かんない」
「今は、それで大丈夫」
セレスが言う。
「今までと違うことが起きたら、すぐ教えてください」
「うん」
「その場合は、一度試験運用を止めて、保護方針を見直します」
ガルドが少しだけ身を乗り出す。
「その時は、中央へ?」
「可能性はあります」
部屋が静かになる。
ティアの顔から、さっきまでの笑みが少し消えた。
セレスはそのまま続ける。
「でも」
ティアが顔を上げる。
「今、それが起きると決まったわけではありません」
「……うん」
「今決まったのは、ここで始められるということです」
ティアはしばらく黙ってから、頷いた。
◇
最後に、セレスは別の紙を一枚出した。
「これは、ティアさんの意思について」
シオンが見る。
「通常訓練は、ティアさんが中止を申し出ることができます」
ティアが頷く。
「研究だけを目的にした能力使用には、本人と保護者の同意が必要です」
ガルドが頷く。
「明らかな危険がある場合は、安全確保を優先することがあります」
ティアが少しだけ眉を寄せる。
「でも、説明する?」
「します」
「あとでも?」
「必ず」
ティアはそこでようやく、少し笑った。
セレスは紙を閉じる。
「以上が、中央の回答です」
ガルドが頭を下げた。
「ありがとうございます」
「私だけで決めたことではありません」
「それでも」
ガルドはもう一度、頭を下げる。
セレスは少しだけ困ったような顔をした。
◇
帰る前。
シオンは廊下でセレスに呼び止められた。
ティアとガルドは少し先を歩いている。
エルナは部屋に残っていた。
「シオン」
「なに?」
「一つだけ」
セレスは壁際に立ったまま、シオンを見る。
「今回、あなたの案が通ったわけではありません」
シオンは少し考える。
「うん」
セレスの眉がわずかに動く。
「分かってる?」
「条件が揃ったから?」
少し間があった。
「そうです」
「じゃあ、条件が変わったら」
シオンは続ける。
「答えも変わる」
セレスはシオンを見る。
「……そこまで分かっているならいいです」
シオンは首を傾げる。
「違うと思ってた?」
「少しだけ」
「なんで?」
「十歳だから」
シオンは少し考える。
「十歳だと分かんない?」
「普通は、もう少し喜んでもいいと思う」
シオンは前を見る。
ティアがガルドの横で何か話している。
さっきより、ずっと明るい顔だった。
「嬉しいよ」
「そう見えない」
「ティアがいるから」
セレスは少し黙る。
「そう」
それだけ言った。
シオンは歩き出そうとする。
「もう一つ」
また呼ばれた。
「なに?」
「自分の《比較解析》を、どう思っていますか?」
急な質問だった。
シオンは少し考える。
「便利」
「それだけ?」
「うん」
「弱いとは思わない?」
「前は思った」
「今は?」
シオンは少しだけ首を傾げる。
「使えるから、別に」
セレスは何か言おうとして、やめた。
「そう」
「終わり?」
「終わりです」
「じゃあ帰る」
「気をつけて」
シオンはティアたちの方へ向かった。
◇
セレスは、その背中をしばらく見ていた。
エルナが後ろから出てくる。
「何話してたの?」
「少しだけ」
「また変なこと聞いた?」
「失礼ね」
「違う?」
セレスは答えなかった。
代わりに、シオンが廊下の角を曲がるのを見る。
「能力そのものは、記録通りなのよね」
エルナが横に並ぶ。
「うん」
「二つの対象を、一つの条件で比べる」
「うん」
「それだけ」
エルナが少し笑う。
「それだけを四年使ってる」
セレスは黙る。
「中央に戻ったら」
エルナが言う。
「シオンのことも報告する?」
「しません」
「しないんだ」
「今回の報告に加えるほどのことではありません」
セレスは少しだけ間を置く。
「ただ、少し気にはなります」
「能力が?」
「本人が」
エルナはそれ以上、何も言わなかった。
◇
祝紋院を出ると、ティアがシオンの袖を引いた。
「兄ちゃん」
「なに?」
「帰っていいんだよね?」
「うん」
「今日も?」
「今日も」
「明日も?」
「明日も」
「三か月ずっと?」
シオンは少し考える。
「今のままなら」
ティアが少しだけ嫌そうな顔をする。
「セレスさんみたい」
「なんで」
「すぐ条件つける」
ガルドが笑った。
シオンも少しだけ考える。
それから、ティアを見る。
「じゃあ」
「今日は家に帰れる」
ティアが笑う。
「うん」
それで十分だった。




