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比較不能 ―《比較解析》の少年と、正解のない世界  作者: たんぱくしつ
第二章 共有する少女

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ここにいたい

翌朝。


シオンたちは、もう一度祝紋院に集まった。


昨日使った紙は、そのまま残っている。


家。


地方院。


代理担当。


夜。


緊急時。


中央への報告。


再評価。


その一番下には、昨日まではなかった言葉が一つだけ増えていた。


『ティアの気持ち』


シオンはそこを見る。


 「これ、昨日なかった」


 「最後に足しました」


セレスが言う。


ティアも紙を覗き込む。


 「わたしの気持ち?」


 「そうです」


 「何するの?」


セレスはすぐには答えなかった。


代わりに、ティアの正面に座る。


 「昨日まで、私たちはずっと、どうすればあなたが安全にここで暮らせるかを考えていました」


 「うん」


 「家族が見ること」


 「うん」


 「地方院で確認すること」


 「うん」


 「危ない時にどうするか」


 「うん」


ティアは少し考える。


 「いっぱい決めた」


 「そうね」


セレスが紙を見る。


 「でも、一つ抜けていました」


シオンも紙を見る。


何が抜けていたのか。


今なら、少し分かる気がする。


 「ティアさん自身が、どうしたいか」


ティアが瞬きをする。


 「昨日、聞いたよ?」


ガルドが言う。


 「ここにいたい、って」


 「それは聞きました」


セレスは頷く。


 「でも、それだけでは足りません」


シオンが顔を上げる。


また。


足りない。


 「何が?」


 「ここに残ったあとです」


セレスが言う。


 「訓練したくない日があったら?」


ティアが少し考える。


 「やらない」


 「そうしたい?」


 「うん」


セレスは頷く。


 「じゃあ、それも決まりに入れましょう」


シオンが少し驚く。


 「休んでいいの?」


 「通常の訓練なら」


 「毎回?」


 「何度でも理由を聞かずに、という意味ではありません」


ティアの眉が少し下がる。


 「じゃあ、嫌って言っても意味ない?」


 「違います」


セレスの返事は早かった。


 「嫌だと言ったことを、無視して進めないようにするんです」


ティアは黙る。


 「どうして嫌なのか」


 「うん」


 「体調が悪いのか」


 「うん」


 「怖いのか」


 「うん」


 「ただ今日はやりたくないのか」


 「……それも?」


 「それも」


ティアは少しだけ安心した顔をする。


 「じゃあ、言っていい?」


 「言っていい」


シオンは帳面を開く。


『ティアの気持ち』


その下に書く。


『やめたいと言える』


 「兄ちゃん」


ティアが言う。


 「なに?」


 「昨日、それ書いてなかった」


シオンの手が止まる。


 「……うん」


 「わたしが嫌かどうか」


シオンは昨日の頁を見返す。


家。


地方院。


担当。


代理。


夜。


報告。


見直し。


中央確認。


本当にない。


ティアの体調は書いた。


異常も書いた。


危険も書いた。


でも、


嫌だ。


怖い。


今日はやりたくない。


そういうものは、一つも書いていなかった。


 「……忘れてた」


シオンが言う。


ティアは少し考える。


 「じゃあ、今書いたからいい」


 「うん」


シオンはもう一度書く。


今度は少し大きく。


『ティアが嫌なら言う』


     ◇


セレスは次の紙を出した。


 「もう一つあります」


 「まだ?」


シオンが聞く。


 「あります」


 「何?」


 「訓練と、調査は同じではありません」


ティアが首を傾げる。


 「どう違うの?」


エルナが答える。


 「ティアちゃんが《共有》を安全に扱えるようになるために練習するのが訓練」


 「うん」


 「祝紋院が知りたいことを調べるために、能力を使ってもらうのが調査」


ティアは少し考える。


 「わたしのためと、みんなのため?」


 「だいたいそんな感じ」


エルナが言う。


セレスが続ける。


 「調査の中には、ティアさん自身の安全のために必要なものもあります」


 「じゃあ、やる?」


 「必要なら」


セレスはそこで少し言葉を切った。


 「でも、知りたいからという理由だけで能力を使わせる場合は別です」


ガルドが眉を寄せる。


 「どういうことですか?」


 「たとえば、《共有》がどこまで届くのかを知りたい」


 「はい」


 「何人まで同時につながるのかを調べたい」


 「はい」


 「別の祝紋と組み合わせた時に、何が起きるのか試したい」


シオンは、銀貨を比べていた時のことを思い出す。


線。


傾き。


ティアが見たもの。


 「そういう試し方をするなら」


セレスはガルドとティアを見る。


 「ティアさん本人と、保護者の同意を必要にします」


ガルドが少しだけ目を見開く。


 「断れるんですか?」


 「研究だけが目的なら」


 「中央がやりたいと言っても?」


 「断れます」


シオンは書く。


『調べるだけなら』


『ティアと父さんがいいと言った時だけ』


少し考える。


 「でも、危ないかどうか分からない時は?」


 「そこは別です」


セレスが言う。


 「安全を確かめるために必要な場合は、完全に同じ扱いにはできません」


ティアが聞く。


 「嫌って言っても?」


 「危険が大きい時は、安全を優先することがあります」


 「たとえば?」


 「何人もの人と急につながって、そのまま切れなくなった時」


ティアの顔が少し固くなる。


 「その時に『触らないで』と言われても、何もしないわけにはいきません」


少し静かになる。


セレスは声を変えなかった。


 「でも」


ティアが顔を上げる。


 「できる限り、何をするのか先に説明します」


 「絶対?」


 「できる限り」


 「できる限りって?」


セレスが少しだけ困った顔をする。


 「本当に急いでいる時は、先に助けることがあるから」


ティアは少し考える。


 「あとで言う?」


 「必ず」


 「なんでやったかも?」


 「それも」


ティアは頷いた。


シオンは書く。


『危ない時は安全が先』


その下。


『あとで何をしたか説明する』


     ◇


そのあと、昨日までに作った案をもう一度見直した。


通常の訓練は、ティア自身が中止を申し出られる。


中止を申し出た時は、理由を確認する。


体調が悪ければ、その日は行わない。


怖さや不安が強い場合も、無理に続けない。


研究だけを目的にした能力使用は、ティアとガルドの同意が必要。


明らかな危険がある時は、安全を優先する。


その場合も、何をしたのかはあとで説明する。


シオンは書き終わった頁を見る。


昨日までより、少し違って見えた。


安全にするための決まり。


それだけではない。


ティアが、その中にいる。


     ◇


昼前。


セレスは全部の紙を一つにまとめた。


 「では、確認します」


部屋が静かになる。


 「アルネアでの試験運用」


シオンが顔を上げる。


 「試験?」


 「この形で、本当に安全に暮らせるかを見る期間です」


 「どれくらい?」


 「原則三か月」


昨日の中央案と同じだった。


でも、意味は違う。


中央で三か月ではなく。


ここで三か月。


 「最初の一か月は、地方院から中央へ週ごとに報告」


 「うん」


 「その後、状態が安定していれば月ごと」


 「うん」


 「一か月後を目安に、中央から再評価」


 「うん」


 「日常の観察は家族」


ガルドが頷く。


 「定期的な確認と訓練は地方院」


エルナが頷く。


 「エルナ不在時には代理担当」


 「はい」


 「夜間については、すぐ動ける担当を近くに置けるよう調整する」


シオンが帳面を見る。


昨日は、まだ確認が必要だったところだ。


 「《共有》の兆候が出た場合は、まず視覚刺激を減らす」


目を閉じる。


必要なら覆う。


周りで祝紋を使っている人がいれば、できる限り止めてもらう。


 「改善しない場合は地方院へ連絡」


セレスは続ける。


 「強い頭痛、繰り返す嘔吐、意識の混乱、複数人への同時共有、これまでにない感覚が確認された場合は、中央へすぐ報告」


 「うん」


 「必要と判断された場合は、保護方針を再検討」


少しだけ空気が重くなる。


でも、昨日ほどではない。


 「そして」


セレスが最後の紙を見る。


 「通常訓練については、ティアさん本人が中止を申し出ることができます」


ティアが頷く。


 「研究目的の能力使用には、本人と保護者の同意を必要とします」


ガルドが頷く。


 「明らかな危険がある場合は、安全確保を優先します」


ティアは少しだけ迷ってから、頷いた。


セレスは紙を置く。


 「以上です」


シオンが聞く。


 「これなら?」


セレスは少し考える。


 「中央へ提案できる形にはなりました」


ガルドが息を吐く。


 「じゃあ、残れるんですか?」


 「まだ決定ではありません」


セレスはすぐに答えた。


 「中央で正式な承認が必要です」


 「どれくらいかかります?」


 「早ければ数日」


ガルドが頷く。


昨日までなら、その言葉だけでも不安になっていたかもしれない。


でも今は、待つものがある。


     ◇


セレスは紙を閉じなかった。


最後に一枚だけ残す。


 「ティアさん」


 「なに?」


 「一つだけ、もう一度聞きます」


ティアはセレスを見る。


 「この形なら」


少し間がある。


 「どうしたい?」


ティアはすぐには答えなかった。


ガルドを見る。


シオンを見る。


エルナを見る。


机の上の紙を見る。


それから、


 「……今は、ここにいたい」


小さな声だった。


でも、聞き返す必要はなかった。


セレスは頷く。


 「分かりました」


ティアが少し不安そうに聞く。


 「それも書く?」


 「書きます」


 「中央にも?」


 「伝えます」


ティアは少しだけ笑った。


シオンは帳面を見る。


昨日、


『足りないもの』


そう書いた頁。


そこにはもう、ほとんど余白が残っていない。


最後に、一番下へ書く。


『ティアは、今はここにいたい』


少し見てから、鉛筆を置いた。


残れると決まったわけではない。


まだ中央の答えもない。


《共有》のことだって、分からないことばかりだ。


それでも、昨日までとは違う。


シオンは最後に書いた一行を見る。


『ティアは、今はここにいたい』


その言葉も、今はちゃんと、ここにあった。

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