作る
一度、休憩を挟むことになった。
ティアはガルドと飲み物を取りに行き、エルナも一度席を外した。
シオンは残った。
机の上には、中央の保護案。
その横に、自分の帳面。
新しい頁の一番上には、
『足りないもの』
とだけ書いてある。
シオンは、その下をしばらく見ていた。
夜。
エルナさんがいない時。
急に悪くなった時。
何人も同時につながった時。
中央が確認する方法。
家でできること。
思いつくたびに、一つずつ書いていく。
全部が正しいかは分からない。
でも、分からないなら聞けばいい。
◇
みんなが戻ってくる頃には、頁の半分ほどが埋まっていた。
セレスも席に着く。
シオンは帳面を机の真ん中へ出した。
「じゃあ、家でできることからでいい?」
ガルドが頷く。
「俺にできることならな」
「体調を見る」
「それはできる」
「頭痛とか、吐き気とか」
「毎日聞けばいいか?」
「毎日じゃなくてもいいんじゃない?」
ティアが言う。
「毎日聞かれたら嫌」
ガルドが少し困った顔をする。
「じゃあ、どうする?」
ティアは考えた。
「変だったら言う」
「言わなかったら?」
シオンが聞く。
「言うって」
「忘れたら?」
「忘れない」
「本当に?」
「兄ちゃん、うるさい」
セレスが小さく息を吐いた。
笑ったのかもしれない。
エルナが間に入る。
「毎朝毎晩、決まったように聞く必要はないと思う」
「じゃあ?」
「普段の様子を家族に見てもらう。それと、ティアちゃん自身にも、変だったら言ってもらう」
「それならできる」
ガルドが言う。
シオンは書く。
『家』
『いつもの様子を見る』
『変だったらティアが言う』
少し考えて、付け足す。
『言わない時もあるかもしれない』
ティアが横から見る。
「それいらない」
「いる」
「なんで」
「まだ分かんないから」
「わたしは言う」
「じゃあ、ちゃんと言ったら考える」
「消さなくていい」
ガルドが笑う。
「そこは残しとけ」
ティアが頬を膨らませた。
◇
次は、地方院でできること。
エルナが答える。
「定期的な体調確認」
「うん」
「《共有》が起きた時の状態を確かめること」
「うん」
「発動後の負担を見ること」
シオンは書いていく。
「毎日?」
「必要ない」
「週に何回?」
エルナは少し考えた。
「最初は二、三回くらいからかな」
「中央より少ない?」
「中央でも毎日やるとは限らないわよ」
セレスが言う。
シオンは帳面を見る。
「じゃあ、週三回くらい?」
「最初の目安としてなら」
エルナが答える。
シオンは書いた。
『地方院』
『週三回くらい』
「くらい、って書くの?」
セレスが聞く。
「変えられる方がいいから」
「そうね」
シオンが少しだけ顔を上げる。
褒められたような気がした。
でも、セレスはもう次の紙を見ていた。
「ただし、確認する日は先に体調を見ること」
「分かった」
「本人が疲れている時も中止」
シオンが書こうとして、手を止める。
「疲れてるって、どうやって決める?」
セレスがこちらを見る。
「全部を決めるのは難しいわね」
「じゃあ、決められない?」
「全部は無理」
昨日から何度も出てきた言葉だった。
全部じゃなくていい。
シオンは少し考える。
「頭痛」
「うん」
「吐き気」
「うん」
「眠れてない」
「それも」
「熱」
「もちろん」
「じゃあ、分かるやつだけ決める」
セレスが少しだけ目を細める。
「またそれね」
「だめ?」
「いいえ」
シオンは書く。
『中止する条件』
『頭痛』
『吐き気』
『寝不足』
『発熱』
その下。
『ほかにも変なら担当の人が判断』
エルナが見る。
「私じゃなくなった」
「エルナさんがいない時もあるから」
エルナは少し驚いたあと、笑った。
「ちゃんと覚えてたのね」
◇
話を続けるうちに、机の上の紙が増えていった。
家で見ること。
地方院でやること。
異常が出た時。
中央へ連絡する条件。
一か月ごとの確認。
シオンは一つずつ並べていく。
けれど、セレスはまだ頷かなかった。
「エルナがいない日は?」
シオンの手が止まる。
「休み?」
「休みもあるし、別の仕事で町を離れることもある」
シオンはエルナを見る。
「あるの?」
「あるよ」
「じゃあ、その日は訓練しない」
「日常で《共有》が起きたら?」
止まる。
「地方院に連絡」
「誰が受けるの?」
「……エルナさんじゃない人」
「誰?」
シオンは答えられない。
セレスは急かさなかった。
少しして、エルナが言う。
「代理の担当を決めることはできると思う」
シオンが顔を上げる。
「できる?」
「一人だけじゃなくて、何人かに必要なことを覚えてもらった方がいいでしょうね」
「《共有》のことを全部?」
「必要な範囲だけ」
シオンはすぐに書く。
『エルナさんがいない時』
『代わりの人』
セレスが口を開く。
「それだけでは足りません」
「まだ?」
「夜」
シオンが少し嫌そうな顔をする。
「昨日も夜だった」
「だから今日も」
ガルドが苦笑する。
「夜中に何かあったら、俺が地方院まで走ります」
「それでは遅い場合があります」
セレスが言う。
ガルドの顔が少し固くなる。
「じゃあ、どうすれば?」
今度はエルナも少し考えた。
「最初の間だけ、夜に動ける担当を近くへ置くのは?」
セレスがエルナを見る。
「近く?」
「リーメル家まで、すぐ行ける場所に一人。地方院の職員を交代で」
「毎晩?」
「ずっとじゃない。少なくとも最初の経過を見る間」
セレスはすぐには答えなかった。
シオンが聞く。
「できる?」
「人を回せるか確認が必要です」
「できない?」
「まだ、できないとは言っていません」
シオンは帳面へ書く。
『夜』
『近くに担当の人』
少し考えて、その横に付け足した。
『できるか確認』
セレスがそれを見る。
「今回はちゃんと書いたのね」
「まだ決まってないから」
◇
話は続いた。
《共有》が起きた時は、まずティアに目を閉じてもらう。
必要なら目を覆う。
近くで祝紋を使っている人がいれば、できる限り止めてもらう。
それでも続くなら、すぐ地方院へ知らせる。
強い頭痛。
繰り返す嘔吐。
意識の混乱。
複数人への同時共有。
これまでにない感覚。
そういうものが出た場合は、中央にもすぐ報告する。
一定の条件を超えた場合は、その時点で改めて方針を見直す。
そして、経過をまとめて中央へ送る。
「ここまでなら?」
シオンが聞く。
セレスは紙を見る。
「まだ」
シオンが少しだけ眉を寄せる。
「何が?」
「中央への報告」
「一か月ごとじゃ駄目?」
「最初のうちは、もっと短い間隔で欲しい」
「どれくらい?」
「最初の一か月は、週ごと」
「毎週、中央から誰か来る?」
「来ません」
「じゃあ?」
「記録を送ってもらえばいい」
シオンはすぐに書く。
『最初の一か月』
『週ごとに報告』
「そのあと?」
「状態が安定していれば、月ごとでもいい」
「中央の人が来るのは?」
「一か月後を最初の目安にしましょう」
シオンが書く。
セレスはそれを見て、少し考えた。
「そこまで整えられるなら、現実的にはなってきます」
シオンの鉛筆が止まる。
また。
そこまでなら。
でも、その時は何も言わなかった。
◇
午後もだいぶ過ぎた。
ティアは途中から、ガルドに寄りかかるように座っていた。
シオンはまだ帳面を見ている。
少し前まで『足りないもの』としか書かれていなかった頁は、今では文字で埋まっていた。
家。
地方院。
担当。
代理。
夜。
報告。
見直し。
中央確認。
「まだ足りない?」
シオンがセレスに聞く。
セレスはすぐには答えなかった。
「かなり減った」
「じゃあ、あと少し?」
「そうね」
その答えを聞いて、シオンは少しだけ安心した。
◇
夕方。
最後に、みんなで紙を囲んだ。
シオンが書いたものを、エルナが順番に読み上げる。
「日常の観察は家族」
「定期的な確認は地方院」
「エルナ不在時には代理の担当」
「夜間は、すぐ動ける担当を近くに置けるか確認」
「異常時の初期対応」
「中央への報告条件」
「一定の条件を超えた場合は方針を再検討」
「最初の一か月は週ごとの経過報告」
「一か月後に中央による再評価」
ガルドが聞く。
「これなら、家にいてもいいってことですか?」
セレスは紙を見る。
「まだ正式には認められません」
ガルドの表情が少し固くなる。
「でも」
セレスが続けた。
「最初に比べれば、かなり現実的になっています」
エルナが笑う。
「最初って、今日の朝?」
「そう」
「早いね」
「早すぎるくらい」
セレスの目が、少しだけシオンに向く。
ティアが紙を覗き込んだ。
「わたし、何するの?」
シオンが答える。
「変だったら言う」
「それだけ?」
「確認もする」
「週三回?」
「たぶん」
「多い」
「中央に行ったら、もっとあるかもしれない」
「じゃあ三回でいい」
ガルドが笑う。
エルナも笑った。
セレスだけは、まだ紙を見ていた。
◇
その日の確認が終わったあと。
ガルドとティアは先に帰った。
シオンも玄関まで行ったところで、帳面を一冊置き忘れたことに気づく。
来た道を戻ると、廊下の先の部屋からエルナとセレスの声が聞こえた。
入ろうとして、足が止まる。
「……私、今日何回『それなら』って言った?」
セレスの声だった。
少し間がある。
「数えてたの?」
エルナが聞く。
「そういう問題じゃない」
「じゃあ何?」
「最初は、中央の案を説明していただけだったの」
「うん」
「途中から、私がどこまで認められるか答える話になってた」
エルナが少し笑う。
「気づくの遅くない?」
「あなたは気づいてたの?」
「途中で」
「言って」
「必要だった?」
セレスは答えなかった。
シオンは扉の外で首を傾げる。
何の話をしているんだろう。
「あの子、最初からこの形を考えてた?」
セレスが聞く。
「たぶん違う」
エルナが答える。
「最初は本当に、何が足りないか知りたかっただけだと思う」
「途中から?」
「見つけたんじゃない?」
少し静かになる。
「ここに残れる形を?」
「うん」
「それで、一つずつ聞いてた?」
「たぶん」
セレスが息を吐く。
「……誘導されたのかしら」
エルナは少し考えた。
「嫌な答えを言わされた?」
「それはない」
「言ってないことを、言ったことにされた?」
「されてない」
「じゃあ、いいんじゃない?」
また沈黙。
セレスが言う。
「六歳の時の記録と、印象が違う」
「《比較解析》?」
「ええ」
「能力は、たぶんそんなに変わってないよ」
「じゃあ、変わったのは?」
エルナの答えは早かった。
「使ってる方」
シオンは自分の左目に触れた。
扉の向こうで、セレスが小さく息を吐く。
「頭がいい、だけじゃない」
「うん」
「考え方が……」
少し間があった。
「変?」
エルナが言う。
「その言い方でいいの?」
「私はずっとそう思ってる」
セレスが小さく笑った気配がした。
シオンは少しだけ足音を立ててから、部屋へ入った。
「帳面、忘れた」
二人がこちらを見る。
エルナはいつも通りだった。
セレスだけが、少し長くシオンを見た。
「これ?」
エルナが机の端にあった帳面を持ち上げる。
「うん」
シオンは受け取る。
「じゃあ帰る」
「気をつけて」
扉へ向かおうとした時だった。
「待って」
セレスが言う。
シオンが振り返る。
セレスは机の上に残った紙を見ていた。
「一つ、足りない」
シオンの足が止まる。
「なに?」
セレスは紙を指で追う。
「家族が見る」
一つ。
「地方院が見る」
二つ。
「中央が判断する」
三つ。
その指が止まった。
「でも、ティアさん本人がどうするかが入っていない」
シオンは紙を見る。
「ティアが?」
「訓練をやめたい時」
セレスが言う。
「今日は嫌だと言った時。怖いと言った時。誰かとつながりたくないと言った時」
シオンは黙る。
今まで決めたことを思い返す。
見る。
確認する。
止める。
連絡する。
全部、周りがティアにすることだった。
ティアが決めることは、
変だったら言う。
それだけ。
「それも決める?」
「決めた方がいい」
「どうやって?」
セレスは少し考えた。
「それは、本人に聞かないと」
シオンは帳面を開く。
『足りないもの』
文字で埋まった頁の一番下。
そこに、一つだけ書き足した。
『ティアの気持ち』
鉛筆を止める。
まだ、何を書くかは決まっていない。
でも。
今度はティアに聞く番だった。




