第8話:『「うみ」と呼ばれた男』
「な……男……!?」
ひまりが素声をあげ、後ずさって壁に背中を打ち付けた。
床に転がるゴスロリのウィッグ。フリルの衣装を着たまま立ち上がった青年の背丈は、175センチを超えている。
アサミも言葉を失い、構えていたスマホを危うく落としそうになっていた。
「あなた……女のフリをしてファンサイトに入り込んでいたの……!?」
麗華が凄惨な顔で叫ぶ。
「変質者……! 警察に突き出してやるわ!」
「警察? 勝手に通報しろよ」
イチゴ――男は、胸元を大きく乱暴にはだけさせると、喉仏の浮き出た首筋を指で掻きながら冷たく笑った。
「言ったろ? 俺があの部屋にいたのは、あいつ(ライト)に呼ばれたからだってな。不法侵入だのストーカーだの、勝手な妄想で喋ってんじゃねえよ」
「嘘をつかないで!」
麗華が食ってかかる。
「渚があなたみたいな男を部屋に入れるわけがないでしょう! 鍵だって盗んだんじゃないの!?」
「盗む? ハッ、これか?」
男はテーブルの上に転がる鍵束を指先で弾いた。チャリン、と甲高い金属音が響く。
「この合鍵はな、あいつが売れる前、狭い四畳半のアパートで二人暮らししてた時から俺に渡してきたやつだよ。あいつが『ライト』なんて柄じゃない芸名で呼ばれる前から、俺たちはあの部屋でずっと一緒にメシ食って、同じベッドで寝てたんだよ」
「同居人……!?」
ユカが目を丸くする。
「あーっ! あんた……! ライトが店で泥酔した時、『家にめんどくさくて愛おしい同居人がいる』って言ってた、あの『イチゴ』か!?」
「へえ、ユカちゃんは話が早いな」
イチゴはフッと不敵な笑みを浮かべ、ポケットからタバコを取り出そうとして、禁煙の部屋であることを思い出したように舌打ちをした。
「そうだよ。俺とあいつは、お前らが知ってる『2.5次元スターのライトくん』になる前から、ずっと二人で生きてきたんだ」
「そんなの……聞いたことがないわ……!」
アサミが蒼白な顔で首を振る。
「彼の履歴書にも、事務所の調査にも、そんな男の存在なんてどこにも——」
「当たり前だろ、隠してたんだからな」
イチゴの目が、冷たく光る。
「お前らみたいな『公式の人間』や『綺麗なファン』にバレたら、あいつのキャリアが一瞬で吹き飛ぶからな。男の親友、あるいはそれ以上の関係の男が家に転がり込んでるなんて知られたら、お前ら掌返してあいつを叩くんだろ?」
「それは……」
アサミが言葉を詰まらせる。
「お姉さん」
イチゴはターゲットを麗華に変え、ゆっくりと一歩踏み出した。
「さっきから『ナギ』だの、そっちの小娘は『なぎくん』だの……あいつの過去の狭い名前で呼んでんじゃねえよ。あいつが本当に壊れそうな時、俺の胸の中でなんて呼ばれてたか、教えてやろうか?」
「……え?」
麗華が息を呑む。イチゴは地声の低く澄んだ声で、ゆっくりと、愛おしそうにその名を口にした。
「『うみ』だよ。あいつの本名は渚……海と陸の境界線のことだ。お前らが『ライト』っていう陸の檻に閉じ込めるから、俺の前でだけ、あいつは境界線のない『うみ』に戻れたんだよ」
「うみ……」
ひまりが呟く。イチゴ以外の誰も知らない、他の4人には絶対にピンと来ない、歪で美しい二人だけの呼び名。
イチゴは目の前の全員を見下ろし、吐き捨てるように言い放った。
「あいつを殺したのは、ストーカーの俺でも、怪しい外部の人間でもねえ。――『ライト』っていう都合のいい人形を押し付けて、生身の『如月渚』を殺した、お前ら全員だよ」




