第10話:『開かないドア』
「なぎくんが……死ぬ直前に本当に縋りたかったのは……私です」
静まり返った室内で、ひまりの発言が小さな波紋を広げる。
テーブルの上に置かれたスマホの画面には、ライトの非公開アカウントから届いたダイレクトメッセージが表示されていた。
送信時刻は、1年前の7月15日、22時15分。
イチゴがベランダから立ち去り、ドアが固く閉ざされた後の時間帯だ。
そこには、普段の華やかな「ライト」からは想像もつかない、あまりにも泥臭く切実な文章が綴られていた。
『もう全部やめたい。東京も、仕事も、ファンも、全部捨てて、地元の田舎に帰りたい。また昔みたいに、ただの「なぎくん」として、お前の隣にいさせてくれないか』
「……なぎくん?」
麗華が画面を注視し、声を震わせた。
「渚が……あなたにそんな連絡を……? あなた、一体あの子とどういう関係なの?」
ひまりは涙をポロポロと零しながら、意を決したように胸を張った。
「私は……ひまりは、ライトくんの地元の幼馴染です。彼が『如月渚』だった頃、一番近くにいた人間です」
ひまりのカミングアウトに、アサミとユカが息を呑む。
「幼馴染……。だからあなた、彼のアカウントを知っていたのね」
アサミの問いかけに、ひまりは小さく頷いた。
「はい。東京に出て『ライト』になってからも、なぎくんは精神的に限界になると、いつも私に連絡をくれていました。私だけが、彼にとって『何者でもない自分』に戻れる、唯一の逃げ場所……唯一のオアシスだったんです」
ひまりは愛おしそうにスマホを抱きしめた。
「イチゴさん……あなたが部屋から追い出された後、なぎくんが最後に頼ったのは、ファンでも、事務所でも、親友でもない……地元で待っている私だったんですよ」
勝ち誇ったような、けれど痛々しいひまりの言葉。
イチゴは涙を拭い、冷めた目でひまりを見つめた。
「へえ……。で? その『唯一のオアシス』様は、そうやって助けを求めてきたあいつに、なんて返信したんだ?」
「え……?」
ひまりの動きがピタリと止まる。
「タイムラインを見ればわかるだろ。あいつが手すりを乗り越えたのは23時頃だ。お前にDMを送ってからの45分間……お前は『返信』をしたはずだ。なんて返したんだよ」
イチゴの鋭い追撃に、アサミも即座にタブレットを操作し、通信ログを照合した。
「メッセージの送信ログ……確かにあるわ。22時30分、あなたの端末から彼へ返信が送られている。ひまりさん、あなた……彼に何を返したの?」
「それは……私は……っ」
ひまりの顔から、みるみるうちに血の気が引いていく。
清楚だった彼女の表情が、罪悪感と恐怖で醜く歪み始めた。
「言えよ!!」
イチゴが怒号を飛ばす。
「あいつが最後に縋ったオアシスが、一体どんな救いの言葉をかけたのか、教えろよ!!」
「嫌……嫌あぁぁっ!!」
ひまりは両耳を塞ぎ、その場に泣き崩れた。
彼女が抱えていた、あまりにも残忍で、無垢な「狂気」の蓋が、ついに暴かれようとしていた。




