三章二話[荒波を越えて]
「――優莉ッ!!」
「ふぎゃッ!?」
カエルの潰れたような声。
柔らかい感触と温もりが両腕を伝う。
「うにゃ〜……く、苦しい……っ、ご主人〜!」
目を開けると、俺の腕の中に見覚えのある顔があった。
「優、莉……?」
「ち、違うにゃ! ご主人、離して〜!」
――ああ、なんだ。お前か。
そこでようやく俺の脳は覚醒した。
「っと、悪い。寝ぼけてた……」
慌てて腕を緩め、レイを解放する俺。
「……うにゃ〜、死ぬかと思ったにゃ」
「大袈裟だな。悪かったって」
バツが悪い。視線を逸らす俺の顔を、レイが心配そうに覗き込む。
「うなされてたにゃ……ご主人、大丈夫?」
「ああ、まあ……ちょっと、嫌な夢見てな……」
ジッと俺の顔を見つめるレイ。優莉によく似た大きな瞳に、疲れた顔の自分が反射していた。
「駄目にゃ」
「ん? なにが?」
「考えちゃ。あんなの、どうしようもにゃい。カンにゃだって、きっとそう言うにゃ。だから……」
そこで言葉を切り俯くレイを見て、俺はますますバツが悪くなった。
――プレヌメールの惨劇。
青き災厄。津波。沈みゆく島。いなくなった人達。嗤うヴィオレ。最後に見た、カンナの笑顔。
今は別に、それらのことを想っていたわけじゃなかったから。
「ああ、そうだな。ありがとう」
そう言うしかなくて。
それでも、レイはホッとしたのかいつもの調子で、
「……いや〜、ホントびっくりしたにゃ。寝顔見てたら急に抱きつかれて……まあ、ご主人もオスだから? 仕方にゃいのかにゃ?」
「うるせー馬鹿」
悪戯っぽいそのにやけ顔がますます優莉みたいで……俺はまた目を逸らした。
「それより! ご飯! 起きたならご飯食べ行くにゃ! 今日はイレーネさんが作ってくれるって!」
「イレーネさんが? へぇ〜」
料理できたのか、あの人。
医者が作る朝ごはん、そりゃ楽しみだ。
「……行くか」
「うん、にゃ!」
そうして扉に手をかけた一瞬、ふとよぎる。
――優莉。
アレは……本当に、夢だったのか?
それにしては、全ての質感がリアルで……それに――
「――巧実……」
思い出したくもない。
優莉と巧実……二人の姿。あの光景がもし現実だったとしたら、俺は……っ。
確かめたかったら……分かってる。
『――勇者を探せ』
結局、それしかないってことは。
「……どこにいるってんだよ……」
御伽話の英雄。本当に、いるのか?
思考がぐるぐる回る。
「ご主じーん! はやくー」
「おい、待て。置いてくな!」
考えたら駄目、か。
さっきのレイの言葉。
夢の残り香を頭の中から振り払って、俺は食堂へ向かった。
***
「――“パラモン港”ッ! さあ、野郎共ォ! 錨を下ろせぇッ!」
船の甲板。
昼の日差しの中、威勢のいい声で船長が吠える。
プレヌメール島での脱出劇から数日――俺達はいよいよ次なる港へ辿り着いた。
「懐かしの中央大陸……やっと、帰ってこれたなおい!」
そうやって自分の部下らしき男達と話しているのは、商人のギリアン。
「すごいにゃ……船がいっぱい! 建物もいっぱいにゃ!」
「ハハ、あたぼうよ! ここパラモンは世界の中心。あらゆる国の、あらゆる品物が集まってくる中継都市だからな!」
手すりから身を乗り出して目を輝かせるレイに、ギリアンが得意げに語る。
確かに、凄い。
眼前に広がる街並みは、島国だったプレヌメールとは比べものにならないほど巨大で、活気に満ち溢れていた。
「人、多そうだな」
「まあ、人口で言ったら王都の次に多いんじゃねえか? 人種もなにも関係ないからな。ここだけは」
成る程、さすが世界の中心。
それだけ大勢の人が集まってるなら……もしかして、見つかるかもしれない。
探し人。
船にも、プレヌメール島にも“勇者”なんて職業の奴はいなかった。
手がかりも少ない。
この世界の御伽話に出てくるような人物で、聖獣と関わりがある。分かっている情報といえば、それだけだ。
だけど、それでも。
俺はソイツに会って、一刻でも早く元の世界に帰らなきゃいけない。
――待っている人がいるから。
そんな想いを胸に、俺は港の人だかりを眺めていた。
「……いよいよ、お別れですか」
ふいに聞こえた声。振り向いた先には――少し珍しい顔があった。
「あ、イレーネ! 来てたにゃ?」
「ええ、まあ……最後くらいは、と思いまして」
そう言っていつも通り、事務的な表情のイレーネ。
見送りに来てくれたのか、なんだからしくないけど、嬉しいな。
それにしても、最後って……。
「縁起でもないなぁ。別に、また会えますよ。お互い、生きてるんですから」
俺がそう言うと、イレーネは少しだけ口元を緩めた。
「成る程……ええ、確かに。そうですね」
「はい。だから、それまで、お元気で」
「ええ、あなた方もお達者で。どうか、無理などされないように」
医者らしい気遣いの言葉。
そんなイレーネへ、レイも声を掛ける。
「朝ごはん、美味しかったにゃ〜! また食べに来るにゃ!」
「ふふっ、お粗末さまでした。お口に合ったならよかったです」
イレーネの朝ごはん。
味付けは、いたって平凡。でも、栄養バランスのしっかりとれた優しい料理だった。
「おかげで元気が出ました。俺も、また食べに来ます」
「本職の方にそう言っていただけると……でも、私としては、貴方の料理をまた食べたい所ですね」
そう言って、イレーネは笑った。
「――着港ッ! パラモン港ォ! 降りる者は忘れ物のないように! 良き旅を!」
いよいよ完全に停止した船の甲板に船長の声が響く。
「それでは、皆様。また……お元気で」
「はい、それじゃ……」
「またにゃ〜!」
イレーネに、通りかかる船員の方々に頭を下げ、手を振って別れを告げる。
「……じゃあの。王都までは後少し、気を付けて行くがよい」
すれ違いざま、船長が声を掛けてくる。
「お世話になりました。色々と」
「げんきでにゃ〜!」
「ふぉっふぉ。もし働き口に困ったら来なさい。船の食堂は料理人不足じゃ。いつでも待っておるよ」
「はい。その時は、よろしくお願いします」
船長とそれだけの言葉を交わし、俺達は船を降りていく。
架け橋を渡るそのさなか――
『――いってらっしゃい』
とでも言うかのように、波風が俺達の背中を押した。
次回「甘い町」
乞うご期待!




