二章最終話[止まない雨はないから]
一人だった。
船の厨房で、俺は黙々と包丁を動かし、鍋を振っていた。
なにも考えずにいたくて。ただひたすらに料理に集中して。
俺には、これしかないから。
「……完成、っと」
ゆっくり、丁寧に皿に盛り付ける。
その……誰の口にも入らない料理を。
「――ご主人……」
ふと声が掛かる。
見ると、レイが静かに厨房に入ってくる所だった。
「……そろそろか?」
「うん……」
時間、だな。
「一口、食うか?」
「今は……いいにゃ」
首を振るレイ。
初めてだな。コイツが飯を断るのは。
まあ、しょうがねぇか。
「……行こう」
「うん」
重い足を引きずりながら、俺達は厨房を後にした。
***
雨が降っていた。
誰の瞳にも。誰の心にも。
空さえも、泣いているようだった。
「ハンにゃ……」
隣で、レイがぼそっと零した。
沈んだ声。沈んだ表情。
いや、レイだけじゃない。
船長やイレーネ、ギリアン達商人。島民も騎士も…………俺も。
船の甲板、立ち並ぶ者達は、皆一様に悲しげな雰囲気を纏って、そこに横たわる亡骸を見つめていた。
「……我らが神よ。“シヴィア”よ。今、貴方様の元へ多くの魂が参ります。どうか彼らの旅路に、貴方様の祝福があらんことを」
神父らしき男の声が響く。
祈りと、沈黙と、啜り泣く声。
それぞれが、それぞれの形で亡くなった命を想う。
「……それでは、皆様。献花を」
静かな声に促され、参列者達は甲板の中央、小舟に乗せられた亡骸の元へ。
「ウチの商品……まさか、こんな形で売り切れちまうとはな」
呟いたのはギリアン。
「……感謝するぞ。海の上に花は咲かんからのう」
「お役に立ててなにより、だ。今後とも、ポンタ商会をご贔屓に」
「ふぉっふぉ、こちらこそじゃ」
次々と花が手向けられていく中で、そんな会話が聞こえた。
「ハンナさん……どうぞ、安らかに」
別れを告げるイレーネ。
そんな彼女に続いて、他の船員達も涙ながらにハンナへ花を手向ける。
「騎士長殿へ……敬礼!」
そんな号令と共に、ガインへ深く一礼する騎士達。
雨に濡れることを、誰も気にしたりしない。
そして、
「ご主人……」
「ああ、行こう」
俺達の番だ。
ゆっくりと、人だかりの中を歩く。その手に手向けの花と――料理を持って。
「よぉ……ハンナ。すげぇじゃねえか。花塗れだ」
「にゃはは。埋まってるにゃ」
それだけ色んな人が、沢山の人が、お前と言葉を交わしたんだ。
その事実が、俺にとっても、せめてもの慰めになった気がして。
「ごめんな」
気が付けば、頭を下げていた。
「本っ当に、ごめん。俺は……カンナを、お前の妹を……守れなかった……っ」
「ご主人……」
雨が、頬を伝う。
守ってもらった命。繋げてもらった命。カンナに……いや、お前ら家族に、救われた命。
この恩は、もうどうやっても返せないから。
「……これ、作ったんだ。ちょいと冷めちまったけど、やるよ」
それは、なんの変哲もない料理。
「ガインさん、アンタにも……」
この世界にはない料理だけど、俺の世界ではどの家庭でも食べられてる、普通の――
『――料理人スキル。食材鑑定Lv4、発動』
浮かぶ文字列。
そこにはなんの特別もない――『カレーライス』という料理の名前があった。
「皆で、食べてくれよな」
姉妹で、親子で。家族水入らずで。
花と共に、料理を手向ける。
それを咎める者は、誰もいなかった。
「……皆、別れは済ませたかの?」
全員が花を手向け終えたのを見て、船長が告げる。
「うむ、ならば……始めようかのう」
船員に指示を飛ばす船長。
それに従い、男達がハンナ達の乗った小舟を運ぶ。
「魂は神の元へ。肉体は海に還す。船乗りの流儀じゃて」
小舟に縄が掛けられる。
吊り上げられた棺のようなそれを、誰もが固唾を呑んで見守っていた。
「ハンにゃ達……どこ行くにゃ?」
「どこ、って……」
分からない。
全部、沈んじまった。
アイツらにはもう、帰る場所がないんだ。
俺が、弱かったせいで。
「案ずるでない」
「え?」
ふいに言われて、振り向く。
船長と目が合った。
「なくなってはおらんよ」
「どういう、意味ですか?」
「故郷じゃ。彼らの故郷は、ここにある」
そう言って、船長は海原を指差した。
波の音が、耳を通り過ぎていく。
「島は沈んだ。もうない。彼らの故郷は……全て海の底じゃ」
深く、重く、その言葉は俺の胸にのしかかった。
「ならば――」
肩を叩かれる。ごつい感触、なんだか温かく感じた。
「――この海の全てが、彼らの故郷。帰る場所は、ここに……確かに、ある」
「……っ」
雨が、降っていた。
俺の目から降り出して、止まらなかった。
「……それにな」
優しい声。
「残ったものはある。お主が守ったものを、ちゃんと見なければのう」
「俺、が……?」
守った? そんなものが……。
「おお、そうじゃ! まだ礼を言っとらんかったな……ありがとうよ。お主らのお陰で、儂らは……まだ生きておる」
――ああ、そうか。
俺は、周りを見渡した。
島の人達……騎士の方々……ギリアン達商人……イレーネ、船乗りの皆……レイ。
色んな人達と、目が合った。
「まだ若いのに、よぉ頑張った。やはり、お主は英雄じゃよ」
「……っ!」
ガインに、ハンナに、カンナに。
皆に託されたバトン。
俺は……繋げることが、できたのかな?
『――ありがとう』
そんな声が聞こえた気がして。
そよ風が、俺の頬から、涙を攫っていった。
「さあ、送ってやろう」
厳しいよな。
悲しんでんじゃねぇって?
「ご主人、大丈夫にゃ?」
「ああ」
大丈夫じゃないけど、大丈夫。
下ばっかり向いてたら、怒られちまうから。
「野郎共、船を下ろせぇ!」
豪快な声と共に、小舟がゆっくりと降りていく。
「さらばじゃ……」
厳格な騎士の顔が浮かぶ。
「ばいばい……」
素直になれなかった少女の顔が浮かぶ。
「じゃあな……」
優しくて、誰よりも強かった少女の顔が浮かぶ。
――会えてよかった。
着水。
いよいよ舟は、海原へと旅立つ。
潮風が、彼らを迎えるように吹いていた。
「あ……」
顔を上げる。
いつの間にか、雨は止んでいた。
第二章、完結!
ここまで読んでくださった皆様。本当にありがとうございます!
次回は第三章……の前に、少し外伝を挟もうと思います。
乞うご期待!




