98.ファリシェの右手
今年の冬はコッタン全土はおろか、シェルファのコッタン寄りとケイオス北部、ウィシュメリアの北東部を強烈な寒さが襲っていて例の“護符”はとうとうコッタンに隣接する国境地帯の都市にも支給される事態に発展してしまっていた。さすがにここに来て大神殿の権力闘争もこの尋常ではない事態に終息とは言わないまでも休戦状態になりナーシャ様の神託を得ようと巫女様方が儀式の準備を開始されたとのニュースが報道機関各社から流れ始めていた。
「シェルファ支部とケイオス支部に所属してる冒険者の人たち、救援物資の荷運び大変そうだよねぇ」
『コッタンの小さな町はもっと大変だけどね。いくつかは氷結しちゃって住民の都市部への避難が遅れているみたいだよ?氷結しちゃった人たちの解凍作業に大陸全土のフェンリル神殿から応援が行ってるくらいだし』
伯爵家の居間に設置されている異世界日本にあったようなものとそっくりな、魔導音声映像受信機から流れる精霊王国とその国境地帯の惨状に葉月ちゃんは言葉を無くしているし、アイシャちゃんと私はどれだけ神様怒っているんだろうかと漠然と考えながらお喋りしていた。
この世界には気象学という考え方は存在しておらず、天候の移ろいは精霊たちによって左右されるものというのが一般的だ。そして今年のような極端な事象が起きた場合は精霊神様がお怒りになられていると言う風になり各地の関係しそうな大神殿を筆頭にした系列の神殿で精霊神様をお慰めするための儀式を続けると聞いている。
「そういえばウィンちゃん。さっきからレポーターさんが言っている“氷結者”って凍死者と何が違うの?」
『あ、そっか。葉月ちゃんはこの世界の冬は始めてだったね。うんとね、凍死者は有効な護符を持たずにいて文字通り凍って死んじゃった人。氷結者は護符の効果で仮死状態のまま凍り付いた人の事でフェンリル神殿に運び込まれれば息を吹き返す事ができる人の事だよ』
この護符にはフェンリル神の加護を示すプレダナン語によるフェンリルの紋章が描かれていて、それが輝きを保っている間は自然・魔法を問わず氷雪や冷気で死ぬことは無くなり最悪でも仮死状態にて“保存”される。ただし、ギルドギダンのように都市ごと氷結となるといくら仮死状態だとはいえ神殿に運び込むこと自体が不可能なので手の打ちようがないからどうしようもなく神様の怒りが収まるのを待つ他ない。
『こういうのって巫女様の儀式くらいで鎮まるものなの?』
「無理だと思うけどねー。大抵こういうのってさ、何か原因があるはずだよ?」
***
「ディアス宰相閣下、マインツ騎士団長殿がお会いしたいとのことですが」
「通してくれ。それから声を掛けるまでこの部屋に誰も入れるな」
「了解いたしました」
宰相補佐官が精悍な顔つきのすらりとした長身の男性を執務室へ招き入れると宰相の指示通りに宰相執務室へ通じる控えの間にて待機する。
「ディアス。大神殿のデービス副神殿長の素性が判明した。……ギルドギダン事件の副神殿長家の縁戚だ」
「……何。あそこの血筋は途絶えたと聞いていたのだがな」
「たまたまカミュイへ所用で訪れていて難を逃れていたらしい」
ギルドギダン事件。およそ200年前に起きたフェンリル大神殿における権力闘争の果てに起きた悲惨な事件。ナーシャ神に愛された全く罪の無い純真無垢な少女――リン・エンシェという名の当時既に筆頭巫女で大神殿長の愛娘に襲い掛かった悲劇。それを引き起こしたのが当時、大神殿長を追い落として権力を握ろうと画策していた副神殿長とその一派と現場に残された氷像たちから推定されている。
「……先祖が先祖なら子孫もか。だが奴にそんな力量や財力は無かったはずだが?」
「事件の教訓として以来、大神殿長は女性に限定し、巫女様方のいらっしゃる場を奥の院として男子禁制。警護や側仕えにも王家と騎士団、神殿騎士団による審査制と悲劇を繰り返さない為の方策を重ねて来たのだがな……どうやら背後に例の組織、邪教集団“ファリシェの右手”がいるらしい」
“ファリシェの右手”という邪教集団はもとから邪教として扱われていたわけではなかったのだがとある事件を機に邪教として大陸全土で認定された宗教団体だ。元々彼らはこの大陸の生まれではなく他の大陸からの漂流者で“ファリシェ”と言う唯一神を信仰していた船乗りたちだったらしい。基本的に他の宗教に寛容である我々としては害悪でないかぎり干渉するつもりは無かったし、彼らも特に我々に害を為すわけでも無かった。
それが急変してしまったのは彼らの母国から辿り着いたのだろう、ファリシェの聖騎士を名乗る者たちがユールシアはマーサにあったフェンリル神殿に対し武力でもって襲撃を掛けるという暴挙を起こしたのだ。《唯一神ファリシェの正義のもとに邪神フェンリルに鉄槌を!!》と。
マーサは当時はまだ小さな町で神殿にはろくに襲撃に耐えれるような備えは無く、神官は殺され、巫女たちは犯されたうえに売り飛ばされ、フェンリル様の像は神殿ごと破壊され、危急を知って勇敢にも彼らに立ち向かった市民たちは虐殺された。生き延びた市民の話によればまさに地獄絵図で改宗に応じない市民たちは邪教徒として処分されたと言い伝えられている。
ただ、彼らにとって不幸だったのはユールシアは大陸一の軍事国家で唯一飛空戦艦を所持する飛空艦隊がいたことだろう。ユールシア近衛艦隊の根拠地から飛来した怒りに燃えた、聖戦を発令したエフリート神殿の神官戦士団により彼らは一週間も経たないうちに殲滅され、恐らく本国に奴隷として連れ帰るつもりであっただろう囚われていた巫女や一般市民の若い婦女子たちを詰め込んでいた奴隷商船も奪還した。彼らは我々を蛮族のくせに、と罵っていたらしいが我々からすればお前たちのほうこそ蛮族だろうと言いたい。
「狂信的な集団に唆されたか、デービスは。だが上手く対処できれば……とか望むといらん被害が出そうだな」
「よく分かっているじゃないか。さすが宰相に上り詰めただけはあるな」
「ぬかせ。これでも元冒険者だ、貴族政治に明け暮れてなった歴代よりはマシである自覚くらいはあるつもりなんだが?」
「そういうお前じゃなきゃ安心して後方を任せられないさ、頼りにしてるぜディアス」
ディアスは“保温”の永続魔法付与されたティーポットからカップに紅茶を二人分注ぎ一つをマインツに勧めて執務机の反対側に椅子を置いて座らせてから再び口を開く。
「さてマインツ。話はそれだけではあるまい?」
「あぁ。結果として今回の権力闘争は副神殿長派に分が悪いようだ。これはこれで問題はない。ただ、ギルドギダン事件にも“ファリシェの右手”が関与していたことが明確になったとしたらどうする?」
「だが、今の巫女様方には神下ろしは不可能だぞ?あれはエンシェ家ないしレンシェ家の血筋か、寵愛を受けていないと…………何?」
「イーサニアとそれに連なる血筋の真実に気が付かれたやもしれん」
「だが何故だ。あれは王家と我々盟約の乙女・戦士にしか…………」
「…………フィナには悪いが今回の婚約、俺は反対する」
「あんの、クソガキ!!」
相変わらず激高すると言葉が汚いな、とマインツに呆れられてしまうがあの王太子のせいで一族が危険に晒されかけているのだ、しょうがないではないか。そう内心思いながらも息を整えるべく深呼吸をする。




