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第1話 俺は国家に捨てられた

 判決が下された瞬間、神代雄馬(かみしろ ゆうま)は、自分がもう人間として扱われていないことを理解した。


「被告人、神代雄馬。探索任務における重大な規律違反、機密情報の不正持ち出し、ならびに仲間の殺害を企てた疑いについて――」


 白い壁に囲まれた審問室に、感情のこもらない声が響く。


 雄馬は被告席に立ったまま、審問官を見据えていた。


 反論する機会は何度もあった。だが、提出した証拠は受理されず、証言は都合よく切り取られ、彼の発言だけが議事録から消えていった。


 ここに真実を求めても無駄だ。

 それだけは、嫌というほど理解していた。


「被告人は国家安全保障上、極めて危険な人物と判断される」


 審問官が書類をめくった。


「ただし、これまでの探索実績、および異常領域に関する知識を考慮し、死刑の執行は猶予する。代わりに、南極地域における極地開拓任務へ永久派遣するものとする」


 永久派遣。


 聞こえのいい言葉だった。


 要するに、死ぬまで帰ってくるなということだ。


 雄馬は三十二歳。元Aランク探索者。国内でも数えるほどしかいない、異常領域の深部探索を任された人間だった。


 危険な領域で取り残された仲間を救い、一般人の避難路を確保し、誰も手を出せなかった怪物を討伐した。


 その実績が、今では犯罪者を極地へ送るための参考資料になっている。


「何か申し開きはあるか」


 審問官が尋ねた。


「ある」


 雄馬は顔を上げた。


「俺は仲間を殺していない。機密情報を売ってもいない。あの任務で何が起きたのか、あんたたちは知っているはずだ」


 室内の空気がわずかに変わった。

 傍聴席の最前列に座る男が、眉ひとつ動かさずに口を開いた。

 特異災害対策本部の幹部、天城厳(あまぎ げん)。


 五十六歳。白髪交じりの短髪に、隙のないスーツ。表情から感情を読み取ることは難しい。


「神代君。君の個人的な見解は記録に残しておく。しかし、国家は感情で判断するわけにはいかない」


「便利な言葉だな」


「何だと?」


「国家は感情で判断しない。国家は責任を取らない。そう言いたいんだろ」


 護衛が一歩踏み出した。

 天城は手を上げ、それを制した。


「君は優秀だった。だからこそ、残念だよ」


「だったら、調査をやり直せ」


「結論は変わらない」


 即答だった。


 雄馬は天城を見つめた。


 この男は、あの任務に何かがあったことを知っている。


 少なくとも、任務中に突然変更された命令と、報告書に記載されていない異常な装置について、説明できる立場にいる。


 それでも、調査をやり直すつもりはない。


 証拠を握っていた仲間は死んだ。生き残った者は口を閉ざし、記録は改ざんされていた。最後の望みだった人物も、雄馬を見ようとしなかった。


 審問室の扉のそばに、氷室玲奈(ひむろれいな)が立っていた。

長い黒髪をまとめ、探索者時代と同じように無駄のない姿勢でいる。かつてのパーティーの副リーダー。何度も背中を預けた仲間だった。


「玲奈」


 名前を呼ぶと、彼女の肩がわずかに揺れた。


「お前は見ていただろ。あの命令が途中で変わったことも、記録にない怪物が現れたことも」


「……」


「言ってくれ。俺がやったんじゃないと」


 玲奈は唇を結んだ。


 ほんの一瞬、目が合った。


 そこにあったのは、憎しみではない。罪悪感と恐怖だった。


 しかし、彼女は何も言わなかった。


「そうか」


 それだけだった。怒鳴る気にもなれなかった。


 信じていた人間に裏切られる痛みは、怒りよりも先に、何かを冷たくしていく。


 審問官が木槌を鳴らした。


「これをもって審問を終了する」


 その日、神代雄馬は社会的に死んだ。


◇◆◇


 南極への出発は、判決から三日後だった。


 軍用輸送機には乗客用の座席もなく、金属製の床に固定されたベルトと、壁際に並ぶ物資箱があるだけだった。


 雄馬の荷物は小さなケース一つ。防寒着、医療キット、携帯食料、工具、通信端末。それだけだった。


「到着後、現地施設の管理責任者に引き継ぎます」


 搭乗口で、若い軍人が説明した。


「滞在期間は未定。通信設備は定時に確認してください。追加物資の補給については、現地の状況に応じて判断します」


「現地の管理責任者は誰だ」


「詳細は機密事項です」


「補給船は?」


「現地の状況に応じて判断します」


「救難信号を出した場合は?」


 軍人は答えなかった。


 雄馬は小さく笑った。


「そういうことか」


「何か?」


「いや。説明はもういい」


 輸送機の扉が閉じた。エンジンの振動が床から伝わってくる。


 窓の外で、滑走路の灯りが後方へ流れていった。


 雄馬は金属板に腰を下ろし、目を閉じた。


 かつては、国から表彰されたこともある。


 仲間たちと酒を飲み、いつか自分たちだけのクランを作ろうと話したこともある。


 玲奈は笑っていた。三上修司は、もっと強くならなければと息巻いて いた。


 あの頃の自分は、努力すれば報われると信じていた。正しいことをすれば、少なくとも正しく評価されると。


 馬鹿な話だ。


 世界は、正しい人間を守ってくれるわけではない。


 必要なら、正しい人間を悪人に仕立て上げる。


 そして、都合が悪くなれば捨てる。


 やがて雲が途切れ、白い大地が見え始めた。


 南極。


 人間が住むために作られた場所ではない。気温、風、孤立。どれか一つを間違えただけで命を落とす世界だ。


 その海岸線に、黒い建物の残骸が見えた。


 朽ちた煙突。錆びた鉄骨。海へ向かって突き出した桟橋。


 かつて捕鯨基地だった場所。


 地図上ではデセプション島。雄馬が送られるのは、そこに残された廃墟の一角だった。


 基地の周囲には人影も、車両も、誘導灯も見当たらなかった。


 ただ、吹雪の向こうに黒い海が広がっている。


 ここから先、誰も助けには来ない。


 そう理解した瞬間、不思議と恐怖は消えた。


 代わりに、胸の奥に残ったのは冷たい怒りだった。


「いいだろう」


 雄馬は小さくつぶやいた。


「俺を殺したいなら、俺自身が死ぬところを見届けるべきだったな」


 輸送機が高度を下げる。


 窓いっぱいに、廃捕鯨基地が迫ってきた。


 この日から六年間、神代雄馬は南極で生き延びることになる。


 そして六年後。


 誰も彼が生きているとは思っていない世界で、地下に眠る古代兵器が、ようやく彼の存在を認識する。


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