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父へ手紙を送ってから二日が過ぎたが、返事はまだ届かなかった。
王都にある公爵邸までなら、学院の使い魔を使えば数刻で届くはずだ。父が不在だった可能性もあるし、政務で返事を書く暇がないだけかもしれない。それでも、これまでなら気にも留めなかった時間の経過が、今は妙に長く感じられた。
朝、寮の窓辺へ行くたびに使い魔の姿を探し、授業の合間には無意識に外を見る。自分でも滑稽だと思うほどだった。
返事を待っているのか、それとも届かないことを望んでいるのか、ミシェル自身にも分からなかった。
もし父が、彼女の……アナイスの正式な名前にリディアが含まれていたと答えたなら。……そこから先を考えるたび、思考は決まって同じところで止まる。
そんな状態のまま、午後の魔法歴史学の時間を迎えた。
教室へ入ると、すでに何人かの生徒が席についていた。前回の騒ぎを思い出したのか、ミシェルが入ってきた途端に一瞬だけ視線が集まる。それもすぐに逸らされたが、好奇の目に晒されたこと自体は痛いほど分かった。
以前なら腹を立てていただろう。でも今は、そんなことに構っている余裕などない。
「今日はちゃんと座って最後まで受けろよ」
隣の席へ腰を下ろしたオスカルが、半分冗談のように言う。
ミシェルは黒板から目を逸らさずに、短く吐き捨てた。
「……余計なお世話だ」
「だろうね。でも言っておかないと、君はまた先生を追いかけて庭園まで走り出しかねない」
軽い調子だったが、その声には微かに牽制の色が滲んでいた。ミシェルは眉をひそめたが、言い返す気力すら湧かない。
オスカルもその重苦しい空気に気づいたらしく、少しだけ表情を改めた。
「悪い。冗談にする話じゃなかったな」
「……本当に大丈夫かって、また聞くつもりか」
「聞かせる君にも責任があると思うけどね」
オスカルが静かに息をついたところで、教室の扉が開いた。
リディアが入ってくる。
前回のように、姿を見ただけで過去の光景が重なることはなかった。それでもミシェルは、彼女の一挙一動を食い入るように目で追ってしまう自分に気づいていた。
教卓の上へ本を置き、魔法筆を取り出す。黒板へ術式年代を書き始める仕草には無駄がなく、若いながらも教えることに慣れているのが分かる。
「前回は途中で授業が中断してしまいましたので、今日はその続きから始めます」
柔らかな声が教室に響くと、数人の生徒がちらりとミシェルの方を見た。リディアはそれに気づいているはずだったが、一切表情を変えることなく授業を進めた。
本日の内容は、隣国との国境紛争が激しかった時代に使われていた探知魔法の変遷についてだった。
「古い探知術は、対象が残した魔力そのものを辿る方式が中心でした。ただし、時間が経つほど魔力は周囲へ散り、痕跡も薄くなっていきます。現在使われている術式は、その欠点を補うために——」
淡々とした説明を聞きながら、ミシェルは無意識にあの夢を思い出していた。
『見つけた! ここだ、水の中にいる!』
少女の兄が、湖へ向かって手を伸ばしていた。
偶然なのだろうか。
探知魔法など、魔法歴史学で扱っても不思議ではない。そう思っていても、耳に入ってくる言葉がやけに夢の光景と重なった。
「特に血縁者の場合、対象の魔力に対する感応が強く出ることがあります。もちろん、誰にでも使える方法ではありませんが、家族の魔力を判別できる術者は珍しくありません」
ミシェルの手が止まった。魔法筆の先から、黒いインクが一滴だけ紙へ落ちてジワジワと染みを作る。
あの夢の中で、彼女を見つけたのは兄だった。彼女の兄は探知魔法が得意だったのだろうか?
そんな話を聞いた記憶はない。それとも、昔どこかで聞いたことがあり、それを夢が拾っただけなのか……。
「シュデール卿」
不意に名前を呼ばれ、ミシェルは顔を上げた。
「探知魔法の痕跡が、水中では消えにくい理由を説明できますか」
視線が交差する。一瞬返答が遅れたが、内容は理解していた。
「……水そのものが魔力を保持する性質を持つからです。特に閉じた湖や貯水池では、外へ拡散する速度が遅くなるので、陸上より追跡しやすい場合があります」
「その通りです」
リディアは頷き、ほんの少しだけ口元を綻ばせた。
「さすがですね。昔から、こういうことだけはよく覚えているようで……」
そこでハッとしたように、リディアの言葉が途切れた。ミシェルが思わず彼女を凝視すると、リディアは一瞬だけ目を見開き、慌てて表情を整えた。
「……失礼しました。以前から成績が優秀だと伺っていましたので、そのつもりで言っただけです」
説明としては苦しいが、そこまでおかしくはない。でも、それなら『昔から』という言葉は選ばないはずだ。
——なぜ、そう言った?
隣でオスカルが僅かに身じろぎした。
「先生」
ミシェルは自分でも驚くほど静かな声で呼びかけた。
「何でしょう」
「僕と以前、会ったことがありますか」
教卓に立つリディアの手が、僅かに止まる。
「……ありません」
「本当に?」
「ええ」
彼女はミシェルの視線を避けるように、すぐさま黒板へ向き直った。
授業はそのまま続いたが、ミシェルの頭にはほとんど入らなかった。
——昔から。
たったそれだけの言葉が、何度も思い返される。




