第五章 戦火の足音 ①
ミカドが投獄されてから、一週間が経っていた。隣に戻った気配はないから、おそらくまだ冷たい地下牢にいるのだろう。
彼に会いに行こうと思ったが、勇気が出ずにいた。
彼が不信心なのは問題ではなかった。彼はまだ神を知らないだけなのだから、それは知っていけば良い。
それよりも、彼が深く傷ついている姿を見たくはなかったのだ。異世界からやって来て、重い責務を背負わされ、それ以外価値がないと言われてしまった。そんな彼を、この国の人間であるアンナが癒せるとは思えない。
重い足取りで歩いていると、複数の足音がバタバタと急ぐように近づいてきた。グレンが警戒して前に立つ。そうなると、アンナは彼の背にすっぽり隠れてしまい、何も見えない。
誰かが、アンナたちの前で止まった。アンナは横から顔を出す。そこにいたのは、この宮殿全体を警護する宮殿警護兵の数名だった。
そのうちの一人が、書状を広げながら言った。
「グレン・シモムラ。お前を、間諜の疑いで逮捕する!」
アンナは驚いて、警護兵たちに連れて行かせないように腕を掴む。
「ちょ、ちょっと待ってください。逮捕って、どういうことですか?」
「聖女様、どうかお離れください。詳しいことは、司法省の者が説明に参ります」
「できません! 彼は私の大切な護衛であり、友人です。理由を話すまでは、絶対に離れませんからね!」
絶対に譲らないと腕をがっしりと掴む。四六時中一緒にいるグレンに、間諜行為を働ける時間があるはずもなかった。そうでなくとも、友である彼を疑うはずもない。
だが、その手をそっと離したのはグレンだった。
「アンナ様、どうか落ち着いて。きっと何かの間違いです。私が貴方を裏切るはずがない。きっと、話せばわかってもらえます」
「で、でも……」
「逮捕状が出ているということは、どうあっても私は逮捕されることになります。変に抵抗する方が面倒です。大丈夫、どうせすぐに解放されますよ」
グレンは落ち着いた様子で、言い聞かせるように話す。その声はいつになく真剣なものだった。
アンナはしぶしぶ身を離す。
「絶対に、すぐに戻るのよ」
「もちろんです。私の居場所は、アンナ様の隣だけですから」
アンナが身を離すと、グレンはすぐに警護兵によって縛られた。そして引っ張られるようにして歩かされる。時折つまずきそうになる姿は、まるで罪人だ。
「ちょっと。その人は私の護衛騎士です、丁重に扱ってください」
アンナの言葉に、警護兵の拘束が少し緩む。歩きやすくなったようで、グレンは自分の足でゆっくりと歩いていく。
グレンの後ろ姿は凛としており、誰に恥じることのないものだった。
「機密文書が盗まれそうになった?」
アンナは、目の前の男の言葉に驚いて、声を上げた。
司法省の者が来るのを待っていられなかったアンナは、グレンを見送ったその足で司法省のドアを叩いた。
アンナを出迎えてくれたのは、司法省長官をしているクリスだった。さすがに聖女への対応を、適当な役人に任せるわけにはいかなかったということだろう。
彼は長官室に招き入れると、話せる範囲で事情を説明した。
「そうです。幸い犯人は突き止めたのですが、それが教会護衛騎士の一人でした。それで問いただしたところ、誰かに頼まれたことだけはわかりました」
「それが、どうしてグレンと関係あるのですか。その男がそう言ったの?」
「いえ。その男は服毒自殺を図り、一命は取り留めたものの昏睡状態で、話を聞ける状態ではありません」
「それなら、グレンは関係ないのでは」
「ただ、その男は位の低い護衛騎士でした。彼ではあの部屋にアクセスできない。アクセスできるのは、貴方か国王陛下、教皇、枢機卿、教会護衛長官、そして聖女付きのグレン殿だけです」
「なら、他の者は?」
「盗み出された機密文書は、国王陛下から護衛騎士長までは、そもそも知っている内容です。わざわざ盗み出さずとも、情報を書き起こすのは可能です。知らないのは政治に携わらない聖女様とグレン殿だけなのです」
「そんな……」
彼の話しぶりからして、おそらく国の防衛に関する重要機密だったのだろう。それらの情報は政治を行う上層部が常に把握し、外交や内政に役立てている。
最高位に位置する聖女は、政治に関わることは無くとも、すべての施設にアクセスできる。そしてアンナを護衛するグレンも、当然同じ権限を持っている。
クリスは動揺するアンナを気遣いつつも、続ける。
「ドラゴニアが最近、武器や弾薬、馬を集めているのです。それと、食料も」
「それは、一体どういう意味でしょうか」
「通常、このような動きをした場合に考えられるのは……戦争です」
「戦争!」
ドラゴニアとオルゲイト神聖王国は、長い間友好的な関係を築いていた。外圧には手を取り合い、何度もそれを退けた。互いに対等であり、国民レベルで親しみを覚えているはずだった。
そんなドラゴニアが戦争を仕掛けようとしているなど、信じられるはずもない。
「でも、オルゲイトに攻めてくるとは限らないのでは……」
「ドラゴニアに武器などを売っているのが、フィンデン帝国なのです。そしてカラマイト連合同盟はそれを静観しています。軍部の話では、何も情報が入っていないのは、我が国だけなのだそうです」
何の目的で武器などを買っているかは不明だが、怪しい材料は揃っているということだ。
その話を聞いて、アンナはまさかと思いクリスに尋ねる。
「グレンがドラゴニアの人間だから、疑っているの?」
「……。……そうです」
肯定するのが躊躇われたらしいクリスは、それでも苦々しく頷いた。
アンナは立ち上がり、怒りを隠さないまま言った。
「グレンが嘘偽りなく私に付いてくれていたことは、誰よりも私が知っています! ドラゴニア出身だからって、関係ありません!」
「それは取り調べでわかります。潔白がわかれば、きっとすぐに解放されますよ」
「ではそれはいつですか? どのようにしたら、疑いが晴れるというのですか」
「それは、言えません。いくら聖女様でも、守秘義務のあることについて教えることはできません」
それは明確な拒絶だった。司法に関しては聖女の出る幕ではないと。あるいは、情報を渡せばアンナが何かするかもしれないと疑っているのか。
いずれにせよ、グレンはこれから厳しい取り調べを受けることになるだろう。やっていないことをやっていないと証明することはできない。曖昧な証拠で有罪判決を受けることは無いだろうが、長い間拘束されるのは間違いない。
「グレンに、会いに行きます」
「……ご案内します」
拒まれるかと思ったが、クリスは意外にもあっさりと承諾した。




