第二章 転生者の役割
アンナは北にある居住棟へとやって来た。
居住棟は最上階にアンナや転生者であるミカドの部屋があり、それ以外には執事や使用人たちの部屋がある。
聖女は立場としては聖職者だが、別の聖職者による干渉を防ぐために、彼らの住む宗教棟ではなく居住棟に部屋がある。
新しいお隣さんに挨拶をしようとノックをすると、内側から「どうぞ」と声があった。
扉を開けて入れば、ソファにヨハンとミカドが座っており、ローテーブルの上にはカップが置かれている。
部屋の誂えは王族ほど豪奢ではないが、貴族たちの邸宅よりは良いものが取り揃えられているに違いなかった。部屋は手前に応接用の広間、奥に寝室がある。左奥の扉が寝室への扉だ。
作り自体はアンナの部屋と変わらないようだった。
「これは聖女様。ちょうど、貴方の話をしていたところだったのですよ」
「私の話を?」
「ええ、そうです。貴方の存在の素晴らしさをしっかりと……ああ、その前に。ミカド様、こちらが聖女様です」
暴走するかと思われたヨハンは、意外にも自分でブレーキを踏み、ミカドに声をかける。
ミカドは立ち上がって、ぺこりと頭を下げた。
「はじめまして、スメラギ・ミカドです」
アンナは驚いて、ちらりとヨハンを見る。彼は慌ててミカドに言った。
「み、ミカド様。自分より地位の高い相手に出会った時は、相手が発言を許可するまでは挨拶以外は話してはいけません。名を名乗るなんて、もっての他です」
「え、そうだったんですか? す、すみません……」
縮こまって申し訳なさそうに告げる彼に、アンナは微笑んで首を振った。そして、彼の手を取る。
「いいえ、お気になさらないでください。こちらの文化にはまだ慣れないでしょう。私はアンナ・フィオレ・カークランドと申します。以後、お見知りおきください」
アンナはミカドに座るよう促し、自分も席に着いた。グレンが傍にある食器棚から客用のカップを取り出して、トレイに置かれたポットから、アンナの分の紅茶を注ぐ。
人の部屋に置かれたものは、基本的には部屋の主以外触れることが許されないが、客用の品物だけは客側も使うことができる。
使用人がいればその者が対応してくれるはずだが、どうやらミカドにはまだ誰も付いていないらしい。
「えっと、アンナ様は、聖女なんですよね?」
「ミカド様、聖女様の名をみだりに口にしては」
「よいのです、ヨハン。転生者は神より遣わされた異世界の使者。彼も、私の名を口にできる立場です」
「……かしこまりました」
明らかに納得していないヨハンだが、しぶしぶ引き下がる。聖女であるアンナが良いと言えば、それで良いのだ。
この国では、神に近い存在ほどその名を口にすることが憚られる。
立場としては上から、聖女、王、教皇、王族、聖職者、貴族となっていく。王族以下は名を口にしても気にされないが、必ず称号を付ける決まりがある。ただし、地位の高い者が下の者を呼ぶときは、その限りではない。
転生者はその立場が難しかった。なぜなら神に遣わされた身という意味では王に匹敵する役割を持っているが、地位としては聖職者に含まれるからだ。
そしてこの基準は、どうやら貴族には浸透していないらしい。先ほどの大聖堂での貴族たちを見るに、彼らは転生者のことを軽んじているようだ。
「聖女とは、神様の神託を受けると聞きました。それって、神様の声を聴けるってことですか?」
「正しくは、主の声が聴けるわけではありません。私が祈りを捧げると天使が現れて、主のお言葉を授けてくれるのです」
「天使が? それって、姿も見えるんですか?」
「声だけのこともあれば、見える時もあります。私たち人間は普段、天使の姿を見ることができません。しかし、必要ならば人に見える姿で現れてくださるんですよ」
「それってやっぱり、大きな鳥のような翼が生えていたりするんですか?」
「ミカド様! そこまでです!」
興味津々に目をきらきらと輝かせるミカドに、ヨハンがたまらず制止する。ミカドは驚きで体を跳ねさせた。
ヨハンが、厳しい口調で言う。
「天使のお姿は、私たちが知ってはならないことです。聖女様にだけ許されたお姿なのです。尋ねるなど、許されません」
「す、すみません。気になっちゃって……」
「聖女様は神聖な存在であり、それゆえに口にできないこともあります。聖女様のお役目に触れるような質問は、絶対にしてはなりません。わかりましたね?」
「わかりました……」
ヨハンに怒られているミカドの様子が、叱られて落ち込む小型犬に見えて、アンナはくすくすと笑った。
「まあまあ、ヨハン。私は答えられないことは答えませんから、質問くらいは許してあげましょう」
「しかし、聖女様。もし外で同じように失礼なことをすれば、相手によっては酷い叱責を食らうでしょう。これは、ミカド様のためなのです」
「うーん、それは確かに。ミカド様、私やヨハン以外には、あまり何でもかんでも尋ねない方がよさそうですね」
アンナがミカドを見てそう言うと、彼は何度も頷いた。
少し青い顔をしているのは、アルバートに蹴られたことを思い出しているからかもしれない。
「ところで、転生者が何をするべきか既に話したのですか?」
アンナがヨハンに振ると、彼は首を横に振った。
「いえ、これから話すところでした」
「そういや、聞いてないですね。俺は、何をするために呼ばれたんですか? 魔物を倒すとか、瘴気を払うとか?」
「魔物? 瘴気? それは、貴方の世界では普通のものなのですか?」
聞きなれない言葉に、アンナはミカドに尋ねる。すると彼は、気まずそうに頬を掻いた。
「あ、いや……実は俺、異世界転生ものっていう本のジャンルにハマってて。そこでは、異世界に行った主人公が、魔物っていう悪い奴らを倒したり、瘴気っていう悪い気を払ったりするんですよ」
「なるほど、それは面白いですね。でも安心してください。この世界には、そういう危なそうなものはありません」
「そうなんですか? なら、何をすれば」
ミカドの疑問には、ヨハンが答えた。
「この宮殿の地下に、地の底へ通じるとされる大穴があります。その大穴からは多くの災いが漏れ、地上を不幸にすると言い伝えられています。かつて神の子である救世主ノクストがその大穴を封じましたが、今でも災厄は少しずつ漏れ出ている。転生者はその封印の地で、祈りを捧げるのです」
「祈りを捧げる? それって、ただ祈るってこと?」
「それもありますが、もっとも大きなお役目は、その身に災いを引き受けることです。転生者の体は、そこから漏れ出る災いを吸い寄せる力がある」
「それって、俺が不幸になるってこと?」
嫌そうにミカドが言ったので、ヨハンは首を振った。
「いいえ、そうならないように、きちんと祓う儀式も存在します。それにより貴方に留まった災いは浄化されるのです」
「な、なるほど……」
ミカドがヨハンの説明に頷く。いまいちピンと来ていない様子だが、ひとまず納得することにしたのだろう。
世界がまだ混沌であった頃、大穴からは多くの災厄が漏れ出し、人々は苦しみの中にいた。神はそんな地上を憐み、一人の子を遣わす。それが、救世主ノクストだ。
彼は各地で奇跡を起こしながら人々を助けた。ある者の病を治し、ある痩せた土地を豊かにし、飢えた者にはパンを分け、乾いた者には水を与えた。
そうしてノクストは大穴の前に辿り着くと、そこを建物で囲ってしまう。そして弟子に、自分が身を投げたらこの扉を封じ、二度と開いてはならないと言い残し、自ら大穴の中に落ちて行った。
弟子たちはそれに従い扉を固く閉ざし、世には平穏が訪れた。民は飢えることも乾くことも無くなり、いつしか地上の楽園と呼ばれるようになる。
弟子たちはその後、その土地に国を建てた。オルゲイト神聖王国の前身となる国だった。その初代王には、当時天使の声を聴くとされた銀髪に紫の瞳の者が就き、やがて王家の血筋となっていく。
だが王家には、天使の声を聴く者は現れなかった。しかし代わりに、国のどこかに必ず初代王と同じ髪と瞳を持つ子供が生まれ、その子供は天使の声を聴くことができた。聖女の誕生である。
聖女と王、そして封印により世界は安泰かと思われたが、封印は長い時を経て弱まり、わずかだが災厄が漏れ出るようになる。人々は災厄を恐れ、不安は国を乱した。
その時に神より遣わされたのが、異世界の者だった。彼の者に災いを留め、儀式をもって浄化する。
この何重にも渡る盾により、このオルゲイト神聖王国は今でも栄華を誇っている。
「その、浄化のための儀式って何をするんですか?」
「鞭打ちです」
「鞭打……え?」
「体内から災いを出すには、それしかありません。大丈夫です、今は技術も進んでおります。多少の痛みはありますが、酷い傷になるようなことはありませんから、ご安心ください」
「いや、全然安心できないんですけど」
「また、苦痛を与える権利があるのは伴侶のみです」
「ということは、俺、あの尊大王子に……? 嫌だ、嫌すぎる、何も大丈夫なことがない!」
ミカドが頭を抱えて唸り出す。しかしヨハンは彼の言葉に眉をひそめ、彼の膝を軽く叩いた。
「口を慎んでください。王族への侮辱は重い刑罰ですよ」
「でも、でもさぁ……あいつ、絶対ドSだよ。俺にはわかるんだ……」
「そのドエスとやらが何かわかりませんが、アルバート殿下はお優しい方ですよ。孤児院などを訪れて子供たちと遊んでおられたり、負傷した兵のねぎらいに行ったりと、民に寄り添う素晴らしいお方です」
「騙されてるって、それ……」
ミカドはウンウンと唸りながら、ただひたすら頭を抱えて俯いていた。
初対面で腹を蹴られればそういう印象にもなるかと、アンナは内心で同情した。




