7 ローガン
「コラ」
ぺちん、と何者かに額を叩かれて顔を上げる。
ハイダの目の前にはマルクの顔があった。
「え? マルクさん? なんで? と言うかここは……!」
おでこを押さえながら自分の足元を見ようとしたハイダは思わず前方にふらついた。
「! お前!」
空中に浮かんでいたマルクがそれを受け止める。
そのまま彼はハイダがいた高い塔の上から塔の前の地面に着地した。
塔の周りに集まっていた人々から拍手と安堵のため息と、騒ぎにぼやく声が聞こえて来る。マルクはそれらを片手を振って追い払った。
ひとまず地面に足がついたことにハイダは心底ホッとした。でもまだ頭の方はぼんやりしたまま、きょろきょろと辺りを見回す。
「ええと……あれ、殿下は? 今はいつで私は何で……」
記憶がひどく混乱していた。
(私は滅んだ世界に取り残されていた筈……)
けれど今はどう見ても、活気あふれる小奇麗な町の中にいる。隣にいた筈の異形のヨナスは消え失せていた。
そんなハイダをマルクがその辺の階段に腰かけさせる。そして解散していく人混みの一か所を睨みつけた。
「お前が説明してやれよ」
人々が立ち去る中。一人だけ身動きせず、その場に残された人物がいた。ローガンだった。
ハイダと目が合うと彼はにこりと笑う。
「ここはリールの町の鐘撞きの塔だ」
「塔……」
見上げれば、建物の一番高い場所に青銅色の鐘が見える。
(私、あんな所に立ってたんだ……)
手すりすらないむき出しの鐘楼。下から見ただけでもぞっとする。
「じゃあ、学校は……」
「君の頭の中にあるものを利用させて貰ったよ。ああいうのが君の好きな『ゲーム』なんだね。やはり僕にはよくわからないかな」
そう言われて、ハイダはようやく状況を理解した。
「もしかして、全部ローガンさんの魔法だったんですか……?」
「ああ。そうなるね」
あんなに楽しかった学園生活も。ヨナス達も、ラアナ達も。本当は全てなかったこと。
きちんと認識した途端、ハイダの体から力が抜けていく。
(あれは……『君とカイジュ!』のバッドエンドルートに似ていた……)
それはハイダが大好きだった恋愛ゲームだ。ヒロインが学園生活を謳歌しながら攻略対象にかけられた呪いを愛の力で解いていく、という物語である。選択を間違うとヒロインは彼ら自身の呪いに巻き込まれて死んでしまうのだ。
(そうだ……殿下の呪いは世界を滅ぼす系だったっけ……)
はたと我に返ったハイダは拳を握り締める。
「私の推しは殿下ではありません、モブキャラの学級委員長イワン君でした……! 幻覚ならゲームには出てこないイワン君の出番が見たかった! せめて一言でも言葉を交わせたら最高だったのに……!」
「……訴える所はそこか」
呆れたようにマルクに言われて、ハイダはきょとんとした。
「? 他に何か問題が?」
突然に幻を見せられたのは確かに驚きだが、きっとハイダの気晴らしの為にしてくれたことなのだろう。異世界学園こそ見られなかったけれど大好きなゲームの中に入れたのである。元の世界では決して叶わなかった体験に、それを与えてくれたローガンには感謝しかない。
(なんであんな所に立ってたのかはわからないけど……)
自分の気持ちを確認して、純粋な疑問だけを浮かべてローガンに目を向けた。ローガンはふっと表情を歪めると、マルクの方へ視線をやる。
「……残念だな。せっかく君が彼女を追い詰めてくれて、自死を選ぶ状況としては万全に整っていたのに」
「ああ?」
「そうだろう? 体以外何もかもを失った後の不慣れな環境に、与えられる肉体的苦痛と精神的圧迫。これらを書面に書き起こせば完璧じゃないか。いちいち外部の関与は疑われない。目撃者もたくさんいたしね」
「……あのなあ」
「それでもなるべく苦しませず自死に導こうとした僕の優しさを褒めて貰いたいな」
まるで悪びれないローガンにマルクは舌打ちをすると、クイ、とハイダに顎で示す。
「聞いたか。こいつはな、自分の手を汚さずお前を始末する為に、お前が自ら死を選ぶ為の幻覚をお前に見せたんだよ」
「え……」
ぱちぱちと目を瞬かせてローガンを見つめる。
(そうか……私、殺されかけてたのか)
ここでようやくハイダは自分の身に起きていた災難を理解した。
いつからそうだったのかはわからない。けれどおそらく学園に着いたと思った時点では既に魔法にかけられていたのだろう。
驚くと同時にハイダの中では腑に落ちる。
(うん。……なんで、と聞くのは愚かな気がする)
ショックというよりはがっかりした気持ちの方が大きかった。
出会って数日の異世界人同士だ。過剰な期待はしていない。ローガン達の良心という宝くじのようなものに乗ってみたけれど、結局ハズレてしまいました、くらいの気持ちが近い。
もちろんハイダとしてはローガンは互いの生い立ちなどを話し合って少し親しくなったかなと思える相手だ。この状況に悲しみがない訳ではない。
けれどおそらくローガンにとってのハイダは、うっかりと彼を躓かせた道端の邪魔な石ころくらいの感覚だったのだろうと思う。
(……いや。それでも)
ハイダは目の前に立つマルクを見た。少なくとも、ローガンにとってハイダのこととマルクについては別問題の筈だ。
マルクはローガンを信用していた。二人きりで外出させても大丈夫だと思うくらいには、である。
(危ない橋を一緒に渡る相手だったんだろうに……)
なんとなくむかむかしたハイダはローガンへ疑問をぶつけた。
「なんでですか。マルクさんはローガンさんの協力者ですよね。そんなマルクさんを悲しませても良かったんですか」
「良かったのかと聞かれれば……良かったんだろうね。僕が神官長になれば落ち込む部下に療養期間を与えるくらいのことは出来ただろう」
しれっとそう言うと、ローガンはハイダの座る階段に腰かけた。
「そもそもね。君を神殿から連れ出したらすぐに壊してしまうものだと僕は思っていた。……なのにマルクから潜伏先の用意をしろと言われて、初めてあれ? と思ったんだ。まさかマルクが本気で君を生かそうとしているとは驚きだったよ」
「むしろこっちはお前がそう考えてたことにびっくりだよ。神官長を譲るとは言ったが人殺しの片棒を担ぐ約束まではしてないからな」
(マルクさんの常識がこちら寄りで本当によかった!)
二人のやりとりを聞いてハイダは心底ホッとした。
ローガンは一度大きく目を見開いてから、息を吐いて肩を落とす。
「参ったな。……僕は君のことをずっと見ていたが、君がそう言う人間だとは読み切れていなかったようだ」
ローガンの顔には自嘲の様な疲れたきった様な笑いが浮かんでいた。
その時、ハイダ達の背後にある塔の鐘が、ゴーンと鳴り響く。
驚いたハイダはびくりと体を震わせた。
振り返って見上げた空の色で、それが夕刻の合図だと気が付く。
異世界の夕暮れはハイダの世界と同じく一面の茜色だった。
(どれくらいの間、幻を見てたんだろう……)
幻覚の中ではきっちり一年の時間が経っていた。この町に来たのがお茶の時間の頃なので、数時間は意識がなかったのかもしれない。
ふと見回せば、街中には魔法道具の白い街灯が灯され始めていた。町の人々は忙しなく通りを行き交っている。仕事道具や買い物袋を抱えてどこかへ向かう彼らを見て、ハイダはなんだか胸がぎゅっと締め付けられてしまう。
(皆さん、ここに居場所があってきちんと生活をしている。なんで私だけ自分の世界を取り上げられて、こんな見知らぬ所で邪魔もの扱いされなきゃならないんだろう……)
こちらへ来てから初めてと言っていいくらいに泣きそうな気持になった。でも、弱さを見せれば付け込まれてしまう気がするのでぐっと堪える。
膝の上で両手を握って唇も噛みしめる。
少しだけその体勢でいると、突然、目の前に湯気の立つカップが突き付けられた。
「……飲め」
「命令ですか」
文句を言いながらも受け取る。
マルクから渡されたのは、彼がいつのまにか入手してきた目の前の屋台の売り物らしい。
恐る恐る口を付ければそれは温かくて深みのあるコンソメのスープのような物だった。液体が体に沁みていくと不思議と心が落ち着いてくれたので、鎮静効果のある物なのかもしれない。
そんな二人を見ていたローガンが口を開いた。
「……君は僕よりも数日前に出会ったばかりのその子の方が大事なのかな」
「気味の悪い言い方をすんな」
マルクが不快を示したので、何故かそれがローガンは嬉しかったらしい。少しだけテンションを上げてハイダを振り返る。
「僕は孤児だと言っただろう? このマルクもそうなんだよ。神官学校に入った頃、誰かが教えてくれてね。しかもなんと彼は魔族に囲われていると言う」
この世界の魔族は人間の上位種のような存在で、それぞれ暮らす場所は完全に分けられているが、たまに人側で生きる変わり者もいるらしい、とハイダは聞いていた。
「彼の存在を知った当初は、僕は彼に深い同情と親近感を持っていたんだ」
「同情、ですか」
ローガンはにこりと笑う。
「ああ、そうだった、君は孤児が貴族に引き取られることを素晴らしい幸運だと思っているんだっけね。ちなみに僕を養子にしたのはハマン公爵家と言って、王家に次ぐ高貴な身分の家でね。……そんな連中が拾われ子をまともに扱う訳がない。後援者なんて立派なものではないんだよ、僕のあの家での立ち位置はほぼ奴隷だった」
「どれい……」
あまりにも馴染まない言葉に呆然としてしまう。
「最初はね、彼も自分と同じだろうと勝手に同情していた。友達になろうと手を差し伸べる機会をずっと伺っていたんだ。……彼と魔族の関係が僕の思うようなものじゃなかったと知るまではね」
(? マルクさんの所は仲良し家族だったんだろうか……)
ハイダが伺えば、マルクは何も言わずにフンと口の端を上げた。それに釣られたように、何故かローガンも同じ顔を作る。
「マルク。あの家の者はね、本当は君を養子にしたがっていたらしいよ。けど残念ながら、君は既に魔族に囲われていて手が出せなかった。つまり僕があの家で受けた苦痛は本来君が受けるべきものだったんだ」
「知るか」
呆れたように吐き捨てたマルクは顔を逸らす。ローガンは笑みを深める。
「君という人間はいつもそうだ。君だけは災いから擦り抜け、幸運を得られるようになっている。同じ孤児から始まった身で、これはあまりにも不公平じゃないか?」
「そういう運不運問題を本人に追及してもどうにもならないのでは……」
思わず口を挟んだハイダをローガンは無視する。
「通常の暫定神官長選抜なら間違いなく僕が勝っていたんだ。だがよりにもよって僕らの代になって聖櫃が満杯になってしまった、この真の神官長だけは、政治や何かなどまるで意味がない、ただ純粋に最も力のある者だけが選ばれる。それが君だった」
段々と饒舌になっていくローガンの瞳の奥がぎらりと光ったように見えた。
「今日だって。どうやって知ったのかわからないが、君の来るのがあと数分遅いだけで僕が勝ち抜けていたんだ。どうしてそんな些細な偶然のせいで君の心が救われ、僕の未来が閉ざされなければならないんだ。もういい加減君ではなく僕の番の筈だ、そうでなければおかしいだろう」
一瞬だけ見えた憎しみの色はすぐにローガンの表情から消える。代わりに縋るような目が向けられた。
「僕はずっと君の裏道を歩かされていたようなものだった。……なあマルク、せめて僕を憐れんでくれないか。そして聖櫃の力を譲って欲しい。……僕はどうしてもあの家の人間を見返してやりたい。僕は神官長になり……王配になることでしかこの人生を巻き返せないんだ」
(ローガンさんにとってのマルクさんは……本来ならそうある筈だった自分、みたいな感覚なんだろうか……)
視線を上げれば、マルクの方の表情は読めない。ローガンを、この状況をどう捉えているのか。
(……でも、冷静に考えたら)
今問題になっているのは聖櫃の力の所有権だ。ハイダとローガンを比べれば、どちらが神官長に相応しいかは明らかである。
つまりここでマルクがほんの少し自分の感情を後回しにすれば何もかもがうまく収まってしまうのかもしれない。
(まずい、のかも)
せめて、と思ってハイダがローガンから距離を取ろうとした所で。
「巻き返す……とはどういう意味かしら」
よく通る、美しい声がその場に響いた。




