8 ジュリア
ハイダ達は一斉に声のした方へ顔を向ける。
そこに、数人の騎士を従えて、比較的地味なマントに身を包んだジュリアが立っていた。
ローガンは息を飲んだ。
「! 何故君が……」
「貴方がその子と出掛けたって言うから追いかけて来たのよ。その人の魔法で探す筈だったのに、馬車を預けてる間に一人でさっさと消えてしまって」
「悪いな、妙な術が動く気配があったんでな」
マルクの謝罪にジュリアはふん、と息を吐く。
(マルクさんはジュリアさんと一緒に来てたのか……)
どうして彼がここにいたのか、一つ理由がわかってすっきりする。
その間にくるりと振り返ったジュリアは、ローガンに向けてにっこりと微笑んでみせた。
「それで? 今はどういう状況なのかしら? 私にも教えて頂戴?」
「ジュリア、僕は、」
「そうそう、聞いてしまったからにはこちらからはっきりさせましょうか。ねえローガン、貴方は私と結婚がしたいの? それとも“人生を巻き返す”為に王配になりたいの、どちらなの」
ジュリアは腰に手を当て、ローガンを上から見下ろすように体を倒す。
「貴方、私にはこの子を保護したいと言っていたわよね? 私達の計画に巻き込まれた? かわいそうな? 被害者だから? でも力を譲って欲しがると言うことはその子を壊すのが貴方の本当の望みなのかしら?」
「ああ、でも、」
「貴方と公爵家に確執があるなんて聞いてないわ。私に嘘をついていたの?」
「ジュリア、」
「どうして何も言わなかったの、綺麗なものも汚れたものも、これからもこれまでも、貴方の全てを余さず私に差し出して、と求婚の時に言ったわよね?」
ジュリアの赤い瞳が燃えるように揺れる。
ローガンは魅入られたようにジュリアから目を離せず、声も出せなくなっている。
その時ハイダは奇妙なことに気が付く。
これだけ派手目な一行が騒いでいるにも関わらず、何故か町の人々がこちらに全く目を向けない。皆、するりと自然に避けて歩いていくのだ。
周囲を見回すハイダを見たマルクが察してくれた。
「王族のお忍び用魔道具が使われてる。この周辺に注意を引かない為のカーテンが引かれてるようなものだと思えばいい」
「そんな便利な物が……!」
(だからジュリアさんも堂々と話しているのか)
王配や公爵などの言葉が出て大丈夫かと思ったが、問題はないようだ。
改めてジュリアを眺める。よく見れば、彼女の指がかすかに震えているのがわかった。
その指先を見て、ハイダは思い出す。
一度だけ。ローガンの来ていない時にジュリアが屋敷を訪れたことがある。
ローガンがいないとわかると彼女はあからさまにがっかりし、身なりも緩めると使用人に酒を用意させた。話し相手になれ、と言われたハイダも勧められるまま杯を口にした。
その際、どうしても気になったので、ローガンとの結婚問題についてもう一度ジュリアに尋ねてみた。何か自分にも出来ることはないかと思ったのだ。
ジュリアの答えは簡単だった。一年前、聖櫃が満杯になった時点で次の神官長はマルクだと誰もが認めていた。なのでローガンは神官長にはなれないという前提で結婚準備が進んでいたそうなのである。
「お姉さま達のお相手に足りないのは国民人気よ。私はそこを狙うつもりだったわ」
ジュリアが言うシナリオはこうだ。悪質な魔族の一人がこの国のあちこちで暴れて被害を出す。ある日ジュリアの訪れた場所にもその魔族が現れ、あわやという所で神官として駆けつけて来たローガンが魔族を命懸けで打倒す。そして二人は運命の恋に落ちるのだそうだ。
表向き二人はまだ顔見知り程度の関係ということになっていると言う。
「ローガンを国の英雄と思わせるだけの演出は用意してあるわ。我が国の民はそういう物語が大好きなのよ」
けれどだ。その計画をそろそろ始めようかという頃に、ローガン自身がマルクから神官長の座を譲ってもらうという話を取り付けてきた。なのでそちらの計画は見送りになっていたのである。
「私はね。お姉さま達とは違うの」
鮮やかに染められた爪でグラスを弾き、うっとりと話すジュリアはハイダの目にとてつもなく美しく見えた。
「夫には愛情が絶対。自分で自分が悍ましくなるような場所に身を置いたとしても、その人さえ共にいてくれるならそれでいい。そんな相手しか欲しくないの」
そうして一杯を飲み干した彼女はすぐに身なりを整え、酒の気配など欠片も残さない顔で城へ戻って行ったのだ。
(この人は、それくらいにローガンさんの気持ちを信じてた)
あの日のジュリアが浮かんだハイダは、なんとかしなければ、と焦った。
現在のジュリアは悲しみとプライドの板挟みになって自分でも制御が利かなくなっている。そして今ローガンの方が何を言っても全て嘘だと断じられてしまいそうな勢いだ。このままでは激情のままに双方に不本意な結末に流れかねない。
身動きしない二人を眺め続けてから、ハイダは、思い切って「あのう」と手を上げた。
「ええと、ええと、実はさっきから引っかかっていたことがありまして!」
ジュリアもローガンも互いしか見ていない。かろうじてマルクがちらりとだけ視線をよこす。ハイダはくじけず話を続けた。
「ローガンさんって、私を自死に見せかけて殺そうとしたんですよ。でも王配というか神官長になりたいだけなら私と二人きりになってすぐ殺しちゃえば良かったじゃないですか。なのにわざわざ遠回りしたのはなんでだろうって思って」
「……ああ?」
「で、気付いたんですけど、そうすることで一番ダメージを受けるのはマルクさんの評判なんじゃないかと思うんです」
ジュリアもローガンもようやくこちらを向いた。
「つまりですね、もしかしてローガンさんは、マルクさんが『助けようとした相手を追い詰めて死なせてしまった無能な間抜け』であるというのを、ジュリアさんに見せたかったんじゃないかと」
ジュリアは怪訝そうにし、ローガンは無反応だ。マルクはつまらなそうな目を向けるだけ。
「ローガンさんはマルクさんの運を妬んでいます。だったら、ジュリアさんだって奪われてしまうかもって不安になると思うんです。……ローガンさんはすぐ目の前にある確実な成功よりも、マルクさんを貶めたいという誘惑に抗えなかった。それはとても愚かな選択で、でも、ですから、その愚かさに手を染めざるを得なかったローガンさんの心の動きこそが、ただ王配になれればいいのとは違う、ローガンさんからジュリアさんへの恋心の証なんじゃないかとふと思ったんです」
それは咄嗟の思い付きだった。
ハイダがローガンのやり方に疑問を感じていたのは本当である。マルクは自分の手を汚さない為にと言っていたが、神官としての立場で言えばむしろローガン自身で処分した方が手柄になっていたのではないか。
その辺りの謎を強引に結び付けてみたのだが、案外いい線を行っているのではないかと思いながら皆を見回す。
しばらくの沈黙が続いた。
やがて呆れたようにマルクが口を開く。
「……そりゃお前の世界の理屈か」
「いえ、私個人の見解です。これまで数々の恋愛(ゲーム)をこなしてきた者として、恋と愚かさは常にセットだと思ってるんで!」
力強く言った。
もちろんハイダの知識は実践ではなくフィクション由来である。作中の登場人物たちはいつもそうして物語を動かしていくのだ。
だが、ハイダの発言にひどく衝撃を受けているらしいマルクは、「人は見かけによらねえ……」と呟いている。
すると横から乾いた笑い声がした。見ればローガンが首を傾けている。
「来訪者と言うのはやはり奇妙だ。自分を殺そうとした相手の心配までするんだね」
(どちらかと言えば心配の比重はジュリアさん寄りですが……)
思った考えは口には出さない。
ローガンの方は先程前での張り詰めた様子が消えていた。ハイダの説があまりに無理矢理で馬鹿馬鹿しくなってしまったのかもしれない。こうなる前のいつもの落ち着いた彼よりも、どこか力の抜けた開き直った様な雰囲気を感じる。
「そうだね、君の言う通りだということにしてもいいんだが。この状況での嘘は気持ちが悪いかな」
「え」
「僕が君を自死に見せかけた理由は一つだよ。遠回りで傷つくのがマルクの評価なら、近道で下がるのは僕自身の評判だ。僕が君を手に掛けたら、彼の方がよい人で、僕がひどい人間みたいじゃないか」
ローガンは笑顔に似た何かを顔に浮かべた。
「僕がマルクに人間力で劣ると思われるのだけは絶対に許せなかったんだ」
「えー……」
(そんな理由で)
呆然としたハイダの前で、ローガンは立ち尽くすジュリアに向き直った。
「……君は、神から与えられた僕の宝だ」
ローガンはジュリアの手を取り、そこに自分の額をつける。
「愛してるジュリア。君と僕が願う同じ形の夢を、二人で叶えたいと思っているよ」
ジュリアは答えない。
気付けば夜の町は人の流れも途絶え、冷え切った風がこの場に吹きつけていた。
どれほどかして、ジュリアは、ハア、と大きなため息をつく。
そのまま伸ばされた手がローガンの頭を抱え込んだ。
「……いいわ。今回は、貴方を信じてあげる。……でも」
ぎり、と音がしそうな強さでジュリアはローガンを抱く手に力を籠める。
「次に不安にさせたらこれが無くなると思いなさい。……帰ったら今度こそ一つ残らず貴方の話を聞かせて。それが私と結婚する条件よ」
「……ああ。君の望む通りにしよう」
ローガンが静かに頷いた。
(良かった)
二人を見守っていたハイダもひとまず安心する。ともかくこれで最悪の事態は免れたようである。
やがてローガンから身を離したジュリアは、艶やかに微笑んだ。
「そうそう念の為に言っておくけど、その男については心配しないで。この子一人も始末できないような人間を連れて王座なんて目指せる筈がないでしょう?」
「!」
「そこですか」
思わずハイダは突っ込んでいた。
しかしローガンの方は思いもしない答えだったらしく、見開いた目をかすかに潤ませている。
(なんだ。やっぱりローガンさんもジュリアさんに気持ちがあるんじゃないか)
そんなローガンにハイダが感動していると、いつのまにか隣に来ていたマルクが口を開いた。
「じゃあ、そっちはそれでまとまったってことでいい? で、どうする? ここで解散? それとも殺し合いでも始める?」
マルクの発言に一瞬で場が冷えた。
そうだった、とハイダもハッとなる。うっかり意識が逸れていたが、今は人の恋路どころではない、自分の命に係わる状況なのだ。
殺し合いという言葉にそれまで空気に徹していた騎士たちが反応する。それをジュリアが目で制してから、こちらを振り返った。
「貴方達にはあの家を出て行ってもらうわ。貴方達は目の毒よ、ローガンを動揺させてしまうもの」
「このまま見逃して貰えんの。ありがたいねえ。それじゃお礼にこっちもこの件へのそちらさんの関与は黙っていてやるよ」
マルクはにこにこと言ったがジュリア達の顔はさっと強張った。
「お互い騒ぎになるのは困るだろう。王族による真の神官長の私物化なんて世間に知れたら大事だからねえ」
(これって……マルクさんは脅迫してる……?)
双方の様子にハイダは驚いてしまう。
ジュリアは悔し気に口を開いた。
「……今後もこちらが巻き込まれない程度の援助なら続けましょう」
「さすが未来の女王様、太っ腹だ。……これで逃走資金の心配もなくなったな。おい、荷物取りに帰るぞ。ローガン、馬はこっちで使うからな」
「……ああ」
歩き出してしまったマルクを慌てて追いかける。
「ええと、これでお別れですか? ええと、ええと、マルクさんからローガンさんに何か言いたいことは……」
ハイダの言葉に、ああ、と言ったマルクは一瞬だけ振り返った。
「ローガン! いつか俺達が修行を終えて戻ったらお前こいつの部下だからな。そん時はせいぜいこき使われろよ!」
言い捨ててマルクはさっさと歩いていく。ハイダも後に続いた。
マルクは一切振り返らなかったが、ハイダは何度かローガン達へ視線を向ける。
そこには何かから彼を守るかのようにローガンの前に立ちはだかるジュリアと、途方に暮れた青い目でただマルクだけを追い続けるローガンがいた。




