9 それは昔
この世界には、青雪虫、と呼ばれる虫がいる。
名前に反してオレンジ色の体と羽を持った小さな小さな虫だ。
普段は植物の蜜などを吸うだけの害のない生き物だが、ある時期だけ、人間にとって脅威となる。
それは数十年に一度の繁殖期。彼らはその際、人の体を苗床とするのだ。
飲み水を介して人の心臓に植え付けられた卵は何故か冬の青雪の降る日にだけ孵化するのでそのような名で呼ばれている。卵の内は魔法の検査でも発見されず、最悪の事態になってから初めて認識されるのだ。
心臓を食い破られた人々はもちろんその場で命を落とす。人の体から出て来た幼虫は蛹となり、一月ほどすると羽化して別の場所へ飛んでいくのである。
つい先日。そんな青雪虫の被害がとある村で確認された。
そこはほぼ自給自足で成り立っている貧しく小さな集落である。
通常そのような場所で異変があった時には魔道具の煙玉などで周辺に知らせる手筈になっている。けれどこの時はそんな時間もなかったか、その業務を知る者から命を落としてしまったのだろう。
最初の日、村外の者たちはこの災害に誰も気付かなかった。
立ち込める死臭に気付いた魔獣たちが集まって来たのが次の日になってから。
出入りの商人がようやく事態を把握して、最寄りの神殿に情報が届いたのはさらにその翌日だった。
村に駆け付けた地方の神官たちは魔獣の多さを重視し、外側から結界を張るだけとした。
そして近隣で最も大きな神殿から部隊が派遣されたのである。
彼らに託された任務は五つ。
魔獣の駆除。被害人数の確認と弔い。万に一つの生存者の保護。そして青雪虫の蛹ごと村を焼却処分する仕事である。
「あああ……」
若草色の髪をぐしゃぐしゃとかき回して、ルードヴィヒ・シュミットはため息をついた。
目の前の状況に、こんなことならなんとしてでも神官以外になるべきだったと後悔する。初任務からあまりにもきつ過ぎた。
(こういうのが嫌だから色々手を回したのに……)
ルードヴィヒは裕福な伯爵家の三男坊である。生まれつき豊富に持っていた魔力のおかげで神官になることは最初から決まっていた。幸いにも今は戦のない世が長く続いていて、戦場に出るような心配はない。血生臭いのは大嫌いなルードヴィヒであったが、その事実だけを頼りに自分の進路を受け入れた。神官学校卒業の際はあらゆるコネを使って技術職に配属されることを叶えて貰った。
ただ一つ。ルードヴィヒにとって誤算だったのは。神官が正式な部署に配置される前に、比較的激務な魔獣多発地域で一年間の研修があるという点だった。
ルードヴィヒは現在、神官任務の最前線に立たされている。
青雪虫被害があったという村で、遺体の回収をしているのだ。
(血、血、血……ご遺体!)
覗いた家屋の中で惨状を発見した彼は、慌てて魔法で包装する。その必要はないのだが、彼はそれを直視するのが怖くてあえて外から見えないようにしておいた。
とりあえず魔獣除けを施した上で、彼らの担当区画の通りの真ん中に安置する。
「なあ、さっきの、おかしかったな」
作業を終えて戻ったルードヴィヒにもう一人の新人リチャードが言った。
「何が?」
「ほら。魔獣が出てきてオスカが引っくり返ったやつ」
「いや急に飛び出し来られたら誰でもびっくりするだろう」
オスカはさっきまで彼らと組んでいた神官だ。
新人である彼らは三人一組となって先輩方が魔獣を一掃した区画で遺体の収容をしていた。けれど、その取りこぼしが突然彼らに襲い掛かって来たのである。学生時代に実戦経験はあるので魔獣はどうにか片づけた。しかしオスカが転んで怪我をしてしまい、先に指揮本部へ戻って貰ったのである。
「だからってさ。そもそもあんなに検知魔法が下手でどうすんだ、あれ」
「彼は技術職だから現場には出ないよ。まあ、この研修さえ生き残れればの話だけど」
「なるほど技術職! そりゃあんだけ魔法が下手なら実戦には立てないよなー」
(技術職を見下す奴って本当に実在するんだな)
ルードヴィヒはにやにや笑い続けるリチャードに答えずにいた。当然ルードヴィヒの配属先も知っていての発言なのだろう。
するとふいにリチャードが真顔になった。
「お前。そこそこ魔法使えんのになんで戦わねーの?」
「切った張ったが嫌だから」
「へえ。変わってんな。神官なんて魔獣倒してなんぼと思ってたわ」
(僕からすれば好んで危険に飛び込む君の方が変わり者だよ……)
そこで一度話が切れ、二人は到着した家屋の探索に集中する。
中に何もないとわかると建物を出た。溶け残った青雪をざくりと踏む。
「俺さあ。本当は魔獣だけでなく魔族とも戦ってみたいんだよな」
検知魔法をそこらに広げて歩きながら、リチャードは言う。
「お前聞いた? あの支部長って魔族なんだってな。訳わかんねーよな、魔族が神官になって人の為に働くなんて」
ルードヴィヒの頭に深紅の髪を翻すその存在の姿が浮かんだ。
この土地の神殿にやって来た日、まず彼らを出迎えたのは支部長を名乗るその相手だった。
意味が分からないくらいに整った造形。長い髪、髪と同じ色をした宝石の様に輝く目。
その存在を目にした時、ルードヴィヒは密かにこみ上げる吐き気を堪えた。目の前に立って彼らを歓迎するこの生き物を怖いと感じてしまいたいのに、そちらへ流れる心が無理矢理遮断されてしまっているかのような。圧倒的な居心地の悪さを感じていた。
(まさか精神干渉されてる……? いやいやでもでもそんな筈は)
そんな固まり続ける彼に当の相手が視線を向けた時。ルードヴィヒの中で何かがパチンと弾けた。その途端、なんだかもうどうでもいいや、という気分になって、不快な心は消え去っていた。強いて言うなら、巨大な怪物の口の中に放り込まれて、そこで一生生きていけと言われて恐怖の秤が壊されてしまった、という感覚が近いだろうか。
あれが魔族であると後から聞かされて納得した。
魔族とはああいうものなのだ、と一つ知見を得た思いである。
「……魔族は僕らと寿命も違うからね。長い魔族生の中の一瞬の暇つぶしなのかもしれないよ」
「いやでも魔族だぞ? 実は何か企んでんのかも。魔獣と同じで人を食らう連中もいるらしいしさ」
「魔族が人を? そんなの聞いたことないなー」
「だからさ、例えば不意を突いて攻撃しかけてみたら、うっかり本性現したりしねえかな? そうやって潜んでいた悪を俺らが暴いてみせたらすごくね?」
「僕は君がどうして卒業できたのか不思議でならないよ……」
魔族は魔力に置いて人間の上位種族である。いくら彼が学校の実技ではぶっちぎりのトップであったとしても、まともにやりあって相手になる筈がないのだ。
(こいつ確か筆記が最下位近くて結局真ん中くらいの成績で卒業したんだよね……)
あれだけの力を持っているなら中央神殿に勤めることも可能だったろうに、そのせいで最も魔獣被害の多いこの地に最初から勤務が決まっている。
「まあ、これからつきあい続ける訳だし。いつか機会見て酔っ払ったふりして喧嘩売ってみるのはありだよな」
「お願いだからそれは僕の研修期間が終わったらにしてね」
労働時間外はなるべくこの男と関わらないようにしよう。
そう決めたルードヴィヒは、ふと、使用中の魔法に何かが引っかかるのを感じた。
(? なんだろう。魔獣でない生き物……家畜?)
ある程度以上の大きさの生き物の気配がある。
その反応を辿ってルードヴィヒは一軒の家のさらにその奥を覗いた。
そこにあるのは小さな家畜小屋だった。
魔獣によって人しか襲わないものとそうでないものがいる。何かが生きている気配があるということは、ここに集まったのは前者だったのだろう。
生き残ったものは回収だろうか処分だろうかと考えながら小屋の中を見ると。
牛とヤギ。それに犬と数匹の猫が小屋の隅で身を寄せ合っていた。そこに血の気配はない。
(ああ……魔獣が怖くて出られなくなってるのかな)
どうしたものかと考えながら一歩小屋の中に踏み込んで。
「!」
ルードヴィヒは飛び上がった。検知魔法が別の反応をしたのだ。
「人がいる! 生きてる!」
リチャードに声を掛け、防御の魔法を上書きしてから動物たちの中に飛び込んでいく。
黒い大きな犬の向こう側。藁の中に一人の赤ん坊が眠っていた。
「うわ、まじか」
すやすやと穏やかに眠る赤ん坊を動物たちは取り囲んで動かない。彼らの目が、まるでルードヴィヒを敵か味方か見定めるように向けられている。
とりあえず念話で生存者発見と支部長に知らせておく。
すぐにリチャードもやって来た。
「なんだこれ。こいつだけ卵が孵らなかったのか?」
「さあね。そうか、これだと触っていいかどうかの判断もつかないな」
「放っとけよ。どうせ支部長たちが来たらこのまま処分だろ」
「ええと? 僕らは一応生存者保護の仕事も任されてるよね?」
ルードヴィヒにとっては当たり前の確認にリチャードが噴き出す。
「これだからお坊ちゃんは。そんなの方便に決まってるだろ。青雪虫害だぞ? 偶々今は孵らなかっただけで体内に卵を抱えてるかもしれない奴を野に放ってどうすんだよ」
内容の悲しさとリチャードにまともなことを言われたという二重のショックでルードヴィヒは言葉を失う。
「上の連中はさ。俺らが報告前に気を利かせて『片付けて』おいてくれるのを期待してるのかもしれねーけど。そこまで背負う程お人よしじゃないよな。赤ん坊だぞ? 胸糞悪い」
気付いてなかった。どこかにこうした生存者を生かす為の手順があるのだろうと勝手に考えていた。
(やっぱり神官なんてなるんじゃなかった!)
もう何度目かの同じことを心の中でぼやく。
「しかしこいつ、よく魔獣にも見つからずに済んだな。運がいいんだか悪いんだか」
リチャードが蹴るような素振りをすると、犬が唸り猫が背を丸めた。リチャードは少し驚く。
「……なあ。まさかと思うけどこいつら赤ん坊守ってるつもりか」
「そんなおとぎ話の世界みたいな……」
思わず否定してしまうが、確かに目の前の光景はそれ以外に見えない。
ルードヴィヒ自身はあまり何も感じないが、研修レポートに書いておいたら神殿報が喜んで取り上げそうな現象だな、などと考える。もっともその際は守られた赤ん坊の行方は誤魔化されるのだろうが。
と、その時だった。
ついうっかりと、目の前の出来事に集中して検知がおろそかになっていた彼らの背後に。突然、何者かの強烈な気配が現れる。
「‼」
ルードヴィヒは何も考えず前方に飛び、赤ん坊や動物たちを庇うような体勢になっていた。
一方リチャードは。
彼が振り向きざまに放った攻撃魔法が、対象の胴体を真っ二つに切り裂いた。
真っ赤な残像を残して相手の上半身が地に落ちる。
落ちた相手を認めて二人は固まる。
それは。彼らの勤務する支部の支部長、レダであった。
「あああ……‼」
あまりのことにリチャードは膝から崩れ落ちる。
「なんで……! なんで、俺、そんな……!」
「リチャード。いくら事故とは言え上官殺しは大罪ですよ」
レダの体の後ろから現れたのは副支部長ノーマンだった。神官の正装である白い上下をきっちりと気崩さずに着た彼は、呆れたようにリチャードとレダの体を交互に見る。
(そうか。この人が後ろにいるから支部長は避けなかったのか)
ルードヴィヒは納得した。
「やあ! お前、いい反射神経と攻撃力持ってるなあ!」
そこで朗らかに言ったのは、地面に落ちたレダの上半身だった。すぐにその姿が砂の様に崩れ去ると、残された下半身から上が生えて来る。
これを見たリチャードがぺたりと座り込んだ。
(あれ。こいつもしかして自分が支部長殺しちゃったと思ってたのか)
リチャードの激しい動揺の意味に気付いた。ルードヴィヒとしては相手が死んでいないのは一目瞭然だったので少々意外な思いである。
全身を見事に整えたレダはまるで怒った様子もなく、明るく二人に話しかけて来た。
「よし、お前らもこの先魔族と対峙することがあるかもしれないから教えといてあげよう。一部の魔族はね、魔核を自分の中から取り出してどこかに隠しておくことが出来る。その場合、魔族はいくら身体を損なわれようが死なない。そして私はその一部の魔族だ。だからこの通り全然大丈夫」
歩いて来るレダはリチャードの頭をぽんぽんと叩く。
「驚かせたね、悪かった。だがこれに懲りたら次は瞬時に敵味方を見分けられるよう訓練しておくんだね。……で? 生存者って?」
突如尋ねられたルードヴィヒは慌てて体を退ける。
「ここに赤ん坊がいます。青雪虫の孵化はないようです。それとその、偶然かもしれませんが、動物たちが赤ん坊を守っているようで……」
「ほう」
言われたレダは目を細めた。何かを確認すると軽く頷く。
「薄い魅了の魔法だね。魔力の強い赤ん坊の生存本能で発動するのがあるんだ。あと魔獣除けの何かも出してるな、元気な坊主だ」
レダが、ぱん、と手を叩いた。
するとそれまで赤ん坊の傍にいた動物たちが意識を失くしてころりと転がる。
「蛹はつけてないね、じゃあこれらは村の外に放り出すよ。この後ここは燃やすしね」
もう一度、ぱん、と手を叩くと動物が消える。
(なんなんだ)
ルードヴィヒは言葉もなかった。そのように何かを移動させる魔法など、見たことも聞いたこともなかった。そう言えば魔族は自分自身もそうやって一瞬で別の場所へ行けるのだと噂で聞いたことがある。
藁の中から赤ん坊を抱き上げたレダがまた魔法を使う。一瞬赤ん坊が輝いたかと思うと、身に纏っていた汚れが全て浄化されていた。
「この子も蛹はない。中も診てみたけど卵もないね。卵の汚染水が尽きた後に産まれた子なのかもしれないね」
「魔法で卵の有無の確認は不可能な筈なのですが……貴方にはわかるのですか」
「ああ。とりあえずこの子の中に不穏な気配はないのはわかるよ」
言いながらレダは赤ん坊の頬を突いた。すると、眠っていたその子供が目を開き、レダをじっと見上げて来た。そして小さな手が届く位置にあった深紅の髪をぎゅっとつかむ。
レダの体がびくりと揺れた。レダはそのまましばらく動かなくなる。その時間が不自然に長く続き、不安になったノーマンが声をかけた。
「……支部長?」
「……かわいい」
レダは勢いよくノーマンを振り返る。その顔がきらきらと輝いていた。
「ノーマン! 私、この子を引き取る!」
「はあ⁉」
ノーマンが慌てて身を乗り出す。
「まさか貴方まで魅了に、」
だがレダは首を振る。
「いや確かにかけようとしてきたけどかかってない! でもすごいじゃないか! こんなに小さいのに! この私を力で使役しようとしたんだよ? こんなに無垢な顔して! 他者を利用して生き延びようと努力するなんて、なんて強くて賢い子なんだろう! 命の煌めきが眩しすぎるよー!」
訳のわからない発言をしながらレダがぎゅっと抱きしめれば、赤ん坊は泣くでもなく笑うでもなく困惑の様な表情をしている。
一瞬だけ呆然としていたノーマンが冷静さを取り戻した。
「えー……貴方がその子供を気に入ったのは結構ですが。それは無理です。我が国では正当な権利もない者が未成年者を養育することはできません」
「なら正式に手続きして養子にする!」
「独身者に養子は取れない法律です」
ノーマンの説明にレダは、むう、と頬を膨らませる。
「……わかった。なら私と結婚しようぜノーマン」
「お断りします。私には妻も子供もおりますので。……と言うか貴方女性だったんですか」
「魔族に性別はないな。それじゃあ代わりに……」
レダの目がルードヴィヒたちに向けられた。
(まずい)
ルードヴィヒは焦る。なんとなく口を挟めずに会話を聞いていたが、このままでは支部長と結婚させられてしまう流れではないか。リチャードの方は先程の衝撃が消えないまま弱気になっているようで、今何かを言われてもそのまま飲み込んでしまいそうだ。彼を生贄にしてしまうと言う手もあるにはあるがさすがにそれは気の毒だった。
なのでルードヴィヒは発言する。
「あの。でしたら支部長とその赤ん坊が結婚してしまうというのはどうですか?」
は? と二人が目を見開く。
「無理だ……法的婚姻適齢は16歳だ……」
びくびくしたままのリチャードがしっかり突っ込むのを軽く睨んでから。
「婚約であれば出生直後から可能です。貴族はよくしてますよ。国に届けを出した正式なものにすれば、権利と言うか、婚約者同士で互いに助け合う義務が生じる筈ですよ」
「それだ」
レダは頷いた。きらきらと輝く顔のままノーマンを振り返る。
額に手を当てたノーマンは深くため息をついた。
「……わかりました。戻ったら手続きをしておきましょう。……それに、貴方にも何か一つ弱味がある方が今後対処しやすいこともあるでしょうしね」
「ふふふーこの子に手を出したらこっちも容赦しないよー?」
そう言ってレダは透き通るような空色の髪の赤ん坊を高々と抱き上げた。
「いやあ、しかし。これだけ長く生きてきて、まさか自分が人間と結婚するとは思わなかった! よろしくな、未来の旦那さま!」
その後。
村中の捜索を終えたレダたちは収容した被害者たちを丁寧に弔い、村は丸ごと焼却した。
赤ん坊は拾われた村の村長の名を貰い、マルク、と名付けられた。




