5 異世界学園 前
「ハイダ・ハマンさん」
学園の事務所の受付で、ローガンは堂々とハイダの偽名を申告した。
眼鏡の女性が記入済の書類を読み上げながら顔を上げる。
「来期の入学に向けた見学ということでよろしいですね?」
「いや……?」
そこでローガンがほんの少し体を前に倒す。
「彼女は、今日からこの場所で学ぶ転入生だ」
「⁉」
ハイダが驚いて振り返ると、ローガンはいたずらそうに笑う。そしてハイダの耳元に口を近づけた。
「転入の理由は何にする?」
「え……では呪いによって長く外には出られなかったけど今になって解呪され、新たな人生を歩み始めた裕福な家の娘さんということでお願いします!」
それはハイダが大好きなゲームのヒロインの設定だ。
ローガンはうなづくと、「そのように」と受付女性に告げる。
どこかぼーっとした目つきの女性は言われた内容を書類に書き込んでいるようだ。
(え、私ここの生徒になるの? そんなこと出来るんですか⁉)
ローガンの横顔を凝視すると、気付いた向こうが振り返り、微笑みながらハイダの背中を軽く押す。
「行っておいで。君が満足したら全部記憶を消しておこう」
「は、はい」
やがて受付女性に呼ばれた一人の教師らしき女性がやって来る。初め訝しんでいたその人物は、渡された書類を読み込む内にこちらも目つきが怪しくなってくる。
「……ハイダさん。私はCクラスの担任のリタです。校内では家名は呼ばない決まりになっているのでそのように」
「はい」
「これまで外には出られなかったとのこと。その歳から社会に馴染むのは大変かと思われますが、私たちも精一杯手助けします。なので諦めず、努力を続けましょう」
「よろしくお願いします!」
思わず日本式のお辞儀をしていまい、教師を困惑させる。
そしてハイダはリタについて教室へと向かう。
校舎に足を踏み入れた途端、胸の鼓動が高まった。
(圧倒的な重厚感……! なんだろう……神殿より古そうに見える……そんなことはないんだろうけど)
灰色の壁やアーチ型の天井、黒い細工が使われた窓など、様々な要素でどこかゴシックホラーな印象を感じる。
教室内もそのような雰囲気で、日本の高校と言うよりは大学の講義室を思わせる作りだった。
教壇に立ったリタが生徒たちを見回す。
「突然ですが、本日からこの学園に転入してくることになったハイダ・ハマンさんです。これまで呪いで外出できませんでしたが、無事解呪され社会復帰されました。皆さん温かく見守って、手を差し伸べてあげて下さい」
教室がわずかにざわついた。
転入のタイミングも理由も異例なことばかりだろう。生徒さんを戸惑わせてしまったことに、ハイダは少し申し訳なく思う。
とりあえず席について、教師の話を流し聞きしながら渡された教科書を一気にめくっていく。
(この国の歴史の授業か。これはありがたいな、私もここで一通り頭に入れておこう……)
建国の神話から始まる挿絵入りの教科書は、ハイダにとっては壮大な小説と同じだった。いつのまにか夢中になり、気付くと既に授業の時間は終わっている。
ふと顔を上げれば、ハイダの目の前には三人の少女が立っていた。
金髪、茶髪、赤髪の彼女らは制服だろう白い襟のついた黒いワンピースを着ている。それぞれに刺繍をしたりリボンをつけたりと個性を出すのは許されているようだ。
「ハイダさん、呪いはもう完全に大丈夫なの? 大変だったのねえ」
「でも貴女は運がいいと思うわ。私、そのまま家で一生を終えたっていう遠縁を知ってるもの」
「王宮住まいならそれでも問題ないかもしれないけどねえ」
その後少女たちは一斉に自己紹介するが、異国の名前を急にたくさん並べられたのでハイダには覚えきれなかった。話しかけてもらえて興奮しすぎた、という理由もある。
(どうしよう、本物の生徒さんとの交流だ……! 何を聞こう何を話そう。ああ、授業中に考えておくんだった!)
うっかり本に集中してしまった自分を反省する。
「ねえハイダさん、今日はまだ時間がある? 良かったらこれから校内を案内してあげましょうか」
「いいんですか⁉ 嬉しいです、是非是非お願いします!」
ハイダの勢いに一瞬たじろぐ彼女たちだったが、初日でおかしなテンションなのだろうと見逃されたらしい。そのまま皆で廊下へ出ていく。
その時、廊下の端の方から、突然きゃあ、と複数の歓声が上がる。
何事か、とハイダ達もそちらへ顔を向けた。すると一人の女生徒が顔に両手を当てる。
「! ハイダさん! 貴女ものすごく運がいいわ! あの方々が揃って歩いてる所なんて滅多に見られるものではないのよ!」
そう言った彼女の視線を追えば、廊下の突き当りからこちらに向かってくる数名の男子生徒の姿があった。
それは金髪、青髪、赤髪、緑髪に水色髪の全員高身長のイケメン達だった。黒いブレザー制服にはそれぞれの髪色にあったポイントが入っている。
なかなか派手な絵面だな、とハイダは思う。
「ヨナス殿下と宰相子息ルドルフ様と騎士団長子息クルト様と大商人子爵子息モーリス様と隣国のペーター殿下よ。我が学園の憧れの的、生徒会の方々!」
一気に説明を受けた後、あれ、と思わずハイダは言った。
「ここって王子様が通われるんですか? 確か平民の学校だって聞いたような……」
「何言ってるのよ」
女生徒たちは揃って呆れた顔をする。
「ここは貴族の学園よ? 自分だってハマン家の令嬢でしょう?」
「ああ……そう言えば」
受付で、わざわざローガンが偽名を作ってくれたのはそういう理由だったのか。確かに平民の学校なら家名をつける意味はなかっただろう。
(と言うことは、私が何か聞き間違えてたかな。駄目だなしっかりしなきゃ)
気合を入れようと軽く自分の頬を叩いておく。
「え、ちょっと……」
そうやってハイダが認識を擦り合わせている間に、女生徒たちが急にうろたえ始めた。
すると。
「君が転入生のハイダか?」
噂の生徒会一行が、ハイダ達の前で足を止めた。
その立ち姿の華やかさに、彼らの周囲を煌びやかな風が通り過ぎたかのような錯覚まで覚えてしまう。
「私は生徒会長のヨナスだ。君に特殊な事情があると聞いて確認しに来た。今、話は出来るか?」
「は、はい……」
(眩しすぎる……!)
普段、どちらかと言えばイケメンへのときめきは低い方のハイダだが、間近で見るヨナス達の様子には思い切りどきどきしてしまう。あまりの華麗さに頭までくらくらしてきた。
(ハアハアしないようにするので精一杯だ)
そんなハイダにヨナスの声が響いてくる。
「君はハイダ・ハマン。ハマン公爵家の三女で、生まれた直後に外出禁止の呪いを受けた。だが先日ふとしたきっかけで自分の前世が異世界人だった事実を思い出し、それをきっかけに呪いが解呪された。……以上で合ってるか?」
「!……」
驚いた。
まさかあの短い時間でローガンがそこまでハイダの事情を学園側に伝えているとは思わなかった。
(いや……事前に我が家から書類が提出してあったんだろう。まさか転入手続きがあれだけってことはないだろうし)
ハイダは思い出す。ハイダの呪いが解けたとわかった時から、家族達がハイダの社会復帰の為にあれこれと手を尽くしてくれたこと。父の知り合いのローガンが、今からでも受け入れてくれる学校を探してきてくれて、こうして無事に編入出来たこと。
とにかくヨナスの問いかけは間違いではないので、ここは「そうです」と肯定しておく。
彼は満足げに頷いた。
「それではハイダ。今から君を生徒会役員に任命しよう」
「はい?」
聞き返したハイダの周りでは、女子生徒たちからキャー、と謎の悲鳴が上がる。ヨナスがさっと片手を上げれば、その声がぴたりと止まった。
「我が学園、いや我が国では、異世界人は幸運の導き手なのだ。なのでそのような貴重な存在は学園の中心である生徒会にあるのがいいだろう」
(……何を言っているんだろうこの人は)
唐突なご指名にハイダは愕然とする。
いくらなんでも。転入初日どころか外の世界にも出たばかりの人間にそんな大役を押し付けて来るとはあまりにも強引過ぎないか。
(こっちはまず普通の暮らしに馴染むので精一杯なんだってば! ……でも相手は殿下だし……ううん、困ったな。どうやって断ろう)
ハイダがひたすら困惑していると、ヨナスの横に控えていた他の面々が前に出て来た。
「やれやれ。いくら社交に慣れていないとは言え。通常の会話すら出来ないのか?」
「驚き過ぎて答えられないんじゃないか。ちょっと背中でも叩いてやるか」
「やめてあげなよ。リラックスさせるなら他に方法があるだろう」
「大丈夫、僕ら怖くないよ! そんなに怯えなくてもいいからねー」
イケメンたちから次々に言葉が飛んでくる。
またも彼らに圧倒されたハイダは、隣の女生徒に体を揺さぶられて我に返る。
(いけない。非現実的なビジュアル過ぎて、つい画面の向こう側を見ている気分になってしまった)
何にせよ今はこの状況を回避しなければならないのだ。
焦ったハイダはうまい言い回しも思いつかずに、正直に自分の事情を話しておく。
「お、お話は大変光栄です。ですが私はつい先日外出できるようになったばかりで、普通の常識にも疎いのです。なので生徒会などという様々な知識を必要としそうな業務はとても務まりそうもなく……ですから申し訳ないのですが、そちらは辞退させて頂くと言う方向で……」
「うん? それもそうだな。では、隣の君、名は何と言う」
「! ラアナと申します!」
突如尋ねられた金髪女生徒は飛び上がる。
「ではラアナ。今後は君が彼女に付き添い、足りない知識を補ってあげるように。さて、これで支障は無くなったな。二人とも、明日から生徒会室で待っている」
「え! ちょ、待っ……」
「承知致しましたあ!」
ハイダの抵抗は歓喜のラアナの声にかき消されてしまった。
はしゃぐ女生徒たちを前に、この後一人で辞退しにいくことも出来なくなったとハイダは悟る。
(一体どうしてこんなことに。私の第二の人生の始まり、これからどうなってしまうの⁉)
そうして、月日が流れた。
最初は戸惑いがありながらも、ハイダは異世界の学園生活を思い切り楽しく過ごした。
春の体育祭では男女混合リレーでクルトと最終走者で競い合った。結局クラスは2位になり、皆で悔し涙に暮れた。
「貴族令嬢とは思えない走りっぷり、気に入ったぞ」
ルドルフの協力でなんとか乗り越えた学力テスト。それなりの結果が出て、初めてルドルフが笑顔を見せてくれた。
「よく頑張ったな。私の指導にくじけなかったのは君が初めてだよ」
ハイダの発注ミスで起きたピンチを、モーリスの人脈と財力で助けてもらった学園祭。
「気にしないでいいよ。僕にとって君は特別なんだ。僕を身分で見下さなかったからね」
ラアナたちと美しい古都を巡った修学旅行。土地の知人の夜会に招かれたペーターが、ハイダにパートナーを頼んできたこと。初めてのドレスアップに緊張したこと。
「綺麗だ。このまま君を僕の国に……いや、なんでもない」
学年末の魔法科の実技試験では、誰かの魔力暴走で、ハイダとヨナスは二人だけ見知らぬジャングルに飛ばされてしまった。ハイダたちは互いに協力し合い、持てる知恵と能力を出し切ってどうにか無事の帰還を果たしたのである。
「君と一緒ならどんな困難も乗り越えられそうだな」
特別に誰か一人と距離を縮めるということもないまま、友として皆と楽しく過ごしながら、ハイダはついに学年の最後の月を迎えていた。




