3 潜伏生活
そしてその日から十日ほどの時間が過ぎた。
潜伏中のハイダにも生活のペースが出来上がりつつある。
隠れ家となった屋敷の裏庭で、ハイダは今日も決められた通りのスケジュールをこなしている。
「すみません、お水を一杯下さい」
モダンな椅子に座ってちくちくと縫物をしている使用人女性は、ハイダの声で顔を上げた。無言で針と布を置いた女性は水差しからグラスに水を灌ぐとハイダに手渡してくれる。
「ありがとうございます!」
お礼を言ってごくごくと一気に飲み干した。
(あー生き返る!)
汲み置きの水だがそこそこに冷たく、体中に染み渡る。
もう一度お礼を言ってグラスを返した。相手は視線を下げたままだ。
この女性はハイダの担当と言うことでここへ来た時から何かとお世話になっている。歳は20代か30代だろう。ダリアという名前を聞いたが、客が使用人の名前を呼ぶのは不作法であると知ってあまり呼ばないようにしている。
ハイダ的にはお団子にされた黒髪と黒目という外見にとても親しみを感じるが、顔はいつも無表情、会話は事務的な内容のみ、とつけ入る隙がないので若干寂しい思いをしている。
彼女も含め、正直ハイダは自分がこの屋敷の人々にどう思われているのかさっぱりわからない。主人から預かった大事なお客人なのか、突然に押しかけて来たやっかい者と疎まれているのか。
来たばかりの頃はコミュニケーションを試みたりもしたが、彼らは仕事としての顔しか見せてくれない。それが王家の使用人対応なのか自分が警戒されているからなのか、せめて理由さえわかればこちらの気も楽になるのに、と思う。
(とりあえず、なるべくおとなしくしていよう)
今のところ出来るのはそれくらいしかない。そう決めて、余計なことはせず日々を過ごしていた。
この屋敷で暮らすようになってハイダが何より困ったのは、何もかもを自分でさせて貰えない、という点だった。服や靴を替えるのはもちろん、お風呂も洗顔も歯磨きも、どこかの扉を開けるのも他人の手に任されていた。なんならトイレにまで侵入されそうになった。
あまりにも驚いたので初日にマルクに訴えてみた。すると、
「使用人の世話を受け入れるってのは三つの意味がある。自分の立場の主張と仕事を与えるという恩恵と、相手を信用しているという表明だ。異物扱いされたくなきゃおとなしく従っておけ」
と言われてしまった。そう言う癖に本人は、魔法で全部出来るからと言って一人で行動している。
ハイダは波風を立てたくなかった。けれどどうしても我慢が出来ないので、「亡き母の遺言で」と言い張ってトイレ風呂洗顔歯磨きは自分で出来るようにした。危うく新生活の始まりから心が折れてしまう所であった。
それでも、水は誰かに運んで貰うしかない。
屋敷の中に水道はなかった。その日に使う分の水は毎朝井戸から運んでいるらしい。
滞在初めはハイダも水汲みを手伝おうとしてみた。しかし水は貴重な財産の一つということで承認を受けていない者は扱えないらしい。
トイレの内部は魔法仕様で現代日本より清潔感があるが、そこにも手洗い部分はない。使用する時にはその旨を付き添いのダリアに言って、用が終わって出てくると、彼女が桶とタオルを抱えて待っていてくれる、という様式になっている。
(なんと言うか、人を贅沢に使えることが豊かさの誇示になってるみたいな感じ?)
一応聞いてみたところ、使用人達の方には水甕も柄杓も排水口もあるらしい。そちらを使わせて欲しいという我儘は言い出せなかった。
さらに問題は洗濯だ。こちらに来てから着替えをいくつか揃えて貰った。初めに提供されたのはどうしても誰かの手がないと着られない貴族用のドレスで、身動きもし辛くハイダはほとほと困り果てた。その結果、ダリアと話し合い、「これはハイダ自身が強く望んだ物である」と一筆を書いた上で、ダリアたちと同じシンプルで一人でも着られるドレスに換えて貰った。
下着は上は自分で被れるカップ付きキャミソールのような物、下はドロワーズが用意された。ハイダとしては服はまだしも下着を人様に洗濯して貰うのは非常に抵抗がある。なので自分で洗いたいので水場を貸してくれ、と頼んでみたが、間違いがあっては困るのでと却下されてしまった。間違いって何だとハイダは思った。そしてどうしても人に預けるのが嫌ならいっそ下着は使い捨てにしてしまいましょうかと提案されたので、恐れ多くて要求を引っ込めるしかなかったのだ。
(世界違いと階級違いの二重の意味でギャップがすごい……)
ちなみに今は男児用のシャツとズボンを身に付けている。キャミソールのような物が少し長めでズボンの中に押し込んであるので、お腹の辺りがごろごろもたついて気持ちが悪い。
喉を潤したハイダは、さて、と元来た方を振り返った。
そうやって改めて見回せば、小さいけれどつくづく美しい場所である。
敷地の端には大きな木、中央には青系の花で埋め尽くされた丸い美しい花壇があり、後は一面が芝生で覆われていた。
ダリアの定位置は建物側に置かれた石造りのテーブルセットで、マルクはそこから最も遠い所、大きな木の下に椅子を移動させて本など読んでいる。
そんな彼を見たハイダは一瞬、おお、と感動する。
(私が絵心を持ち合わせている人だったら、この瞬間を切り取っておきたいと願っただろう)
緩く吹く風が木の葉をざわめかせ、マルクの上には光がきらきらと差し込んでいた。長い指が頁をめくり、時々何かを確かめるようにそっと紙の上をなぞる。密度の高いまつげが揺れ、美しいとはこういうことかと思わず感心してしまう。
しばらく眺めていると、気付いたマルクが読んでいた本から顔を上げた。
「もういいか。だったらさっさと再開しろ」
(喋ると途端に幻滅だな!)
軽く言ってくれた鬼教官をハイダはキッと睨みつける。
到着したその日の内から、マルクによる魔法の修行が始まった。
どんな修行をするのだろう、杖をふるったり箒にまたがったりするのだろうかと胸をときめかせていたハイダに向かって、マルクは「しばらくはとにかく体を動かせ」と言い渡して来たのである。
(せめてメニューの指定でもあればまだ良かったのに)
マルクの指示はなんでもいいから自分が許可を出すまで動き続けろ、だったので、ハイダは正直困ってしまった。
ハイダには運動部だった経験はない。仕方なく、ラジオ体操や昔母が映像を見ながらやっていたエクササイズや、縄跳びや走り込みや木登りなどとにかく思いつく限りのことをしてみた。だがいつまで経ってもマルクからのオーケーは出ない。日に日に筋肉痛が増していくばかりである。
(元々の体力には自信があったけど……激しい動きには慣れてないから……)
ぴりりと走る痛みに顔を顰めてしまう。
体力も限界に近いので、ここはどうにか手を抜きたい所である。
「おい、聞こえてるのか? 休憩は終了だぞ」
追い打ちを受けて、ついに怒りが振り切ったハイダはマルクの前に立った。
「ではこれから、私の世界のダンスを踊ってみようと思います」
「ふうん。いいじゃないの」
「これは私が住む町に伝わっていたボンオドーリという特殊な儀礼舞踊です。踊るのに資格は要りませんが、その際は、けっして一人でやってはいけないという決まりがあります。そうしなければ神に祟られてしまうのです」
「なんだそりゃ」
「と、言うことで、私が教えますんでマルクさんも一緒に踊って下さい。目の前で踊られて、黙って見ていた者も祟られますからね!」
「やめろ物騒すぎるだろうが!」
言いながら慌てて本を置いて立ち上がる。ハイダは右手を振り上げた。
「残念です。もう始まってしまいました」
「!」
(すかしたイケメンがダサいご当地音頭を踊らされる……ざまあみろ)
これ以上自分だけがしんどい思いをするのに耐えきれなかった。ハイダはまんまとマルクを巻き込むことに成功したのである。
ちなみにハイダが選んだのは、一時期いた小学校で動きが変過ぎるとボイコットする生徒が出たほどの珍妙な音頭だ。
「私の真似をして下さいね。ちゃんかちゃかちゃかどん、で、こうです!」
くるっと回転したところで、正面にいた人物と目が合った。
「……何をしているのかな?」
戸惑いながら話しかけてくるのは屋敷の表口の方から歩いて来たローガンだった。
今回の件への関りをすっとぼけた彼は、いまだ神殿で働いている。そして2、3日に一度、こちらへ顔を出すようにしてくれている。神官の身なりは目立つとでも思ったのだろう。今日は平民の男性の様な服装をしてきているが、顔立ちに品があり過ぎて、変装感がぬぐえない。
そんなローガンを見て、直前まで心底嫌そうな顔をしながら右手を振り上げかけていたマルクが、すっとそれを下ろしてしまう。
「ああ、丁度いいな。じゃあ今日はここまでってことで。はい解散」
ひらひらと手を振って、再び椅子に座って読書に戻ってしまう。ハイダは心の中で舌打ちをしておいた。
マルクとハイダを見比べたローガンは、困った様な笑顔を見せる。
「ええと? 何か邪魔しちゃったかな?」
「……いえ、大丈夫です。どっちにしろ今日はもうくたくただったので」
ハイダはそのままぐったりと芝生の上に座り込んだ。
少し迷ったローガンは、そのハイダの正面に腰を下ろす。
「今日も運動だけしてたのかい?」
「はい。このままでは神官ではなくアスリートになってしまいます」
「あすりーと……」
知らぬ言葉にローガンは困惑しているようだった。ハイダは構わず続けた。
「もしくは漫画のヒーローの修行期間ですね。訓練そのものはね、健康的生活だと思えば耐えられるんです。でもあまりにもゴールが見えなさすぎだと嫌になっちゃいますよ」
「でも、まあ、こうすることの理由は聞いているんだろう?」
ローガンがマルクの方にちらりと目をやり、ハイダはぶう、と頬を膨らませる。
「まずはこちらの魔法に馴染む為に、私の体をこの世界の素材に入れ替えることが最優先なんだそうです。だからとにかく体を動かしてお腹を減らして、いっぱい食べていっぱい寝るのが今の段階なんだって」
「ああ。そういうことか。……彼が言うならそれが必要なんだろう。マルクは魔法に関しては天才なんだ」
「天才ですかー」
今のところ、ハイダはマルクのそれらしい所を見ていない。ハイダにとっての彼はただ顔と声がよくて感じが悪いだけの人だ。
「ところでハイダ、今日はもうお疲れかな?」
「はい?」
突然に言われて顔をあげれば、ローガンが微笑んでいた。
「いや、君さえよければ、気分転換に町でも連れて行こうかなと今日は思ってたんだけど」
「行きます!」
ハイダはすぐさま身を乗り出した。
思えばこの世界へ来てから外を歩いたことなどほんの短い時間しかないのだ。
(異世界散歩だ!)
見知らぬ街をとても見てみたかった。それが出来るチャンスにハイダは大喜びである。そして聞こえているのかいないのか、特に反対もしない鬼教官を振り返る。
「まさかマルクさんは来ませんよね?」
「……俺はここで休んでるよ」
少しだけ目を向けてすぐ本に戻す。
牽制はうまくいった。心の中でガッツポーズを作る。
(この人が一緒だと気を遣いそうだからな)
そんな理由であった。
代わりにハイダは期待の目をダリアに向ける。
「そういうことなので、一緒に来てくれますよね?」
寝る時以外は常にハイダに付き添っている相手である。
当然来てくれると思ったし、町へ出たなら少しは会話も弾むのではないかと考えた。
だが。
「……いえ。ハマン様がご一緒でしたら私は必要ないでしょう。こちらでお帰りをお待ちしております」
(ええー)
ハイダは肩を落とす。そうしながら思った。
おそらくダリアの仕事はこの屋敷内でのハイダの生活を支えることで、ハイダが外に出てしまえばそれはもう管轄外なのだろう。
(……そうだな。私が外で事故にあったりしたらダリアさんの責任になっちゃうんだろうし。自分の手に負えない所はきっちり線引きしておくのが賢いのかも)
さらには、ダリアが監視目的で四六時中張り付いていた訳ではない、ということも分かってそこはなんだかホッとする。
「どちらにしても僕は馬で来ているし、三人で出掛けるのは無理かな?」
「あ、そうなんですね!」
ローガンは初めからそのつもりだったのだろう。ハイダの発言に少し戸惑っているようだ。
「僕と二人きりの外出は不安かい?」
「とんでもないです! 三人で行けたら楽しいかなって思っただけですので! ではすぐ着替えて参りますね!」
ローガンの気が変わらない内に、とハイダは自室に向かって駆け出した。気が付くとダリアが並走して扉を開けたり閉めたりしていく。無表情のまま黒いドレスを揺らして高速で移動する様子は少しだけ怖い。
「……最寄りの町では、仔馬のいねむり、という店が女性に人気のようです」
着替えを済ませ、部屋を出ようとしたハイダにダリアが囁いた。目を見開いたハイダは、大きく笑顔になる。
「ありがとうございます。見つけられたら寄ってみますね!」
ダリアの言葉には仕事ではなく厚意の感触がした。初めて親しみを見せて貰えたようでハイダはとても嬉しくなる。
テンションが上がったまま屋敷の外に出ると、そこでローガンの馬に乗せて貰った。人生初乗馬にも興奮してしまう。
(すごく異世界に来た感じがする!)
そうしてわくわくしながら近くの町へと繰り出すのだった。




