2 逃亡ですか
まだ夜も明けきらない時間だった。
ハイダは突然体を揺さぶられて無理矢理目覚めさせられる。
「ソレイユさん……?」
あの場で気を失ってから、初めて目を開けた。
目の前には切羽詰まった様子のソレイユがいて、自分はどこか個室のベッドに寝かされている。
「声を出さないで。私に従って下さい。急いでこれに着替えて。荷物は全部この鞄に詰め込んで。この国の金銭が少しと、旅行金券が入ってます。使って下さい」
質問しようとして口は手で押さえられ、仕方がないのでとりあえず言われた通りにする。
「では行きます。私についてきて下さい。音を立てないで。気配も消して」
そんな難しい注文をされても、と思いながら、ソレイユに続いて廊下に出る。
建物内のまるで見覚えのない辺りを通り、いつのまにかハイダは外に出ていた。通用門らしき場所を通ってさらに神殿の敷地も後にする。
少し行くと、前方に頭からフードを被った背の高い人物が立っていることに気付く。
「連れてきました!」
「おう」
ソレイユはその人物に声をかけると、ハイダに振り返った。
「ハイダさん、こちらはマルク・セーデンさんです。見覚えありますよね、昨日神官長になる筈だった人です」
「ああ、歌のうまい人ですね。初めまして……ではなかったですね」
意識を失う前に怒鳴りつけられたことを思い出す。
むっとした顔のマルクは、そんなハイダを見下ろして来る。
「時間がない。すぐに決めろ。このままここにいればお前は殺される。俺と来れば命だけは守ってやる。どっちにする」
「……はい?」
突然の選択を突き付けられたハイダはきょとんとした。ソレイユが必死に謝ってくる。
「本当ごめんなさい、私があんな所に連れて行かなければこんな事態にはならなかったんです。せめてもの償いではありませんが、ハイダさんが逃げるというなら出来るだけの足跡を消す作業をお手伝いします」
「神殿はお前を殺すという結論でまとまった、早くしろ、人が動き出すぞ」
「え、ええと。よくわかりませんが、死ぬのは嫌です」
「よしなら俺と来い。……後は頼んだぞ」
「はい! それではハイダさん、ここでお別れですがくれぐれもお達者で! 貴女に安らぎの道が開かれんことを」
ハイダの手を両手でぎゅっとつかむと、踵を返してソレイユは去って行く。
(この世界で唯一の知り合いが行ってしまう……)
ハイダはものすごい心細さで取り残される。
そもそも状況がまるでわからない。昨日は二年先までの安定が約束されたと思ったのに、今日は生死を問われているなどとは。
ともかく今はそれしかないのでマルクの後を追った。
少し開けた場所に、小さな馬車が待っている。
促されて乗り込んだハイダは、既にそこにもう一人の男性がいるのに気付いてびくりとする。
「大丈夫、僕は君の味方だよ。ローガン・ハマンだ。よろしくハイダ」
「はい」
ホッとしてローガンの向かいに腰を下ろす。
金の髪に青い目のこの男性は、マルクが人外級の美貌だとしたら、ハイダにとっては芸能人級の美形であった。人当たりのいい笑顔がこちらの警戒心をほぐしてしまう。
マルクがハイダの隣に腰かけると、馬車はすぐに走り出した。御者の姿はなかったので、魔法で動かしているらしい。
「ええと。どちらへ向かっているのですか……?」
「うん。とりあえずの避難先だね。落ち着いたら今後のことを考えよう」
地名や施設名を言われてもわからないのでハイダはそれで納得する。
「あの、それで、一体何が起きているのか聞いてもいいですか」
「ああ、そうだね。何もわからないんじゃ不安だね」
ローガンはマルクに目をやる。マルクはむっとしたまま黙っているので、説明はローガンが引き受けることにしたようだ。
そこでハイダは、昨日、あの儀式の場で、あの聖櫃の力をハイダが誤って取り込んでしまったのだという事実を聞かされる。
「何故……そんなことに……」
非常に恨みがましい目で隣のマルクを見る。
マルクはぷいと顔を逸らした。
「お前があの場にいたのが悪い。元々あそこにはこいつだけが準備してる筈だったんだからな」
こいつ、と言われたローガンに目を向ける。ローガンは困った顔を首を振った。
「あのバルコニーに僕もいたんだ。他にも数人いたけど彼らは僕の仲間で、まさか直前になって全くの無関係者が紛れ込んでくるとは思わなかった」
「無関係者……」
「あの場で僕も詠唱を唱えていた。うまくやれば、聖櫃の力は僕が取り込む筈だったんだ」
ハイダは考えた。そして顔を上げる。
「え、それはつまり、こちらの方は最後にわざと手元を狂わせて、貴方の方にあの白い球体が来るよう放り投げたということですか?」
「そうだね」
「ノーコン!」
思わずハイダはマルクを指差した。マルクは嫌そうに顔を顰める。
「なんだよ『のーこん』て」
「ノーコントロール、狙った所に物を投げられない人を言います」
「なんでだよ」
ぱしりと頭をはたかれてしまう。
ハイダははたかれた場所を押さえてマルクを睨み、苦笑いしたローガンが会話に入ってくる。
「本来なら、本物の詠唱を唱えてた僕以外に取り込まれる筈はなかったんだ。だから考えたんだけど……僕が力を呼び込む影響力より、来訪者で魔力が空っぽな状態の君の吸引力の方が強かったというか……聖櫃の力に好まれたんじゃないかなと」
「はあ……」
ハイダにはよくわからない。だが隣で「だから俺が悪いんじゃないだろ」とでも言いたげな顔でこちらを見ているマルクに少しイラっとする。
「そもそもどうしてお二人はそんな厄介なことを?」
「簡単だな。俺は神官長になんかなりたくなかったし、こいつはなりたかった。そして神殿のじーさんどもはそれを認めてくれなかった。だから実力行使に出た。以上だ」
「でも、そちらで勝手に変更してもすぐやり直しさせられてしまうんじゃないんですか?」
「一度力を取り込んだらね。死ぬまでその身に抱えるしかないんだ。僕は元々マルクに次いで資格のある人間だし、強力なバックもついてる。僕を壊して儀式のやり直しなんてことにはならないからね」
ローガンの言葉にハイダは嫌な気配を感じてしまう。
「それは……つまり、私の場合は……」
「元々、これだけの力を取り込めるっていう可能性がお前にはある。だからお前をせめてローガン並みに魔法が使えるようになるまで訓練するか、壊して儀式のやり直しをするかの二択だったんだがな。じーさん達は自分が生きてる内にどうしても神官長の任命をさせたいらしい。ほとんど議論の余地もなくお前を殺すことが決まったよ」
あんまりな話にめまいがした。
(イメージとしては、私にしか引き出しが出来ない国家規模の莫大な遺産を受け継いでしまったようなものなんだろうか……しかも私自身にも暗証番号がわからない、みたいな……。厄介過ぎる。なんで異世界にやって来た早々こんなことに……)
「とにかく。これから潜伏を続けてその間に俺がお前を鍛えてやるから。いつまでかかるかはわからんがそっちも死にたくなければ全力で励め」
ふと、ハイダは隣のマイクに目を向ける。
いくら自分がきっかけとは言っても、見ず知らずの異世界人の命を助ける為に、そこまでしてくれるものだろうか。組織の決定に逆らうというのは大変なペナルティがあるだろうに。
ハイダの視線に、疑問の内容を正しく読み取ったのだろう。マルクはふっと窓の方を向いてしまう。
「……これでお前が殺されたら俺の目覚めが悪すぎるだろうが」
(そういうものなのだろうか)
よくわからないが、それで命が助かるというならありがたく受け取っておこうと思う。
それから一時間ほど経った頃。
馬車は目的地に到着し、ハイダ達は皆でそこから降りる。
やって来たのは大きさはそれほどでもないが、豪華さで言えば先程の神殿と比べても段違いに煌びやかに見える屋敷だった。
現れた彼らに、使用人らしき人が屋敷の扉を開けてくれる。
「ローガン!」
ハイダたちが玄関ホールに入ると。
正面の階段の上部から声がした。
目線を上げるハイダの前で、階段を駆け下りてきた女性がローガンの胸へ飛び込んでいく。
それはふわふわと揺れるピンク色の巻き髪に赤い瞳、豪華絢爛なドレスを身にまとった極上の美女であった。
「こんなことになってしまうなんて……何者かの関与は本当にないの?」
「いや。これは幸か不幸か本物の事故だよ」
受け止めた相手を両手で離すと、その女性の意識をハイダの方へ促す。
「ジュリア様。彼女が力を受け取った来訪者だ」
「まあ」
一言だけ言って、女性は一瞬でハイダの全身を眺めて何かを確かめた。
無遠慮とも言えるその態度を窘めることもなく、ローガンはハイダに向き合う。
「ハイダ。この方は我がザイデルバスト王国の第三王女、ジュリア・ザイデルバスト殿下だ」
「おうじょ……王女様⁉ 初めましてハイダと申します、昨日異世界から来ました。オ目ニカカレテ光栄デス」
王族とのやりとりの知識など持ち合わせていない。とりあえずハイダは頭を下げる。
するとくすりと笑う気配があった。顔を上げれば、優雅に微笑む相手がいた。
「あまり堅苦しくしないで。この屋敷の中は無礼講よ。そういう目的の為に作った場所なのだから。……ローガン。貴方も。今、様をつけたわね?」
「すまない、人目があったんでつい」
言いながらローガンはジュリアのこめかみに軽いキスを落とす。
突然の至近距離の美男美女のスキンシップにハイダはどぎまぎする。
それからハイダたちは近くの部屋に落ち着き、飲み物と軽食が提供された。
そう言えば昨日から何も食べていなかった。
ハイダは目線でローガンやマルクの許可を確認すると、目の前に用意された物をもりもりと食べ始める。
「食べながら聞いてちょうだい。私はね。ローガンの恋人なの。結婚を前提につきあっているわ」
「わあ。とてもお似合いですね」
「ありがとう。彼が神官長になったら正式に婚約を発表する予定だったのよ」
「!」
飲み込みに失敗する。慌ててお茶でなんとかする。
「我が国の王族はね。基本誰にでも次の王になれる権利があるの。当代の王が良き頃合いと思ったところで後継者を指名するのだけどね。その際には、王族の婚姻相手も当人の能力の一つとして考慮されるのよ」
「そう、なのですか」
「現在王にる可能性があるのは三人。私と、私の姉二人ね。上の姉は国の宰相の跡継ぎと結婚したし、下の姉は隣国の王子と婚約中。これに対抗するには神官長補佐とかでは駄目なのよ、神官長そのものくらいの地位と力がなければ」
ハイダは考える。
「それはつまり、貴女様は王様になりたい、と」
「もちろんよ。そうでしょう? この生まれでそうなれる可能性があるなら玉座を望むのが当然じゃない」
当然なのかどうか、ハイダにはわからないが黙っておく。
そこでジュリアはわずかに頬を赤らめてローガンに目をやる。
「私の夫は彼がいいの。だったら、神官長の座を譲ってもらうしかないじゃない? 私は王の座も最愛の夫も両方欲しかった、それでこういうことになったのよ。……どう。自分が巻き込まれた事情がわかってすっきりしたかしら?」
「そういうことでしたか。ご説明、ありがとうございます」
言ってからハイダはマルクを見る。
「……なんだよ」
「いえ、なんでも」
ハイダの視線の意味に気付いたジュリアが頷く。
「ああ、それは私も考えたのよ? マルクの方を形だけの夫にして、ローガンは愛人として寄り添ってもらう方法もあるかしらって」
「俺の意志はどこだ」
「でもねえ。この人お母さまに嫌われてるから。ああ、お母さまは当代の女王ね。この人のお母さまからの覚えが悪い以上、王座を継ぐ為の武器にはならないから必要がないのよ」
ジュリアはきゃらきゃらと笑う。
ハイダは冷めきった目を寄越す。
「マルクさん。一国の女王様に嫌われるなんて、一体何をしたらそんなことに」
「覚えてないねえ。どうせどっかの会場で態度が無礼だったとかそんなんじゃないの」
「ありえるとしたら、お母さまに言い寄られて気付かなかった、とかじゃないのかしら。お母さまはまだまだお若いし美貌の男性は大好きだしね」
ジュリア本人の愛人発言と言い、この国の王族乱れているぞ、とハイダは密かに呆れる。
ハイダの気も知らずさらにジュリアは続けた。
「貴女を鍛えた後で実は男だったということにして、お飾り夫にする方法もあるかと思ったけど……やっぱり来訪者というのは次代の王の配偶者として弱いのよねえ」
弱くてよかった、と心から思う。
「ともかく。ここで君は聖櫃の力を使えるようになるまで学んでもらう。その後のことは、またその時に考えよう」
「お二人の結婚問題はどうなるのですか」
ハイダの問いに二人は顔を見合わせ、そして微笑みが返ってくる。
「こちらの事情はこちらでなんとかする。君は巻き込まれただけの被害者だ、何も気にすることはないさ」
「貴女は修行に専念して。この場所はね、私が様々な身分の人と交流ができるよう作った秘密のサロンなの。他の人は知らないし、私が呼ばない限り人が訪ねてきたりもしないわ。身の回りの世話をする使用人を数人残していくから、気兼ねなく過ごしてちょうだい。……貴方はどうするの?」
ジュリアがマルクに尋ねる。
「神殿に戻ればすぐ尾行されるだろうからな。俺もこのまま出奔したことにする」
「マルクさん……その……いいんですか?」
いつまでになるかわからないが、その時まで、これまでの生活を全て手放すというのか。
「ああ。別に、未練もないしな」
マルクはあっさりと言った。
これを聞いてジュリアは心底呆れたような顔をし、ローガンは何か複雑な感情を見せてわずかに顔を顰める。
そうしてハイダは、全くの不本意ながらこの国の神官長になる為の修行に突入するのだった。




