1 いきなりのもらい事故
「はい、これでこの世界の全ての人間の言葉が自動翻訳されるようになりましたからね。魔法が成功してたら右手で鼻をつまんでみて下さい?」
ある日、いつも通りの帰り道を歩いていたハイダは、気付いたら見知らぬ広場に立っていた。
何がなんだかわからず呆然と立ち尽くしていると、すぐに居合わせた町人たちに取り囲まれる。
外国人風の彼らは聞き覚えのない言葉で賑やかにハイダに話しかけ、混乱する彼女を何やら公共の施設らしい大きな建物に送り届けてくれた。
そこでハイダは彼らから若い女性へと引き渡された。女性はまず、出会い頭にハイダの額を指で突くと、上記の言葉を言ったのである。
(魔法。ということは、ここはただの外国じゃないってこと)
困惑していたハイダだったが、とりあえず意思の疎通が可能になってホッとする。
そして言われるまま、自分の右手で相手を鼻をつまんでみせた。
「……そう来ましたかぁ」
「え、ごめんなさい、違いましたか」
ハイダは慌てて指を離す。
「いえ! いいんです、これはお決まりの翻訳魔法後ジョークですので。こちらの鼻をつままれたのは初めてですが、今後の参考にしておきます」
「はあ……」
濃紺のローブに身を包んだ栗色の髪の女性は気を取り直したようににこりと笑った。
「ようこそザイデルバスト王国へ! 私は神事省外務部雑務課来訪者係担当のソレイユと申します。これから貴女のお世話をさせてもらいます。どうぞよろしく」
よろしくお願いしますと答えると、ハイダはそのまま近くのテーブルに移動させられる。
テーブルの上には書面が用意され、ハイダとソレイユは向かい合わせで腰を下ろした。
二人が席に着くとすぐに温かな飲み物が運ばれてくる。ソレイユはそれを自ら先に口にしてみせた。
「よかったら飲んで下さいね、気持ちが落ち着くかもしれないから。いやあ。いきなり知らない場所にやって来てびっくりしたでしょう」
「はい。とても……」
そこでソレイユは、この世界では大昔からハイダのような異世界人が時々現れることと、こちらではそのような人々を受け入れる態勢が整っていることを教えてくれる。
「どうしてこんなことになるのかは未だにわかってないんですけどね。まあ、帰れるか帰れないかはわかりませんが、しばらくの生活は保証しますんで気楽にやっていきましょう」
「帰れないんですか⁉」
いきなりの重大事項を教えられて椅子から腰を浮かせてしまう。
「残念ですが、それは私どもにもわかりません」
そんな、と今度は椅子に座り直す。
(どうしよう。そんなの困る。内定もらってすっぽかしなんて最悪じゃないか……)
自分が突然消えることで、あちこちで生じるだろう不義理に頭が痛くなる。
だがソレイユはハイダの悲痛な表情を別な意味に捉えたようだ。
「……おつらいですよね、まだお若い方ですし。ご家族とかいらっしゃるんでしょう?」
「あ、いえ。それは大丈夫です。……ええと、実の両親と義理親とその他の方達が死別と再婚を繰り返した結果、親族的な人は一人も交流がなくなっていて……」
最後に縁があった大人はとても裕福な人間で、ハイダの成人までの生活や学費の面倒をみてくれた。それも代理人を通してなので本人に会ったのは1、2度だけだ。その関係も既に終了している。
ついでに言えば彼氏などもおらず、数少ない友人たちとの交流は数年に一度と言うペースだったので、今のところ失ったという感覚はない。あちら側もそうだろう。
なのでハイダが案じるのは自分の失踪による感情面以外の損失なのだが、それはもう、考えてもどうしようもないのだろう。
ハイダはため息をつく。
「……わかりました。仕方がないので、これからこちらの世界で信頼と実績を重ねていくことにします」
「よくわかりませんが、前向きなお言葉を聞けてなによりです。それではまず、貴女の出身国とお名前をお伺いしてもよろしいですか?」
ソレイユがペンを取った。
なんとなく面接のような気分になってハイダは背筋を伸ばしてしまう。
「はい。私は日本……え、地球がいいのかな、でも国だから日本国? の出身の、灰田青と申します」
「あー、ニホン、ニホンね、ええ、うちにはいないけど過去にどこかの国でいたと思いますよ、確か。お名前は、ハイダエリオウ……」
「青です。あ・お」
この国の人間には難しかったのか、二人は何度か発音のやりとりをした後、書き取りをしていたソレイユはペンを止める。
「うん、やっかいなんで下の名前はなかったことにしましょう。こちらでは名前の上下がない人が大半ですし、名乗りの度にこういうやり取りをするのも面倒でしょう?」
「はあ」
特に嫌ではなかったのでハイダは了承した。元々向こうの世界でも、ハイダは名前で呼ばれることがほとんどなかったのだ。
「ハイダさんはこれから、この世界を知る為の一年の研修期間に入ってもらいます。その間に様子や適性を見ながら職業訓練などもしてもらいますね。衣食住は二年間はこちらで提供しますが、その後は自立ということでお願いします」
「就職斡旋などもしてもらえるんですか?」
「ええ。望まれればもちろんです」
「至れり尽くせりですね!」
ハイダは感心してしまった。
ソレイユは苦笑いする。
「大昔はそういうの放置してたそうなんですけどね。失うものがなく自棄になった来訪者たちが大盗賊団を作ったり革命起こしたりするんで制度が整ったそうですよ」
「わりとパワフルな人が来がちなんですね……」
それからハイダは聞かれるままに年齢や身体的数値などを答え、ソレイユはそれをこの国の単位に変換しながら書き込んでいく。
「それとですね。二年の間は基本、必要経費しか出せませんが。来訪者の方には特別な小遣い稼ぎがあります。週に一度ほど異世界研究の学者さんに現地の話を提供すると、なんと時給が出るんですよ」
「わあ! 話すだけでいいんですか?」
「はい。ええと、正直、こちらでは来訪者の話の真偽は確かめようがないので、聞き取った学者さんが面白いと思ったかどうかで価格が違ったりします。高価買取を狙うならなんとか彼らの好みを読み取ってみて下さい」
(相手の好み次第。私にできるだろうか)
少し心配だが、まあ一度やってみてから対策を練ろうと思う。
「では、二階の部屋で住民登録をしてもらってから居住区に案内しますね」
言ってソレイユは立ち上がった。
彼女に付いて、ハイダはこのフロアの正面にある階段から上階へと上がっていく。
建物の内部は全体を白を基調とした、直線や幾何学模様の装飾がメインの華美ではないが美しいシンプルな内装で作られていた。
クラシックなホテルか美術館のようで、ハイダ的には気持ちが落ち着く。
「いつもは登録は受付で出来るんですけどね、登録板は貴重な道具ですし、今日は外部の人も多く出入りするんで奥にしまっちゃったんです」
「そう言えば、私を連れてきてくれた人たちが出口とは違う方に向かってましたけど……今日はここで何かあるんですか?」
そこで。ハイダの質問を受けたソレイユが、手にした書類をぎゅっと抱きしめた。
「そうなんですよ! 今日は! なんと! 神官長の任命式の日なんです、百年に一度あるかないかの!」
言って足を踏み鳴らす。
「なんで! 私はこんな日に! 当番なんかに当たってしまったのか! そうだとしても余裕があれば儀式を覗きに行ける筈だったのに……っ」
「……あの、なんかそんな日に迷い込んですみません」
慌ててハイダが謝れば、ソレイユはハッとなって急いで全身で否定する。
「いやハイダさんのせいじゃないんです、うわ、そうですね。そうなりますよね、ごめんなさい、考えなしでした、気にしないで下さい」
「いやいやでもほんとに。せめて私がこっちに来る時間がもう少し時間が違ってれば……」
謝り合う二人は顔を見合わせる。
そしてハイダはふと思いついた。
「……その儀式って、部外者の私でも見れますかね」
「はい?」
「いえ、もし可能なら、ソレイユさんに付き添ってもらって見学してみたいなあ、と」
「!」
ハッとなったソレイユがハイダを見る。
そしてその手を両手でがしりと掴んできた。
「できます! 参列するのは今からじゃ無理ですが、覗くだけならいい場所があるんです! 行きましょう、もう始まってますから!」
そしてハイダはソレイユに手を引かれて廊下を駆け抜ける。
いくつかの角を曲がり渡り廊下を越え、少し行った辺りで聞こえてくる物音が変化した。
「ここはもう大聖堂です。そこにバルコニーがあるんですが、今回は使わない筈なのでカーテンの隙間からなら……おや。ふつうに見学者がいますね。では我々も紛れてしまいましょう」
ソレイユの言う通り。
バルコニーだと言われた場所のカーテンは開かれ、既にそこには何人かの神殿関係者らしき人たちが立っていた。
二人は空いていた隅っこに入り込む。
(! すごい……)
バルコニーの向こうには大きな吹き抜けのホールが広がっていた。
天上のステンドグラスからきらきらとした光が差し込み、青色と金を基調とした内部のおかげで海の底にいるかのような感覚に陥ってしまう。
ハイダたちから見て左手に祭壇があり、その最前列には宗教者らしき服装の人々が並んでいる。その後ろは一つ通路を開けてから、一般人らしき者たちがぎっしりと詰まっている。
ソレイユがハイダにだけ聞こえる小声で言った。
「あの祭壇の一番上に箱が見えますよね。あれが聖櫃と呼ばれる物で、あの中には、時間をかけてこの国中から集めた魔力の塊が入っているんです。あれが満杯になったところで、その時点で最も大きな魔法を使える神官にその力が移され、その人は神官長となります」
ハイダは言われた箱を見てみた。
絵柄のような文字のような不思議な装飾の施された象牙色の箱は、棺より少し小さいかなと思われるくらいのサイズだった。
しばらくすると、どこかから現れた白い服を着た一人の男性が祭壇の上に立った。
その人物の造形の美しさに、ハイダは目を見張る。
少し薄暗い会場の中で、彼だけが自然に発光しているかのように見えた。
(こんな完璧に綺麗な人が、二次元の外にも存在するんだ……)
男性は参列者の方を向くと手にした錫杖を一度大きく振るった。
続いて彼は、顔をくっと上方に向けると、その場で歌の詠唱を始めた。
ハイダが冷静でいられたのはそこまでである。
男性の声が会場に響き渡ると、ハイダは一瞬で魂を飛ばしていた。
あまりにも美しすぎる歌声が、ハイダの体中を巡って全身を震わせる。
天上の声とはこのことかと思う。
曲の旋律の美しさにも思わず涙が浮かんでくる。
それだけではない。
男性が歌い始めた途端、オーロラのような光がその体から会場全体へ波のように広がっていった。
歌声に合わせ、光も、会場の壁までもが揺れているように感じられる。
やがて男性が手にしていた錫杖をすっと上方に掲げた。
すると、男性の背後の聖櫃の蓋が誰も手を触れないままゆっくりと開いていく。
男性が錫杖を一振りする度に、聖櫃の中から伸びてきた白い光の筋がそれに巻きつく。
少しずつ、少しずつ巻き取られる光の筋は、やがて錫杖の上部で球体となって終了する。
いつの間にか男性の歌も終わっていた。
「取り出しは成功しました。後はあの力をあの方が取り込めば……」
ハイダの隣でソレイユが祈るように呟く。
男性がゆっくりと錫杖を振り回した。何か呪文のような物を口にしているらしいが、先ほどまでの歌と違ってはっきりとは聞こえない。
振り回された錫杖から、白い光の球体が分離してゆく。
その時だった。
錫杖を振る男性の手が、不自然に大きくぶれる。
男性の「あ、やべ」という声と、錫杖から離れた白い光の球体がまっすぐこちらに向かって飛んでくるのを目視したのと、誰かの悲鳴が聞こえたのと、飛んできた何かを自分が飲み込んだ、とハイダが認識したのはほぼ同じタイミングだった。
ごくんと何かを飲み込んだ直後、ソレイユに肩をつかまれた。
「ハイダさあああん⁉」
「え。……え?」
ソレイユだけではない。その場にいた全ての人間の視線がこちらに向けられているのを感じていた。
そして。
白い球体と同じルートを辿って、祭壇にいた筈の男性がこちらへ飛んでくる。
バルコニーの手すりに着地した相手はハイダを恐ろしい形相で見下ろした。
「なんでこんな所にいるんだよ⁉」
(なんでと言われても)
なんだかとてつもない事故に巻き込まれたようだという緊張感と、目の前に現れたとてつもなく美しい男性のとてつもない怒りの顔と怒鳴り声と、突如お腹の中から湧き上がってきたとてつもない衝撃と熱によって。
ハイダはその場でばたりと倒れ、意識を失った。
これがハイダとマルクの初対面であった。




