「クラゲはそっちでしょ」
◆女子個人組手、準決勝戦① 「クラゲはそっちでしょ」
《 勝負、始めっ! 》
主審の声で、ついに準決勝戦が始まった。
あれ、何かおかしい。
試合は始まってるんだよ。もう、始まってるの。
だけど、あたしの足も身体も、鉛のように重くて動かせない。何、これ。どうしたっていうの。
「・・・・・・くすっ! なぁんだ・・・・・・始まる前から既にワタシに、呑まれてたのねーッ?」
はぁ。何言ってんのよ。
あたしは、目の前にいる末永小笹に勝つために、先生が課した猛特訓をやってきたんだ。レベルを上げて、今、こうしてこの場に立ってるの。今更、呑まれるなんてこと、あるワケないじゃん。
でも、頭ではそうわかっていても、足が前へ出ないの。身体も何だか動かないの。
「くすっ。うちの一年生エースの鞠萌や、等星の矢萩に勝ったっていうから期待したのにーッ」
背筋に、絶対零度の金属棒を付けられたような寒気が走った。何、この不気味さは。
あたしは、甘かった。目の前にいるのは、末永小笹だけど、末永小笹じゃない。
去年の彼女と今年の彼女は、まるで別人だ。その大きな両目から放つオーラは、それだけで人を突き刺して殺せる刃物のよう。気迫だけで人を倒せそうな、次元の違う何かを持っている。
あたしは自分が、猛特訓の末に「新しい水琴」へ進化したと思ってた。でもそれは、あたしだけじゃなかったんだ。目の前にいる彼女もまた、格段にレベルアップしていた。考えが、甘すぎた。
彼女は、開始線から一歩しか踏み出していない。まともに構えてすらいない。
それなのに、この尋常じゃない気迫と圧力は、何。どうすればいいの。あたしは、どう攻めればいいんだろう。
「ねーッ、試合にならないんだけど? ・・・・・・楽しめないならワタシ、すぐ終わらせるからッ!」
やばい。やばいやばい。彼女、なんだか怒っている。あたしが彼女にとって期待外れだったからか。いやいや、そうじゃないでしょ。だって、あたしは・・・・・・。
そう思った刹那、会場がどよめいた。それと同時に、あたしの顎は上を向いていた。
目の前に、いくつもの星が瞬いている。
頭の中にキーンと音が響き、刺すような痛みが走っている。
「(・・・・・・え・・・・・・っ? な、何・・・・・・された?)」
「止め! 赤、上段蹴り、一本っ!」
彼女との間合いは、2メートル近くあったはず。なのに、一秒にも満たない間に、あたしの顎は下から彼女に蹴り上げられていた。
いつ蹴ったの。いつ蹴られたの。まったく、わからなかった。
■ 末永小笹 3―0 栗原水琴
「続けて、始め!」
主審が試合再開を告げた瞬間、彼女は笑いながら、一瞬であたしの目の前に迫っていた。近づいてくるのすら、見えなかった。もう、わけがわからない。
「水琴さん! 右ぃッ! 来てるよ!」
監督席から叫ぶ先生の声が左耳に入った。右耳には戦闘機の飛ぶような音が既に入ってきている。
危険を察知して腕を動かそうとした時はもう、あたしは右頬に「何か」をされていた。
「止め! 赤、上段蹴り、一本っ!」
主審の「上段蹴り」という言葉に耳を疑った。あたしが食らった技が彼女の回し蹴りだったのか、裏回し蹴りだったのか、まったく見えなかった。ちゃんと、見ていたはずなのに。
これじゃ去年の新人大会と何も変わってない。あたしは開始線でぎりりと歯ぎしりをしていた。
■ 末永小笹 6―0 栗原水琴
タイマーを見ると、始まってまだ七秒しか経っていない。
試合は、8ポイント差で終わる。あと2ポイント取られたら、あたしの負け。
まだあたしは何もしていないんだよ。
何も出来ていないの。
このまま終わりたくない。
末永小笹に、勝ちたい。
一方的に負けたくない。とにかく勝ちたい。
惨めな完封負けだけはしたくないの。
「くすっ! あははっ! 準決勝戦なのになーッ。骨のない感じだなー。クラゲみたいだよぉッ」
な、何て言った今。骨がないってどういうこと。あたしがそこまで弱いってことなのかな。
だいたいクラゲはそっちでしょうよ。海月って、難読漢字テキストに載ってるんだよ。「クラゲ」って読める字なんだからね。
「・・・・・・くすっ。くすくすっ。あはははっ!」
でも、本当にどうしよう。あっという間に6ポイント取られちゃった。強すぎだよ彼女。
こんなレベル差があるって、いろんな意味で無理すぎるんだけど。いや、諦めたらだめだ。でも・・・・・・。
「水琴さんッ! 取り乱した気を静めなさい! 平常心! 見えるから! 動き、見えるから!」
「(せ、先生・・・・・・っ!)」
「心が折れたら負けだよ! 水琴さん、そこに立つまでに積み上げてきたことを思い出して!」
いけないっ。あたし、無意識に諦めかけてた。でも先生は、全く諦めていない目をしていた。
何のための二ヶ月半だったのよ。まだまだ、ここからだ。
一旦、深呼吸して、落ち着こう。




