「礼儀だもんね」
◆女子個人組手、準決勝戦⑥ 「礼儀だもんね」
あたしの右腕全体に、裏拳のビリビリとした感触が伝わってきた。そしてすぐ、思いっきりその手をムチのように自分の首元へ引き戻して、彼女から離れて残心を取った。
「はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・はぁ・・・・・・」
何だか一秒がものすごく長く感じる。
何故かわからないけど、そんな感じがした。
十秒以上経ったように感じた頃、あたしと彼女の間に、やっと主審が割って入った。
「止め! ・・・・・・青、上段打ち、有効!」
幻聴じゃない。確かに今、主審はあたしへ「有効」を告げた。あたしはその場で振り向き、先生の方へ目を向けた。するとそこには、にこっと笑って小さく親指を立てている先生の姿があった。
「(や、やったよ先生! 一つ、取り返せたよ!)」
「いい技だったわ! この調子でいこう! 集中よ、水琴さん! 完璧な裏拳だったよ!」
咄嗟に出た起死回生の一発。頭で考えるより早く出た裏拳打ちが、彼女にしっかり入ったんだ。
あたしは確かに、末永小笹からポイントを取った。
今もまだ、その感触が手に残ったままだ。
■ 末永小笹(C1×1 ※強打) 7―1 栗原水琴(C2×1 ※場外)
「みーこぉとぉ! やぁったねぇーっ! すごいじゃないのぉーっ!」
「や、やったやったやった! まっきー、見た? みっこちゃん、取った! 取ったよ!」
「見た! 確かに見たよりかちん! うおおお! みこちん、あの相手から、取り返した!」
うちの陣地で、お母さんが拍手しているのが見えた。梨花や真希奈も、飛び跳ねている。
いろんなところから少しずつ、あたしの耳へ声が届く。「すげぇよあの人!」「あの末永から裏拳で?」「鶉山女子にあんな選手いた?」「末永が等星以外に取られた!」など、一気に大騒ぎ。
「・・・・・・無失点優勝、狙ってたのにな・・・・・・。・・・・・・ワタシ、ちょっと見誤ってたなぁ・・・・・・」
彼女は、赤の開始線で、項垂れたまま何か呟いている。小声だし、周りの歓声で何だかよく聞こえないや。
下を向いているせいで、彼女の顔はこちらからは見えない。
「(よおぉーしっ! ・・・・・・ここからだ! まだまだ食らいついてやるんだから!)」
あたしは、両手でメンホーを叩いて気合いを入れ直した。帯も、ばしっと締め直した。
正直、身体はもうあちこち限界が近いかも。気力を切らさずにいないと、あっという間に倒れそうなほど痛い。
彼女にやられた部分以外も、かなり痛むんだ。ふくらはぎとか、アキレス腱とか、肩とか腕とか、その他諸々。
もしかすると、彼女と戦う中であたしの身体は限界以上の力を出しちゃってて、悲鳴を上げ始めてるのかもしれない。
「くすっ。・・・・・・あはっ。・・・・・・あはははぁッ!」
顔を上げた彼女の目は、これまでとはまた、違っていた。
表現が難しいけど、何て言うか、黒い瞳の中に光と影が交互に渦巻くような、何とも不気味なオーラがその目から出ている感じ。
あたしに裏拳を叩き込まれたから、怒っちゃったんだろうか。
「今ので目が覚めたよぉ。半分の力じゃだめかぁー。・・・・・・本気でやらなきゃ、だめだねッ!」
「(は、半分・・・・・・って・・・・・・何? ・・・・・・今までのあれが、半分の力だったっていうの!)」
「そっちは最初から本気。だったらワタシも、本気で返すのが礼儀だもんねッ! くすっ!」
それほどまでに、あたしと彼女は実力差があるっていうことなのか。なんか、かなりやばい。
彼女からどんどん、熱風のような闘気と刃物のような殺気が、膨れあがってるのがわかる。恐いよ。
「ワタシの本気・・・・・・受けてみてちょうだいねぇッ? 栗原水琴チャンっ!」
彼女は、初めてあたしの名を口から出した。
最初から実はわかってたのか、それとも改めて覚えてくれたのかはわからない。まぁ、どっちでもいいや。
覚えてくれたなら、こっちも光栄だしさ。
二ヶ月半、めいっぱい汗と涙を流してきた。毎日、悲鳴を上げたくなるほどの筋肉痛にも泣かされてきた。それは、無駄じゃなかった。
あたしの技によって、末永小笹を本気にさせたんだから。
「(しゅ、集中だ! もっと集中! ・・・・・・見えるはずだし。来たら、躱して・・・・・・)」
そう考え、彼女を迎え撃つ準備はできていた。
しかし、試合再開した瞬間に、あたしの左脇腹へ彼女の強烈な中段回し蹴りが叩き込まれていた。
それは今までとは次元の違う速さ。瞬間移動をしたか、時間を止めたのではないかと思ったほど。
とても、普通に反応できるものではなかったんだ。
その蹴りの衝撃で一瞬、あたしの息が止まった。
お母さんや梨花、真希奈、その他様々な人たちから「あぁ!」という声が聞こえた気がした。
次の一呼吸をするまでがまた、異様に長く感じた。
「止め! 赤、中段蹴り、技有り! ・・・・・・赤の、勝ち!」
■ ○ 末永小笹 9―1 × 栗原水琴
結果は8ポイント差で敗北。全てが終わった。彼女には、勝てなかった。
メンホーを外し、あたしは一礼してコートを出た。
足を踏み出すごとに、どんどん涙が溢れてくる。
唇が震える。とにかく悔しい。
そんなあたしを、コートの外で先生が静かに笑顔で待っていた。
「・・・・・・ひっく。・・・・・・せ、せんせい。あたし・・・・・・。ひっく・・・・・・。かてませんでした・・・・・・」
「お疲れ様。・・・・・・いい試合だったよ。水琴さんは末永選手を相手に、全てを出せたと思う」
先生は涙を流すあたしの肩を抱き、優しくそう言ってくれた。
あたしは、止まらない涙を道着の袖で拭いながら、小さく頷いた。
熱くて塩辛い涙は、拭ってもどんどん頬に流れ続けた。




