ドラゴン大渋滞
「それじゃあね、あなた! 初出勤、頑張ってくるのよ!」
「行ってきます!」
母さんに手を振り返し、タクシーの運転手に出発するよう合図した。
くそっ、これは間違いなく遅刻だ。
家を出るのが遅れたのは、乾燥機の中の服が仕上がるのを待っていたからだ。初出勤の日にジャケットなしで出勤するなんて、絶対に嫌だった。
あのジャケットを俺のトレードマークにするつもりだったのだ。だから、何が何でも着ていく必要があった。ほかの服装なんて論外だ。
それに、サシの魔法の使い方には腹が立つ。特に今日に限ってはなおさらだが、あいつにしてやられたことだけは認めざるを得ない。
魔法の腕は目に見えて上達している。水属性が得意なうえに、あの新しい立派な学校のおかげで、いずれは間違いなく一流の魔導士になるだろう。
ただ、たまに俺を的にして練習するのだけは勘弁してほしい。
おかげで、遅刻についての始末書でも書かされることになりそうだ。
まったく、あいつは本当に厄介な妹だ。
M-SERTの本部は、少なくとも自宅の近所から三十分はかかる。
つまり……。
「すみません、運転手さん。もう少しスピードを上げてもらえますか? ただでさえ遅れそうなので」
「わかりました。お任せください」
俺はため息をつき、後部座席で体の力を抜いた。
運転手は頼みどおりに速度を上げ、タクシーは先ほどよりもずっと速く走り始めた。
しばらくの間、窓の外を眺めながら頭を背もたれに預けていた。
神社や商店、道端の屋台といった地元の店が次々と後方へ流れていく。
やがて見慣れた渋谷の街並みへと景色が変わった。
高層ビルに、スーパーマーケット。そして歩道を行き交う、途切れることのない人の波。
ようやく区の中心部まで来た。
あと十五分ほども走れば、M-SERT本部の正門に到着するはずだった。
ところが、突然タクシーが停車した。
……は?
一体どうしたんだ?
「運転手さん、どうしたんですか? なんで止まったんです?」
「申し訳ありません、お客様。どうやら、この先で渋滞が発生しているようです」
「渋滞? 勘弁してくれよ。今日に限って、今このタイミングでか?」
苛立ちながら、原因を確かめようと窓から身を乗り出した。
確かに、前方の道路には何台もの車が停車していた。待ち続ける間、燃料を節約するためか、ほとんどの車がエンジンを切っている。
日本で渋滞が起きる原因は、だいたい三つに分けられる。
一つ目は、通勤ラッシュ。
みんなが一斉に仕事へ向かおうとして、結果的に道路が大混雑する、あのお決まりの現象だ。
二つ目は、玉突き事故。
二台以上の車が巻き込まれる不運な事故で、道路が少なくとも数時間は完全に塞がれてしまうこともある。
そして三つ目。
これが一番珍しい原因だ。
世界のほかの地域ではほとんど起こらないのに、ここ東京では火曜日のいつもの光景といってもいい。
魔法生物が何らかの理由で道路の真ん中を占拠してしまうのだ。
そして、タクシーの窓から前方を見た俺の目には、まさにその三つ目の原因がはっきりと映っていた。
道路脇に横たわっている、一匹の魔法生物。
大きな赤い翼に、体中を覆う鱗。
まるで巨大化したトカゲのような姿だった。
俺はため息をつき、窓から頭を引っ込めると、背もたれにどっかりと体を預けた。
「ドラゴンですよ。道路の真ん中で昼寝してるんです。それが渋滞の原因です」
「ドラゴン? またですか?!」
運転手がうんざりした声を上げた。
「ここ五日間で三回目ですよ。まったく、あいつらときたら、いつもこんなふうに問題を起こして。迷惑な話だ」
俺は顎を手に乗せ、窓の外を眺めた。
その顔には、興味のなさと落胆が入り混じっていた。
どうせ本部に早く到着するという望みは、もう諦めていた。
だが、この追加の遅延で、上司からお説教を食らうことだけは確定したようなものだ。
「バカドラゴンめ……」
俺は小さくつぶやいた。




