サクラ・スイーツの事件(第三部)
「隊長! 隊長!」
誰かが俺の名前を大声で囁いている。
だが、目を覚ましたくなかった。
俺は夢を見ていたのだ。
葛城カオリさんと結婚する夢を。
場所は教会。俺たちはちょうど結婚式の行列の最中で、彼女は美しいウェディングドレスに身を包んでいた。
俺が彼女のベールを持ち上げると、カオリさんは微笑み返してくれた。
あの美しい赤い髪。
深い青色の瞳。
人生で最高に幸せな瞬間だった。
「それでは、新郎は新婦にキスを」
「よっしゃあ!」
俺は喜び勇んで、彼女の可愛らしい唇に顔を近づけた。
ところが、まさにキスをしようとしたその瞬間。
カオリさんの頭が、俺の部下であるアキの頭に変わってしまった。
「……は?」
「隊長! 起きてください!」
俺はビクッとして目を見開いた。
そして、すぐに状況を理解した。
俺たちは天井から吊るされていた。
アキと俺は、全身を蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされ、身動きが取れない状態だった。
な、なんだこれは……!?
「ちょうどいいところにお目覚めだねぇ、隊長さん。もうすぐクライマックスさ。今、お二人さんのために特別なものを作ってるところなんだよ。あたしもここを離れて、ほかの場所で新しい商売を始める前にねぇ」
ヴォランティナは、大きな鍋を三つ並べ、それぞれに何かを混ぜていた。
俺は疑問の眼差しをアキに向けた。
だが、彼女は素早く首を横に振った。
アキにも、あの蜘蛛女が何を作っているのか分からないらしい。
「ヴォランティナ! 公共の秩序を乱し、変異魔法を使って民間人の命を危険にさらし、競合店を妨害したうえ、M-SERTの隊員二名に直接暴行を加えた罪で逮捕する!」
「本気で言ってるのかい、隊長さん? 今、どっちが有利な立場にいるか分かってるよねぇ?」
彼女は何本もの手を使って、鍋をかき混ぜ続けていた。
やがて、怪しげに光る黒い粉末を、それぞれの鍋へ投入する。
その物質を見た瞬間、俺はすぐに正体に気づいた。
黒色火薬。
士官学校時代、壁やドアを吹き飛ばすための小規模な爆発を起こすのに使っていたものだ。
俺たちを爆破するつもりなのだ。
俺たちだけじゃない。
パン屋ごと吹き飛ばし、永久に逮捕されないよう、証拠の欠片すら残さず消し去るつもりなのだろう。
「ボス! 応答してくれ、ボス!」
腰に装着していた無線機から、ミコの声が聞こえてきた。
だが、どれだけ身体をよじっても、無線機に手を伸ばすことはできなかった。
蜘蛛の糸がきつく巻きついている。
「アキ? 応答して、アキ! みんな!?」
アキもまた、蜘蛛の糸から抜け出せずにいた。
「よし、パトロールはもうすぐ終わる。今からそっちに向かうっす!」
「おやおや、そろそろお暇する時間みたいだねぇ。それじゃあね、隊長さん。あたしお手製の爆弾を生き延びてくれたら、いつかまた飲みにでも行こうじゃないか。死んじゃだめだよ。バイバーイ!」
「Scheiße!」
アキが悔しそうに吐き捨てた。
蜘蛛女は俺たちを見捨て、その場を去っていく。
残された三つの鍋は、今にも吹きこぼれそうなほど煮え立っていた。黒色火薬も、まもなく爆発するところまで来ている。
時間がない。
俺たちは全身を繭のように包み込む蜘蛛の糸から抜け出そうと必死にもがいたが、どうやっても脱出できなかった。
どうやら、ここまでらしい。
初出勤の日に死ぬだけじゃない。
どういうわけか、部下まで巻き添えにしてしまった。
まあ……これも仕事の一部なのかもしれないが、それでも死ぬのは勘弁してほしい。
「隊長、作戦があります」
「アキ?」
「隊長は、防御魔法をご存じですか?」
「知ってるけど、それがどうした? 正直、今の状況でどう役に立つのか分からないぞ、アキ。俺たちは両手を縛られているんだぞ?」
士官学校で受ける訓練では、隊長候補生はさまざまな魔法を習得するよう教えられる。
魔法適性のおかげで、異なる種類の魔法も比較的簡単に覚えられるからだ。
とはいえ、俺たちが使える魔法のほとんどは低位から中位のものにすぎない。数を覚えたところで、どれか一つを本当の意味で極めることはできない。
そういう専門的な部分は、いつだって現場のエージェントたちに任せていた。
「アキ、何をするつもりだ?」
彼女の表情に目を向ける。
何かを決断しようとしているように見えた。
いったい何を考えているんだ?
だが、アキは答えず、目を閉じた。
そして、ものすごい速さで何かを唱え始めた。
呪文……なのか?
その直後、建物全体が揺れ始めた。
周囲の壁や天井が、内側へ崩れ落ちていく。
これが黒色火薬の鍋が今にも爆発しそうだからなのか、それともアキが何かをしているせいなのか、俺には判断できなかった。
アキの周囲の空気が、オレンジ色の閃光を放ち始めた。
パチパチと火花が散り、小さな火の粉が周囲へ飛び散っていく。
彼女のポニーテールはほどけ、まるで周囲が無重力にでもなったかのように、髪全体が上へと浮かび上がった。
そして、彼女が目を開いたとき。
俺は言葉を失った。
瞳が、鮮やかなオレンジ色に変わっていた。
その奥では、凄まじいエネルギーが渦巻いている。
またしても、なんなんだこれは?
いったいどんな魔法だ?
レベル六の炎魔法使いなら、普通に使えるものなのか?
やがて、アキを包んでいた蜘蛛の糸の繭が溶け始めた。
ドロリと床に崩れ落ち、それと一緒に彼女も地面へ降り立つ。
アキは落ち着き払った様子で俺のところまで歩いてきた。
そして、まだ天井から糸一本で吊るされている俺の拘束を溶かしてくれた。
俺は地面に落下し、片膝をついて着地した。
「アキ、大丈夫か?」
「隊長、今です。防御障壁を展開してください。それから、私にライトニングストライクを撃って気絶させてください」
……今、なんて言った?
「絶対に嫌だ、アキ! いったいどうしたんだ!?」
「急いでください、隊長! この姿を長く制御できません。お願いです、爆弾が爆発する前に! それとも、私が制御を失う前に……」
***
ミコが現場に到着した頃には、シュガー・サボターズは蒸気を上げる瓦礫と灰の山に変わり果てていた。
ヴォランティナ・B・ウィドウはとうに逃げ去っており、彼女を逮捕するために必要だった確かな証拠も、何一つ残っていなかった。
ミコはバイクから飛び降りると、現場の中心にいる俺たちのもとへ駆け寄ってきた。
「ちょっと! 二人とも大丈夫っすか!?」
俺は、ギリギリのところで展開したバブルシールドの魔法を解除した。
青いドーム状の障壁がゆっくりと消えていき、ミコの目に、俺の腕の中で気を失っているアキの姿が映った。
アキに頼まれた通り、俺はバブルシールドを展開して爆発から身を守ったあと、彼女に低位のライトニングストライクを撃ち込んだ。
だが、こんなことは二度とするつもりはない。
目を覚ましたら、たっぷり説明してもらう必要がある。
どうして俺に、あんなことを頼んだんだ?
俺のチームはどうなっているんだ……。
主力の射撃担当は、無鉄砲で引き金を引きたがる小悪魔みたいな問題児。チーム初任務で、通り一本をほとんど破壊しかけた。
そして副官は、底知れないほど強力な魔法使い。しかも、本人が恐れているらしい謎めいた一面まで持っている。
自分が率いるチームについて、こんな話をするのは気が重い。
だが、俺たちは早急に態勢を立て直さなければならない。
さもなければ、この調子だと俺たちは本当に……




