第12幕 『 自分の病院 』
日曜日の診察は、午前10時から12時。予約の患者さんだけ。
でも、緊急の場合はその都度診察するんだけどね。
土曜の午後から引き続きわたしが当番。
AHTさんは上田さん。
あらかじめ予約のあったのは、中島さん。
昨日、自分でタロくんにインシュリンをうつことができたんだけど、自宅ではまだ心配だからってことで病院に来て注射をうった。
そのあと、入院の子の治療。
仔イヌの嘔吐は落ち着いているのでフードを少し与えた。
全部食べた。
これで吐かなければ、点滴なくせるかな?
次に、膿胸の処置。
もう、ほとんど膿は吸えなくなってきた。
明日、カテーテルが抜けるかもね。
念のため洗浄。
あ、生食がないや。
生食のおいてある処置室にいくと、上田さんと奥さんが話しをしていた。
二人は気が合うのか、こーいった場面が多い。
「おはようございます」
一応、奥さんに挨拶をして、生食の棚へいく。
「上田さんは結婚してもここで働けるよね」
「結婚したら...、の話しですけどね」
二人の会話が聞こえる。
何だ、結婚の話しか...。
とっとと生食とってここから消えよう。
「高原先生、結婚は?」
うげ、こっちフラれたか。
無理矢理笑顔を作って奥さんの方を向く。
「そんな話も予定も全然ないですけど」
「先生は何年目だっけ?」
「6年目です」
「もう、そんなに。じゃぁ、そろそろよね」
「あ、ははは」
用を済ませたわたしは、そのまま処置室を出た。
適当に笑ってごまかしたものの... 。
そろそろ、って何だ?
『そろそろ、結婚』
ないんだけど、そんなの。
『そろそろ、やめる?』
これかな?
『そろそろ、やめてくれる』
...だったり。
そんなことを、入院室で生食を持ったまましばらく考えた。
まぁ、いずれにしても、これ以上期待されていないってことかな?
12時きっかりに病院が終わると、わたしはすぐに車に乗り込んだ。
そして、高速を走る。
昨日約束した、真紀ちゃんの病院へ行くのだ。
真紀ちゃんが開業する前は、よく一緒に遊びに出かけたりしたけど、開業してから会うのははじめてだね。
片側1車線の道路に、街路樹が植えられたやや広めの舗道。
周囲には比較的新しい家が目立ち、ところどころにはこれから家が建つであろう空き地があった。
そんなところに真紀ちゃんの病院はある。
車が3台ほど止められる駐車場。そして、その奥に15坪ほどの2階建ての病院。
「こんにちは。はじめてですけど」
わたしは病院のドアを開けると、大きな声で言った。
「あ、はーい」
奥から真紀ちゃんの声がする。
「灯子ちゃん、いらっしゃい」
受付に顔を出した真紀ちゃんは、今度はだまされなかった。
「日曜もちゃんとやってんだ。車、前に止めちゃったけど、大丈夫?」
「やってるっていったって、ほとんど誰も来ないし。車止まってると、かえって患者さん来てるみたいでうれしいかも」
真紀ちゃんは「こっち、こっち」と言いながら、受付の横の扉から手招きしてくれた。
入ると診察室。
「ここ、診察室兼応接室だから」
真紀ちゃんは診察台の横に椅子を持ってきてくれた。
「これ、ケーキだよ」
わたしがケーキの箱を差し出す。
「わぁ、ありがと。灯子ちゃんはコーヒーでよかったよね」
「いいよぉ、なんでも」
真紀ちゃんは奥に行くとがちゃがちゃ何やらやりはじめた。しばらくすると、コーヒーのいい香りがしてきた。
診察室の奥の壁にははめ殺しの大きなガラス窓があり、その奥に手術室が見えた。
椅子に座る。
診察室を見回す。
ピンクの壁紙。
所々にアクセントのように置いてある診療とは全く関係ない小物。
シンプルな花瓶に小さな花。
なんだか、かわいい病院...。
そんな雰囲気に似合わない堅苦しそうなシャーカステンには、フイルムが2枚かかっていた。
ネコかな?
明かりはついていないけど、暗いコントラストの輪郭から想像出来た。
細くなったおなか、胸が白いね...。
「ブラックでよかったっけ?」
真紀ちゃんがコーヒーとお皿を持って現れた。
「うん。ありがと」
診察台の上でケーキの箱をひろげ、お皿に取り分ける。
「あれ? AHTさん、いなかったっけ?」
「いるけど、日曜はねぇ...。やっぱり友達と遊びたいだろうから、休んでもらってるの」
「そっか、じゃぁ、日曜はひとりで大変だね」
「だからぁ、大変なほど患者さん来ないってば」
そう言うと、真紀ちゃんは大きな声で笑った。
「でもさ、今朝、交通事故のネコが来ちゃって、レントゲン撮るのはやっぱりヒトがいた方がいいよね」
「あの写真がそお?」
シャーカステンに目をやった。
「そう、そう」
真紀ちゃんがシャーカステンのスイッチを入れた。
2度ほど点滅してライトがついた。
「ヘルニアだね」
「そう。今、入院してる」
「落ち着いてるの?」
「今はなんとか。事故に遭ったばかりだから、少し待って手術だね」
「きんちょーの手術だね」
「プレッシャーかけないで!」
二人とも笑った。
コーヒーを口に運ぶ。
なんだかゆったり気分。
「おいしいね、コーヒー」
「ドリップするとね。その匂いとかでもリラックスできるような感じがするんだよね」
両手でカップを持ちながら真紀ちゃんが言った。
コーヒーとケーキがなくなったところで、さらに奥を見せてもらう。
「ここは処置室兼入院室だよ」
部屋の大半を占拠する処置台のシンク。そして奥の壁に入院ケージがあった。
ケージのひとつは、扉が透明なパネルに換えてあり、酸素がつながれていた。
動きを止めその中を見つめる真紀ちゃん。
きっとそこには交通事故のネコが入っている。
「悪そうなの?」
「大丈夫だよ。朝より落ち着いてる」
こちらを向いた真紀ちゃんの顔が優しくなった。
「そっち手術室」
ケージを離れた真紀ちゃんは、手術室への扉を開けた。
真新しい手術台、無影灯。
「その奥がレントゲン室だよ。暗室と兼用。うちは兼用ばっかだね」
真紀ちゃんはまた大きな声で笑った。
「へへ、狭いでしょ。でも上があるからまだいいんだよ。上は物置き状態なんだ」
なんだか真紀ちゃんは楽しそうだ。
電話が鳴る。
真紀ちゃんが受付へ走っていく。
「はい、まき動物クリニックです」
手術室から出たわたしは、ネコの入ってるケージの前に行きそっと中をのぞいた。
ほんとだ。思ったより呼吸は楽そう。
「息子さんが戻られるのはいつですか?」
受付から真紀ちゃんの声が聞こえる。
「じゃぁ、9時に病院開けますので、見にいらして下さい。はい、じゃぁ、お待ちしてます」
電話、終わったかな。
「ごめんね。電話、その子の飼い主さん」
受付から戻ってきた真紀ちゃんは、ネコのケージに視線を当てながら言った。
「その子、息子さんがかわいがってたみたいなんだけど、事故のこと知って車飛ばして戻ってくるって」
「じゃぁ、9時って言ってたのは、夜に見にくるってこと?」
「うん、そう。時間外だけどね。でも、手術の前に会いたい気持ちも分かるし」
「えらいね。ちゃんとそーいう対応もするんだ」
「ははは、何と言っても開業したばっかだからね。あれこれ言ってられないよ」
そーか、貫禄だけでどんどん患者さんがやってくる大きな病院とはちがうものね。
自分の力で患者さんを増やさなきゃいけないわけだ。
「コーヒー、おかわり入れようか?」
真紀ちゃんはわたしの返事を聞く前に処置室の奥のシンクにいくと、コーヒーの準備を始めた。
「真紀ちゃんさぁ...」
真紀ちゃんの動きを追いながら、わたしはここに来た目的を口にする。
「開業して、よかった?」
「ははは、灯子ちゃん、今日はそのための視察だったでしょ」
ありゃ、見抜かれてたか...。
コーヒーメーカーのスイッチを入れると、真紀ちゃんはこちらにやってきた。
「もー泣きたいことばっかりだよぉ。びんぼーだしね。勤めてた時もびんぼーだったけど、借金のあるびんぼーは、ほんとつらいよぉ」
真紀ちゃんは笑いながら話を続ける。
「でもね、たまーに、やっててよかったって思えることもあるんだよね。ほんとに、たまーにだけど...。たとえばさ、10個に1個くらいいいことがあるとね。なんだか続けられるかも...って思っちゃうんだよね。ひょっとしたら、それが2つになるかもって期待もあるし...。でも、0になったら辞めちゃうかもね」
そして、視線を床に移すと黙り込んだ。
真紀ちゃんの大変さは、きっと今のわたしには分からないんだろうな...。
また、コーヒーの香りがしてきた。
ああ、いい匂いだ。
「でもね。自分のペースでやれるから、そして、やった分だけ自分のものになるから...。だから、わたしには合ってるかな」
そう言いながら真紀ちゃんは診察室へ行った。
診察台からカップを取り戻ってくる。
やっぱり真紀ちゃんは笑っている。
「ここは、真紀ちゃんの病院なんだね」
「え、違うよ。ここテナントだから」
「そーじゃなくってさ」
真紀ちゃんの病院だ。
ほんとに、わたしはそー思ったんだから...。
夜。
お風呂上がり。
髪を乾かしたあと、いつものように発泡酒を開ける。
マックから流れる音楽。
亮子ちゃんも真紀ちゃんも、自分の進む道を歩きはじめてる。
すごいなぁ。
まだちょっと頼りないけど、森先生だってちゃんと目標を持ってたものね。
わたしは、どーなるんだろ?
どーしたいんだろ?
やっただけ自分のもになる、開業。
どれだけやっても自分のものにはならない、勤務医。
石津先生は、どーして開業したのかな?
『先生、連絡先教えて下さい』
『今までみたいに緊急で呼び出されると嫌だから、教えない。手紙書くよ』
『じゃぁ、これわたしの携帯。緊急の時は呼び出して下さい。手伝います』
石津先生が病院を辞めた時のことを思い出した。
で、来た手紙が、あれだものねぇ...。




