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第13幕 『 自信 』


 月曜の朝。

 膿胸のネコも嘔吐の仔イヌも、状態は良好。

 もう退院出来そうなので、院長に報告に行く。

 院長室のドアをノックする。

 ?

 もう一度ノックする。

 あれ?まだ下りてきてないのかな。

 「あ、院長、今日お休みですよ」

 うしろで上田さんの声がした。

 「え~、どうして?」

 そう言いながらわたしは振り返った。

 「さっき下りてきて、この前の健康診断の結果を聞きに行かなきゃいけないからって。高原先生のこと探してたんですけどねぇ」

 「そんなぁ」

 「膿胸は退院してもいいし、仔イヌはもう一日様子みようかって言ってましたよ」

 「あ、そう、わかった...。じゃぁ、一応、料金計算しておいて」

 持っていたカルテから膿胸の子のを選び、上田さんに渡した。



 

 そして、結局、夜の診察時間になっても院長は現れなかった。

 どーしたんだろ?


 それでも、そんなことはおかまいなしに患者さんはやってくる。

 回ってきたカルテを見る。

 本田チャコちゃん...、またぁ。

 先週来たばっかなのにな。

 この診察はいつも話が長くなってなかなか解放してくれないから、AHTさんも付き合ってくれない。

 みんなどこいった?

 わたしひとりでやれってこと...。


 「チャコちゃん、どうぞ」

 待合室への扉を開け、本田さんを呼ぶ。

 「本田さん、どうぞ!」

 声を大きくして、もう一度呼ぶ。

 おばあちゃんの本田さんはちょっと耳が遠いのだ。

 呼ばれたことが分かった本田さんは、ボサボサ毛のヨーキーのチャコちゃんを抱きながら診察室に入ってきた。

 お歳の割には、足腰はけっこうしっかりしてる。


 「今日は、どうしました?」

 普段より大きめの声で言う。

 「耳、見たってくれんかね」

 なんだか先週と同じ展開だね。

 チャコちゃんの耳を診る。まぁ、チャコちゃんが大人しいのが救いかな。

 「またちょっと汚れてるから、掃除しておきますね」

 わたしは引き出しから鉗子を取り出すと、小さくちぎった脱脂綿を巻き付け、耳掃除を始めた。

 「チャコは、あとどれくらい生きるね?」

 本田さんのいつもの会話が始まる。

 「チャコちゃん、まだ8歳ですから。折り返し地点かなぁ」

 「わしの方が早よ死なへんかね。そうなったら、先生、この子もらってな」

 「本田さん、まだまだお元気ですから、チャコちゃんより長生き出来ますよ」

 「だったら、チャコが先逝ったら、寂しくてかなわんな」

 「チャコちゃんもまだまだ長生き出来ますから、安心して下さい」

 「んなら、チャコはあとどれくらい生きるかね?」

 おい、おい...。


 と、まあぁ、そんな会話がずっと続くんだよね...。


 「あっちゃん、あっちゃん」

 突然、取り乱したような声が待合室の方で聞こえた。

 なんだ?

 少しして、森先生が何やら白い塊を抱いて診察室の仕切りの向こうを走り抜けるのが見えた。

 すぐにその後を上田さんと知華ちゃんが追う。

 と、途中で知華ちゃんが止まり、仕切りの向こうでこちらに向かって手をばたばたして何やら口だけでしゃべっりだした。

 「爪はどうかね?」

 相変わらず、本田さんはマイペースで話を続けている。

 知華ちゃんの様子からして、何か緊急事態か。

 「爪は先週切ったから大丈夫ですよ」

 視線は知華ちゃんぬ向けたまま、わたしは適当に答える。

 「チャコちゃん元気だから、ぜーんぜん大丈夫ですよ」

 ここは、無理矢理終了させよう。

 「じゃぁ、まだ生きるかね」

 おいおい、話がエンドレスだよ。

 これの次は、きっと息子さんの話が待ってるし...。



 それでもなんとか話を打ち切り、カルテも書かずに急いで処置室の扉を開けた。

 みんなが取り囲む処置台の上には挿管されたマルチーズが横たわり、体には心電計がつけられていた。

 こりゃ、だめか...。


 「マルチーズのあつろうくんです。車で来る途中、急に倒れたみたいで」

 わたしに気がついた上田さんが言った。

 森先生もこちらを向く。

 「呼吸が止まってて、心臓もはっきりしませんでした。心臓圧迫して、挿管して」

 森先生が緊張の残る声で言った。

 モニターを見ると、しっかりとした心臓と呼吸の波形が出ていた。

 無事、蘇生したんだ。

 「あと、ニトロを包皮粘膜に」

 続ける森先生に、わたしは大きくうなずいた。

 急にマルチーズが頭をあげる。

 「戻ったね。抜管して」

 すぐに森先生が気管チューブを抜き取った。

 抜き取ったチューブの内壁には、泡沫状の血液が付いていた。

 ちょっとふらつきながらも、上半身を起こすマルチーズ。

 蘇生したとはいえ、呼吸をする度に捻髪性の音が聞こえる。

 「このあとどーする?森先生」

 「酸素の中に入れて、ラシックスを使います」

 「じゃぁ、そーしてあげて」

 上田さんは酸素ケージを、知華ちゃんは注射の用意をするためにその場を離れた。


 「よくやったね。森先生」

 まだ緊張感の残る森先生に、わたしは100点満点の言葉をかけた。

 「さあ、岡本さんを呼んで、説明してあげて。待合室で心配してると思うよ」




 診療時間終了後...。

 「あつろうくんを抱えて走る森先生、ちょっとかっこよかったですよねぇ」

 「挿管も早かったしね」

 「岡本さん、森先生に深々と頭下げてましたよ」

 AHTの3人娘が受付で後片付けをしながら話していた。

 「ほめられてるよ。よかったねぇ」

 わたしは医局でコーヒーを飲みながら、横でカルテを書いている森先生に言った。

 「いや、そんな」

 照れながらも、ちょっとうれしそう。

 そうやって、少しずつ自信を付けてくんだよ。


 「いやぁ、今日はすまんかったねぇ」

 そう言いながら医局に入ってきたのは院長だった。

 「おかえりなさい」

 みんながそれぞれに言う。

 「再検査とかで時間かかっちゃって」

 「大丈夫だったんですか?」

 上田さんが聞いた。

 「2週間ほど入院することになった」

 え?!

 みんなの動きが止まる。

 「どこが悪いんですか?」

 問いつめるようにわたしが声を出した。

 「いや、ひょっとしたら手術するかもしれんし...」

 れらいこっちゃ...。

 きっとその場の全員がそう思ったに違いない。

 「ま、たのむね」

 そう言うと院長は院長室の扉を開けた。

 「高原先生、ちょっといいかな?」

 「はい」

 わたしは立ち上がると院長のあとに続いて院長室に入り、扉を閉めた。

 


 わたしを呼んだ院長は、自分の病状を説明したあと、「ま、いつもどおりやってくれればいいから」と、笑って言った。

 そんな切羽詰まった病状ではないことにわたしは安堵した。

 でも、2週間も院長がいない状態に、不安であることに変わりはなかった。


 院長室を出ると、医局に残っていたみんなが一斉に視線を向けた。

 「大丈夫だって、心配ないって」

 わたしの言葉に、みんなほっとした表情になった。



 

 みんなが帰ったあと、わたしが最後に病院を出た。

 車に行くと、森先生が立っていた。

 「ほんとに、院長大丈夫なんですか?」

 心配して待ってたんだ。

 「うん、わたしにはそう言った」

 「じゃぁ、大丈夫ですね。ちょっと高原先生が不安そうな顔してたから」

 「だって、2週間も院長がいないんだよ。はじめての経験」

 「僕にしたら、院長がいないよりも高原先生がいない方が不安ですけど」

 「お世辞が上手くなったね」

 「そんな。でも、出来るだけサポートします。がんばりましょう」

 おお、ちょっと頼もしく見えるぞ。

 そして、森先生は「おつかれさまでした」と言うと自転車を走らせた。

 

 


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