39 押収
「目が覚めたと……………誰だね?」
病室の扉が開いた。
看護婦ひとりを従えた医者が姿を現す。
そして訝し気に、金髪の捜査官を見た。
「そちらには既に自己紹介したと思うが?」
それに応えたのは医者の背に隠れるほど小柄な看護婦だ。
「昨日の夜、当直だった……医師が話を聞いていました」
「……情報は共有しろと何度も」
すみません、と看護婦は体を小さくさせる。
「状況の確認は済んだか? 彼女の診察を、そのあとはこちらで用がある」
「――それとこれとは話が別だ。一日意識が戻らなかったんだぞ。安静は絶対だ」
それまで両者一歩も引かない態度を取っていたが、医者の言葉を聞いて、青い瞳を瞬かせた捜査官は、すぐに言葉を改めた。
「事情聴取ができるまで待合で待たせてもらう」
「フェリス、案内を」
はいと返事をした看護婦。
しかし、相手は断った。
「結構だ。人手不足の病院で、余計な手間を取らせるわけにはいかない」
「そうしてもらえると助かるな」
深い溜息を吐いた医者が、病床の傍らに近づく。
明るい金髪の捜査官が出ていくのを見送る。
あまりにあっさりとしてものだった。
「気分が優れないところは?」
扉が閉まったと同時に話しかけられる。
「いいえ。……………あの、わたし、なんの取り調べをされるんでしょう……?」
「事情は分からないが、いま気にするのはやめておきなさい」
問われた相手に、分かるわけがないのは先ほどのやり取りを見ても明らかだったが、不安に駆られて疑問を口にしてしまう。脈拍を測りながら医者はどこか労わるように返してくる。この医者が悪いことなど、何もあるはずもないのに……少し苦い表情で。
不思議に思ってネムはその医者の顔をまじまじと見、首から下がるネームプレートに気が付く――内科医テレンス・マードック。緊急搬送されたネムとルヴィの担当医だと後に看護師から説明を受けた。
「気にするのはやめておきなさい」
医者が腕に点滴を打ってくれる。血管が見つからなかったのか、眉間にしわを寄せている。後ろにいた看護婦が代わろうとしたが、医者はそれを断った。見つからない血管を見つけようとするように、目を眇めている。
「まだ本調子ではないと伝えることも可能だが?」
「いえ………大丈夫です」
医者の言葉に甘えたい思いもあったが、先延ばしにする方が恐ろしい。
看護婦を連れ立って出ていく医者に頭を下げ、やって来るだろう捜査官を待つ。
緊張で眩暈がしそうだ。
「失礼する」
きちんとノックされるので、落ち着いてロック解除した。
ベッドの横のタブレットで解除できる。
医療関係者以外の部外者が入ってくるときの防犯のためだという。
「無理はさせないようにと散々念押しされたが、顔色も悪い」
「……………どうしてFBIが?」
ネムの病床の横にある椅子を掴む。医者が座っていたものでもある。少し遠ざかった位置に置き直して座り、腕組みする。
「ジャミラ・ウィローの警察への通報を切り替えさせてもらった」
尋ねた答えは返ってきたような、そうでないような。
ただ、ジャミラがいら立ったように電話していた理由は判明した。
警察に通報したはずなのに、FBIに切り替わり、説明に時間がかかっていたのだ。
二度手間とはこういうことか。
「市警察よりは早く駆けつけたと思うが、負傷を防げなかったことには詫びる」
警察が来るまでには時間がかかるという。
直行してくれたというこの捜査官によって助けられたのは間違いない。
「――だが、婦女子が暴漢の前に出るべきではない」
怖い顔でネムの行動を無謀だと叱りつけられる。
助けてくれた謝意を示そうとしたが、口ごもる。
受ける刺激に、脳が緩慢だ。
怪訝な目で見られかけて、ネムは首を振って先を促した。
「事情聴取をするとか……」
「その前に、確認することがある」
金髪の特別捜査官は封筒から書類を取り出して読み上げ「――相違ないか」
「はい……」
何とも言えない気分で自信なく頷いた。
他にどうすればいい。ネムだって正確なところは知らないのに。
確認したいこととはネムが何者であるのか、ということだったらしい。
サイドテーブルへと雑に書類を置いて椅子に腰かける。
「最近、国外から不審なほど高額な入金があったな」
「そんなことまで……?」
調べ上げたのか。
事故が起きたのは、昨日の今と変わらない時刻だというのに。
「出どころは?」
「…………ルヴの兄から」
そこまでは調べがついていないのだろうか。
それともこちらを試しているのだろうか。
「羽振りのいい家のようだな。弟はともかく、そちらにまで同額を振り込んだ経緯はどういうものだ?」
ネムは慎重に言葉を選んだ。
「…………わたしは、彼から見て、弟と同居している異性ということになるでしょう?」
「なるほど」
その経緯をどう解釈したかは想像がつく。
第三者が納得しやすいように誘導するのは難しくない。
ルームメイトの気前のいい兄から一緒に使うよう小遣いを渡されたというより、ずっと楽に理解を得られる。
「外国人労働者については?」
「…………誰のこと?」
「現場にいた二人組の男たちだ」
「あの時、はじめて会った……居合わせた人たちですけど」
それ以上の何も知りようがない。
呼んだのはマリエだろうが、本来は別の業者に任せようとして音信不通になったから急遽代わりの業者として選んだらしい、と話す。本当に、これが知るすべてだ。
「そんなところか」
期待はしていなかったようで、そのままあっさりと頷かれる。
そして別の封筒から出したものを差し出してくる。
「押収していたものだ」
愛用の携帯を渡される。ネムだけでなく、あの場にいたルヴィやマリエ、ジャミラの携帯も預かったままだという。ということは……。
「恋人や管理人たちに連絡はできないのは了解しておけ」
先回りして言われてしまう。
思った通り、誘導できたことは確認できた。
「わ、かりました」
ネムたちはどちらかというとトラブルに巻き込まれた被害者たちなのだが、どうして携帯を押収されてしまうのか疑問だ。疑問だが、本国で言うと警察に当たる機関の人物がいうのだ。必要なことだったのだろう。
「それと、これもだな」
何気なく出されたそれに、背筋が泡立つのを感じた。
それは黒々とした、スタンガンだった。
このスタンガンを実際に人に向けて使用したのを――見られた?
「護身用なのは分かっている」
顎で示され、側面を見るとフル充電になっていた。
「使う場合は躊躇しないことが重要だ。リーチが短いからな」
「……えと、はい」
使い方の指南すら受ける。
用は済んだとばかりに立ち上がった。
そのまま出口に向かう足をいったん止めたかと思うと、振り返る。
「それと――不用意にレジデンス周辺に戻るな。今は治安が悪化している。各地で暴徒が周辺で暴れて停電も起きている」
世紀末みたいだな、と幼馴染なら感想を言ったかもしれない。
どこか呑気な幼馴染のことを考えると、張り詰めた神経が緩む。
「では、わたしは……」
「しばらくはホテル暮らしか、ここで過ごせ。そうでなければ、レジデンスへは送るが」
「………いえ。ルヴの目が覚めるまでここにいます」
「そうか。では、協力に感謝する」
話が終わるなり脇目も振らずに踵を返す。その姿を見ていて、ネムはふと彼のシャツの皴が気になった。服装も一日たったという昨日と変わらない気がする。もしや、昨日から事故の件で奔走していたのだろうか。
なんにせよ、前科者にならずに済みほっとした。
「……退院の手続きしなきゃ」
毎年150万人以上の外来患者を処理し、年間180億ドルの収益を上げ、1300台もの病床数を保有し、緊急対応レベル1外傷センターであり、レベル1小児外傷センターである、アクイレギアでも指折りの総合病院である栄光の陰は濃く暗いものだ。2千人の医者を含めた2万3千人の医療従事者が在籍する病院の頂点は院長だが、その座を狙うものは医者という資格はおろか、人間性を捨てているといっていい。四方八方に倒れるように建物を支える白亜の支柱は総数666本に上る先進的なデザインの建築物でもある院内の、とある医者の執務室の一角に二人の医師の姿があった。
「手を引くべきだ。これは明らかな選定ミスだ」
拳を机に叩きつけ、訴える。
しかし画面を見つめる医師は座ったまま、返答を眺めて結論を出す。
「既にデータは送っている。――このまま進めろという先方の意向だ」
訴えを退けられた医師は、拳を握り締めた。




