40 一匹狼
真摯な目で凝視される。気まずくなったネムは自分の身なりを確認した。記憶のままの服装で、一日たったというが、着の身着のままの状態のようだった。そして記憶が正しければ、この金髪の捜査官という男は、ネムを暴力から救ってくれた恩人だ。そういえば、服装が変わっていないことに気づいた。ネクタイが少し歪み、シャツは皺が付いている。まさか、病院で寝泊まりしたわけではないだろうが、自宅には戻っていないのではないか。
「勿論、協力はしたいと思います。……ただ、お知りになりたいのは、アパートに来ていた業者のことでしょう? わたしたちはその業者とは面識もないのです。お役に立てそうにありません」
申し訳なく思いながら眉を下げるも、金髪の捜査官は動じた様子もなく淡々と尋ねてきた。
「アパートの管理人に聞いたが、その業者に一度来るようにしてみてはと助言したのが、もうひとりのルームメイトと聞いた」
「それは……間違いありません」
ネムは頷いた。どうやら、マリエにもこの事情聴取は及んでいるらしい。最後に見たマリエは体調が悪そうだったが、大丈夫だろうか。
「金銭を受け取って、その業者を呼び込むように指示されたということは?」
「え……? いいえ、そんなことはありません」
驚いて顔を上げた。
そこには強い目で見てくる顔があった。
ネムは思わず掛布を握り込んだ。
「巻き込まれた君たちについても調べたが、最近不可解な入金があったと報告が上がった。君たちの口座にそれぞれ9万ドルほど。それは海外の複数の口座を経由して入って来たものだ。うちのお抱えのエージェントが調べ上げたところ、入金元は、とある世界有数の製薬会社に所属している一職員まで遡った。特に隠されているわけではない正規ルートだ。その名義人は、フィサリス・キングサリ」
「……名前からわかるでしょう? ルヴの長兄です」
話を聞いて力が抜ける思いがした。ネムは体を起こしているのが辛くなり、ふかふかとした枕に体を預けた。点滴がなければ、病室だとは思えない造りだ。
「では、なぜ君にも?」
枕に沈みながら、ネムは二度ほど瞬きをした。
慎重に口を開いた。
「弟の幼馴染にも同じように臨時でお小遣いを、と聞いています」
「わざわざ手数料に1万ドルも掛けて?」
ネムは黙り込んだ。恩人であるからこそ、親身になって協力をしたいと思った。FBIと聞いて驚いたものだが、どうやら疑われているようだった。この不自然な入金について。しかし、だ。
「………それ、今回の事故にまるきり関係ないことよ」
最初に『手詰まり』と言っていたのは本当らしい。
ご苦労なことだが、もう少し労力を別のところに持って行った方がいい。
ネムはとうとう呆れて半眼になった。
「だとしても、だ。疑わしくないものも疑うのが仕事だ。重要参考人が起こした事故あるいは事件の関係者で、少しでも疑わしいと思われる金の流れなら、把握したい」
金の流れを探るのは重要だろうが、これは大金といえるだろうか。犯罪にかかわっている人間が、高々9万ドル程度で満足するのだろうか。……この時のネムは知らなかったが、数万ドルで依頼を請け負う殺し屋はざらにいるらしく、さらに売人などはより少額でも犯罪に加担するらしかったので、金額でのみ考えると、この時のFBI捜査官ヒーカンの疑いは妥当なものといえた。
手がかりがなければ、これほど無作為に調べ上げるのか、ネムはいっそ感心してしまっていた。
「地道な作業ね……」
金髪の捜査官は眉を跳ね上げた。その表情をみながら、ネムは何とも言えない顔になるのが分かった。
「無能と言いたいんだろう。生憎だが、昨今のより大きな事件に上の人員を取られていて、人手不足なんだ」
こちらも引かない態度を崩さない。
ネムは先ほどから嘘を言っていないのだが、信じてもらえない。
先ほど確認したIDには名前以外の情報は読み取れなかったが、もしかするとネムやルヴィたちに近い年なのかもしれない。関係者について虱潰しに調べていくスタイルは随分と泥臭い。何の事件を追いかけているのか知らないが、単独行動とも受け取れるような物言いだ。
「………随分とお困りのようだわ」
恐らく昨日も自宅に戻っていないだろう、目元の隈も甚だしい命の恩人に、ネムは誠実に答えた。
「同郷の、そして身内の幼馴染のよしみで、わたしの学業の面倒も見てもらっているんです。学生ビザで働けないので、仕送りが必要でしょう?」
「それはおかしい。――君が持つ複数口座にはそれ以上の資産があるのに?」
なるほど、とネムは横になりながら天井を見上げた。やっとどうしてここまで疑われているのか分かった気がした。そこまでは調べているのかと。ならばもう少し調べればよかったのにと。それでもあれが、自由にできる資産ではないことまではわからないだろうが。
ネムは、カレッジのどこかで聞いた話を思い出しながら口を開く。理解しがたい本当のことよりも、納得しやすい理由を。
「お金持ち同士がつるんでいるの。このリグナムバイタでもあるでしょう?」
「――一理ある、か」
あぶく銭の処理を頼まれて、などと言っても信じてもらえないに違いなかった。
マリーゴールドの咲いた花壇を降りていく。夕日に染まった花弁は赤く、首を重たげにもたげている。すると、先ほど会話したばかりの、老婆の萎れた花のように曲がった背が思い出された。
ヒーカン・サイクスがこの郊外にやって来たのは、昼過ぎのことだ。
重要参考人を追って辿り着いたのは、クラウドファンディングで起業したばかりの新しい業者だった。ある郊外で、急激に塗装関連の機器が中古品店やリサイクルショップに持ち込まれた。その活用として、日雇い労働者やホームレスたちの雇用を創出しようと起業されたものだが、その中に、ヒーカンが追っている事件の、重要参考人と思しき人物が雇われているという情報を掴んだのだ。ジャカランダからリグナムバイタへ飛行機で移動し、FBIのエージェントを通して、業者の作業員が出向している住所に赴くと、年配の作業員が、重要参考人の男に腕を振り上げているところだった。まず思ったのは、間に合わないということ、そして間に合わなくてもいいかということだった。
か細い少女が立ち上がり、それ止めるとは思わなかった。
全力で駆け付けたために、少女が引き倒されて年配の男に踏みつけられる前に間に合った。声を掛けたが、その場で倒れた少女は、ヒーカンの姉にはまるで似てはいないのに、息を飲むほど美しいということは同じだった。その場で負傷したのは、意識を失った少女と、昏倒させた作業員の男のほかに、血まみれになった少年もおり、やって来た救急車によって運ばれた。重要参考人は拘束したが、弁護士を呼び、まったく口を割らない。泣いたり喚いたりするが、何を問われても笑うだけだ。純朴そうな顔をしているが、この若い男は、年配の同僚に平気で薬物を混入させて急性中毒にさせている。
罪悪感や良心ではなく、人間性の欠落とでも病名を下せば妥当だろう。
残念ながら、そういった人間は少なくないのが実情だ。
自分を庇った力のない少女がまさに踏みつぶされようとしたときの、爛々とした目の輝きはとても醜悪だった。食い入るように笑顔で見ていた。
「死んでしまえばよかったんだ……あんな屑」
捜査本部のエージェントから、今回の被害者たちの調査結果を受け取ったヒーカンは、被害者たちが搬送された病院に向かった。病院内のベンチに腰掛け、懐からチェーンの付いたロケットを取り出す。開くとそこには、明るい金髪に緑の瞳をした美しい女性が物憂げな微笑を浮かべている。ヒーカンの13歳年上の姉だ。
今から20年前までは、父と母と姉とヒーカンの4人が自然豊かで長閑な地方に住んでいた。父は初婚だったが、母は三度の結婚歴があった。姉は異父姉であり、母の二度目の結婚相手との子だった。そしてヒーカンは母の四度目の結婚相手である父との間に生まれた。今はその幸せだった家族の形は跡形もない。
この国ではそれほど珍しくもないことだ。
4歳の時、ヒーカンは父に、姉は母に引き取られた。
その6年後、姉は23歳の時に引っ越して大学に進学したが、程なくして消息を絶った。
生きているのか、死んでいるのか14年たった今も分からない。
生きていれば37歳になる姉の姿を見分けられる自信もない。
ヒーカンは、ロケットをパチリと閉じた。
病院内の電気が消灯し、時針が音を立てて日付が変わる。
考えることはいつも同じだ。
――この闇と同じような何処かには、姉がいるのだろうか。
慌ただしい足音でやって来た医者が、患者が起きたことをヒーカンに知らせた。




