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黄金が降る  作者: 毎路
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03 レジデンス

 アクイレギアにおける、カレッジの学生寮(レジデンス)の歴史は興味深い。


 カレッジの敷地内にある学生寮が整備されている。

 寮を管理する、コーディネーターが存在し、相部屋が基本だ。

 二人から六人までの部屋があり、相部屋の人数が少ない程、寮費は高くなる。


 寮費と食費はセットだ。

 私立のカレッジでは、1年間で200~250万程度かかるのが一般的だ。

 これは、カレッジの学費とは別となっている。


 そして――


「この度、オレたちはこの伝統的な(・・・・)レジデンスには、入寮しません!」


 この学生寮には大いなる問題点がある。

 親元を離れて初めての生活が、いきなり他人との共同生活になるのだ。

 それがこの、個人主義筆頭ともいえるアクイレギアで、というところがネックだ。


 個人の自由と自由のぶつかり合い。

 アクイレギア人学生と留学生たちのごちゃ混ぜの部屋割り。

 留学生たちのこの学生寮での口コミによると、周囲への配慮は文化的に存在しないというのが印象的だ。


 この伝統的な学生寮以外に、他の選択肢も登場した。

 経済的に余力のある学生は、個人でカレッジ近郊に部屋を求め、それを受けて、民間が学生向けに低価格のアパートを提供するようになった。


 需要と供給である。


「勉強しに来たからには、集中できる環境を用意したつもりよ」


 今では、金銭に余裕のない学生か、伝統的なレジデンス生活を送りたいという奇特な学生か、カレッジ内で生活したいという出不精の学生くらいしか入寮しないという。


「でも、郊外なの。これから地下鉄に20分乗って最寄り駅に行くわ」


 携帯の画面を開いて確認している。

 見ているのは路線図のようだった。


 最寄り駅からは徒歩10分でアパートがあるという。

 つまり、カレッジのすぐ近くに地下鉄の入り口があるので、30分で行き来できるというわけだ。


「大学生んときゃ、自転車・バス・電車の3つで1時間半かけて実家から通ってたからな。それにくらべりゃ、どんなとこも余裕だぜ!」


 乗り継ぎのために合間を走って鍛えた脚にも自信がある。

 その時分についた走る習慣は、趣味にもなっている。


「ルヴのお家、みんな外に出ていたから、世にも珍しい、一人暮らしの自宅生だったものね」


 末っ子の宿命か。

 上の兄二人は既に家を出ていた。

 両親についてはノーコメント。何も言うまい……。


「でもそんなに乗り継ぎをしていたの? お家には車があったわよね?」

「最初だけな。あんだけ乗り継ぐと、かかる時間がもったいなくてさ、免許取ってから速攻で車通学に切り替えたんだ」


 公共交通機関というのは、よく考えられていて、乗り継げるような感覚を設定してくれているが、遅れなどがあると結構シビアな運行だった。


「ちなみに、自動車免許は集中講座の二週間で取った」


 ネムが笑った。


「気が付いたときには、車を乗り回していたものね」

「まあな! お祝いだーって、兄貴が外車を買ってくれようとしたときは慌てたもんだぜ」


 大学の通学で外車を乗り回す奴にはなりたくなかった。


「オレの知る限り、そんなのは親が医者の医学部のボンボンだもんな。そんなの持ってたら、めちゃめちゃ浮くって!」


 本国では、周囲から外れたり浮いたりすることが一番面倒なのだ。

 良いものであれ、悪いものであれ、嫉妬や悪意を呼び寄せることは厳禁だ。


 緑のゲートを降りていくと、改札口があった。

 切符を買って、青いラインに進む。


「医者の息子が外国の高級車を乗り回しているのは、親が勤める病院の経費で落としているからよ。本人の力でも、厳密には親の力でもないわ」


 地下鉄がやって来るのにはまだ時間があった。


「親が買ってやってるんじゃ?」


「大学生の子どもに、いきなり外車を買ってプレゼントするような人もいるでしょうけれどね、稀な部類だと思うわ。ルヴのお兄さんも含めてね」


 ベンチはとても座るような場所に思えず、立ち話を続ける。


「病院勤めをしている身内から聞いたのだけれど、病院から医師は二台まで経費で落ちるらしいわ。でも、医者はもともと自分で車を持っているものよ。それで二台のうち一台は、子どもに外国製の高級車を与えて、もう一台は業務上の外診で乗り回す軽自動車を用立てるそうよ。軽自動車なのは、訪問先の患者さん家族からの反感を買わないように、ね」


「持ってる財力を見せつけない努力なあ……子どもはいいいんかい」

「持たせてやりたい親心というものかしら?」


 言いながら、ネムも疑問符を浮かべている。

 お互い、両親からまともに関わった思い出がないせいだ。


「ネムの身内さんの話で、親が医者の医学部の息子が外車乗り回してるって偏見が裏付けられたわけだな。そういえば、ネムのところにあるランボルギーニって……」


 ネムは肩を竦めた。


「海外に行くことになって要らないからと、祖父の家に駐車場が余っていたから寄越してきたの。高級車だから車検も保険も馬鹿にならないわ。燃費も悪いし」


 車の保険も病院持ちなのだろうか。

 ネムの場合は、完全に譲り受けたらしいので負担しているらしいが。


「車種ごとに保険料も違うからな」


 幼馴染と超高級車の組み合わせはぴったりだ。

 経緯はさておき、絵になる。


 本国の五倍ぐらいの騒音を立てて地下鉄が停車して乗り込む。

 席はガラガラで、進みだした地下鉄に揺られながら隣に座ったネムを向く。


「ネム。オレさ、国際免許も取得済みなんだぜ。今後来るであろう課外活動のフィールドワークでは、オレのドライビングに期待してくれよな!」


「――そういえば、ルヴの車に乗ったことあったかしら」


 どんと任せろ、と胸を叩いておく。


「本国の曲がりくねった細い山道で鍛えたんだ。こんなだだっ広い道路なんて楽勝だって」









 地下鉄から降りて地上に出ると、赤い煉瓦の壁がレトロなこじんまりとした駅舎だ。駅を出た先に、駅のサイズにぴったりのロータリーがあり、タクシーや車が数台止まっていた。そこから放射線状に道があり、そのうち、背の高い街路樹が奥までずらりと植わっている、閑静な煉瓦敷の歩道を歩いていく。


 先導するネムの背中に、頭上から降りてくる木漏れ日に気づいて見上げた。


「……樹冠の譲り合い、だな」


 頭上に黄色い葉が、太陽を受けて黄金に輝きながら天蓋を作っている。

 触れあいそうな木々の葉は、しかしほとんど重なり合わない。


 天上は黄金の庇になっており、地面には落葉した黄色い絨毯が敷かれている。

 落葉広葉樹だ。


 鮮やかな黄色の落葉を愛用のスニーカーのつま先でかき分ける。神殿の柱のような街路樹の幹を、乾燥した荒々しい風は生き物のように駆け抜けていく。巻き上がる落葉が渦を巻く。裏起毛のパーカーのみだとほんの少し寒い。


「秋だなって感じ」

「銀杏並木の入学ね」


 入学の季節と言えば春で、淡紅色の並木が本国の定番なのだが。

 異国味を感じる。


 ネムに促されてアパートを探す。最寄り駅から徒歩10分だというアパートの目印は庭に植わっているという古い柳だという。戸建ての家が並ぶ閑静な住宅街が広がる一角にそれはあった――常緑の柳の葉が風に揺れている。


「柳……」


 柳の葉が風に合わせて庭に芝生のすれすれで掠めていく。

 そこは大きな白い壁の建物だった。


 辺りを――白いふわふわとしたものが漂っている。幻想的で、ルヴィは一瞬、楽園に踏み込んだかに思った。


「……綿毛だわ」


 幼馴染の少女ネムがそっと呟き、優れた動体視力により、捕まえたものをしげしげと見つめた。それは蒲公英の綿毛だった。


「……天使の羽が漂ってるのかと思ったぜ」


 ネムは小さく笑い、手のひらの綿毛に息を吹きかけた。

 ほかの綿毛と混じりながら、大きな建物の方へと飛んでいった。


 印象的な、庭に古い柳のある建物へ。


 芝生を踏まないよう、荷物を持ち上げて玄関扉でキーを入力すると、電子鍵が開く音がした。ドアノブを回すと入ってすぐ左手の管理人室の窓口で、白髪の上品な老婦人が立ち上がった。


「ようこそ、ウェーピング・ウィローへ。私はマリエ・アガタ。このレジデンスの管理をしているわ。今日から入居する子たちね」


 調光の入った眼鏡を取り、目を細められる。

 ルヴィよりももう一段暗い茶色の瞳と目が合った。


「ルヴィアス・キングサリです」

「ネム・ズマです」


 初対面の挨拶はその国の様式がある。

 本国ではお辞儀だが、アクイレギアでは握手だ。


 痩せた手のひらは不思議と温度を感じない。

 握手を交わして離れる際に、鼻腔がすっきりするようなハーブの香りがした。


「こうして会えて嬉しいわ。私は、入居者の子たちからは『マザー』や『マザーマリエ』と呼ばれているの。好きに呼んでちょうだい」


 背筋は伸びていて、年を感じさせない。

 目じりには品の良いい柔らかな微笑の形に皺が刻まれていた。


「慣れない土地で疲れたでしょう? 特にあなた、とても疲れた顔をしているわ」


「実は、今朝から歩き回ってへとへとで……」

「……勝手に行って迷うからだわ」


 ネムが呆れたように小声で呟いた。

 それが聞こえたのか、老婦人は笑った。


「大冒険だったようね」


 笑いを収めた老婦人は彼女自身の雰囲気によくあった、花のような色彩のルージュを引いた唇を引いてほほ笑むと、両手を広げた。それぞれの手のひらに鍵が乗っていた。


「さあ、部屋の鍵をどうぞ」


 渡されたのは301号室の鍵が二つ。

 二人用の部屋だという。3階の角部屋だ。


「部屋までは階段が一つだけ。貨物用の昇降機はあるのだけれど、管理人室でしか操作できないの。私は大概ここにいるけれど、席を外しているときは不在札を掲げているわ。緊急連絡先はこれよ。何か用があれば、気兼ねせず連絡をして頂戴ね」


 管理人室の窓際のプレートに電話番号が書かれている。


「昇降機はこちらよ。と言っても電力式ではないの」


 管理室は小上がりになっていて、管理室から出てきた老婦人は低い目線になった。背筋が伸びているので、横に並ぶまで小柄なことに気づかない。


「重量がゼロになると、自動的に階下に戻って来るの。停電していても使えるのが利点ね」


 しかし、老婦人が知る限り、この街で停電が起きたことはないという。

 これは外つ国にしては珍しいことらしい。


 ……周辺の立派な戸建ての建物を見るにつけ、富裕層の住宅街なのだろう。


 もちろん、リグナムバイタの中心地とまでは比較するべくもないが。

 普通に一等地だろう。


「さあ、どうぞ」


 階段の壁の一部を引くと、ルヴィの胸辺りまでの高さで、幅と奥行きは冷蔵庫程なら入りそうなスペースが現れた。言われるままスーツケースを二つ乗せると、引き戸になっていた壁を閉めた。まるで絡繰り屋敷の隠し扉だ。


「イクシオリリオン純系時代の技術を取り入れているの。面白い仕掛けは他にもあるわ。こんなに趣のある建物を受け継いで管理を携われることは私にとって誇りね」


 釘を使わない造りになっているという。

 まじまじと引き戸があった箇所を見つめる。


「本国でもこんな絡繰りは滅多に見かけません。文化遺産並みじゃないですか」


 絡繰り屋敷でも、この大きさの昇降機はなかった。

 異国の地で、本国でも廃れた伝統の建築技術が現役で稼働しているのを目の当たりにして感動した。 


「そう言ってもらえると、とても嬉しいわ。私は、これから管理室で操作して、荷物を上にあげるから、あなたたちは先にお部屋へ上がってね」


 老婦人は背を向けかけたが、思い出したように振り返り、説明を付け加えた。


「あと――実は、もうひとり管理人がいるの」


 老婦人は口許に指を立ててほほ笑んだ。


「彼女はこのレジデンスの管理業務とは他に、近くで雑貨店も営んでいるの。こちらに来る機会はあまりないかもしれないけれど、もしこの管理室にいるのを見つけたら不審者ではないってことだけ分かっていてね。グレーの髪に緑の瞳、カカオ色の肌をしているキュートな女性よ」


 確かにこの大きなアパートを、老婦人一人で管理するのは難しいと思っていたので安心した。


「では――よい学生時代を」


 本国式に小さく手を振ってくれた。

 その右手の薬指には銀のリングがはめられていた。



 




 階段を上がると、小窓から裏の庭が見えた。

 黒い縁に切り取られたそれはまるで絵のようで、壁は白く、おそらく漆喰だ。


 2階は、人の気配がした。ポッドで湯が沸騰する音や足音が聞こえてきたが、話し声はしない。マリエ曰く、2階フロアは一人用の部屋だというから、そのせいかもしれない。3階にたどり着くと、しんとしていた。3階フロアで入居者はルヴィたちだけだという。


 突き当りの扉の鍵を開けると、日陰の中を進むような廊下があった。

 左右に扉がついており、その先に、広い共有区画の窓があった。


 電気をつけるまでもない。

 大きな窓のカーテンを開けると、部屋が明るくなった。

 家具付きのリビングは、ソファもカバーがかかっており、テレビすらあった。


「荷物も来たわ。二つとも下ろして扉を閉めたら、下に戻ったようなの。すごいわよね? ……あら、ルヴ。すごく疲れたのね」


 ルヴィはリビングのソファに早速全身を預けていた。

 顔を上げることすらできない。


「…………あ、荷物、ありがと」

「どういたしまして。わたし、一度ホテルに戻ったの。そちらの方がカレッジよりも近かったから。でも見当たらなくて、やっとそちらに向かったの。だからかしら? ルヴは一時間ぐらい彷徨ったのではない?」


 心配そうに、ソファの傍に膝をついて見上げて来る。

 額に手を当ててきて、熱を測ってくれるようだ。


 歩き疲れもある。

 しかしそれ以上に。 


「気疲れかなー。迷って、警察のおじさんに道を教えてもらったり、通行人に東洋人だからって因縁つけられたり、犬に追い回されたり、ホームレスに集られたり、カレッジのガードマンに通行止めくらったり、助けてくれた美形の修羅場にかち合ったり。マザーマリエの言う通りで、大冒険だぜ………ネムがいない間にさー」


 そう言いながら、いつの間にか眠ってしまった。

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