04 管理人
手を出して窓越しにそれぞれと握手する。
鼻孔の奥がすっきりするようなハーブの香りがした。
「無事に会えて嬉しいわ。私は、入居者の子たちからは『マザー』や『マザーマリエ』と呼ばれているの。好きに呼んでちょうだい」
入居者と管理人という立場だが、さっそく母国にはない親密な距離感。学生限定と聞いていたから、きっと普通の賃貸物件とは異なり、寮母のような役目も担うのかもしれない。
「空港からは何で移動したの? 混んでいたのではないかしら。入学する学生たちがこの時期になるとやってくるものだから」
本国では四月入学、いわゆる春入学が主だ。
対して、外つ国では、九月入学である秋入学が主流。
「空港鉄道で来ました。人は……こんなものなのかと」
「大都市だからかなって」
ネムと顔を見合わせる。しかし言われてみると、コンコースで入り乱れた同じ飛行機から降りた乗客たちは、一人一人が大きなスーツケースを抱えていたのを思い出す。年齢も、外つ国の人のは読み取り辛いが、親世代ほどに離れている感覚はなかった。あれは、学生だったのかもしれない。
「そういえば、あなたたちはイクシオリリオンでも首都に近い場所に住んでいたのだったかしら」
「新幹線で1時間半ってとこです」
「なら人混みには慣れているわね」
老婦人は微笑んだ。
新幹線で1時間以上というと、ちょっと離れている気がする。
がんばっても首都圏にはぎりぎり入れてもらえないだろう。
「ほどほどに」
否定するのもなんだと、言葉を濁す。
「はじめてのマグワートは、ご期待に添えたかしら?」
すっかり都会っ子として見られてしまったようだ。
本物の都会出身の人にぶん殴られそうだ。
あそこは、プライドがサガルマータ級なので……。
「飛行機は初めてで……もったいないことですれけど、ホテルで寝込んでました」
「まあまあ。よくあることよ。日付と時刻を見ると、妙な感覚でしょう」
時差が14時間あり、フライトも13時間ある。
つまり、出発した時間と到着した時間がほとんど変わらないのだ。
なんなら1時間早いまである。
「時差ボケもあるんですけど………」
「入国審査ね?」
すべて分かっていたように、マリエが言葉をその先を言ってくれた。
「さすがに出るのに2時間もかかるとは思わなかったです」
「愛想もない、尋問のようでしょう?」
「はい………」
メンタルをゴリゴリに削られたのを思い出す。
「ここの入国検査は、評判の悪さで有名なの。だから、これからはほとんどどの国に行っても耐性がつくわ」
ここがほとんど最低ラインなのか……。
自虐をジョークとして入れてくるあたり、品の良い貴婦人に見えて、アクイレギアンなのだ。いい意味で、親近感を覚えた。
「それなら経験した甲斐がありました」
トラウマものだったので、里帰りもホイホイしたくない。
里心がつく予防線ができたと思えばいい経験だ。
それに、ルヴィのやりたいことだと、ほかの外つ国にも今後多々行く予定だ。
「マザー……は、わたしたちのことが何でもわかるようです」
ネムが不思議そうに目を瞬かせる。
そのたびに、長い睫毛がきらきらと光を反射させる。
「ふふ。伊達に74年も生きていませんからね。それに、管理人として何十年も経験があるから、わかるの。大きな荷物を抱えた学生さんたちが、空港からここまでたどって来る道のりは、そんなにレパートリーがないから」
ネムが「ああ……」という顔をする。
「ホテルではゆっくり休めた? リグナムバイタの観光もしたのしから?」
「観光までは……」
ホテルでバタンキューだ。今回は空港鉄道からマグワートまで乗り換えなしで降りて、ホテルで一泊した。ごく普通のビジネスホテルの食事なしの素泊まりだが、ウェルカムフルーツが盛られていたので、それを今日の朝食にした。ちなみに、昨日の昼食と夕食を兼ねた内容はデリバリーのピザとコーラ。すきっ腹に重た過ぎたので、朝は軽くでちょうどよかった。
「昨日の今日だものね。今は興奮して元気でも、体は休養を必要としているわ」
老婦人が壁にかかっているボックスから鍵を二つ取り出す。
「さあ、部屋の鍵をどうぞ。部屋は3階よ。昇降機はないので、階段を使ってもらうことになるわ」
「承知しています」
ネムがうなずく。ルヴィの目からすると豪邸が立ち並んでいるとはいえ、住宅街なので、エレベーターがついているとは思いもしていない。しかし、よくよく考えてみると、確かに3階建ての建物に、エレベーターはついているものか。
「荷物は貨物用の昇降機があるから預かるわね。不便をかけるけれど……この建物は、イクシオリリオンの昔の建築技術を取り入れた価値のある建造物でもあるから、手を入れたくないの。でも、階段しかないから、元気な若い人向けと入居条件を銘打っているというのもあるわ」
「え? この建物、イクシオリリオンの技術が使われているんですか?」
「外の壁が白いのは、漆喰でしょうか?」
ネムが玄関扉に目を向ける。
ちなみに、漆喰はイクシオリリオンだけの技術ではない。
世界でも同じように使われている。
「例えば、今言ったような、貨物用の昇降機ね。これは『絡繰り式』なの」
「へえええ!」
『お茶くみ人形のようなものかしら』
アクイレギアの公用語であるエルム語で思いつかなかったのだろう。
母国語でネムが呟く。
そうだとすると、今からおよそ三百年前くらいの技術になる。
「管理室でしか操作が出来ないのだけれどね」
動力が電気でないあたり、ネムの予想はなかなかいい線なのかもしれない。
「重量がゼロになると、自動的に階下に戻って来るの。停電していても使えるのが利点ね。もっとも、私が知る限り、この町で停電が起きたためしはないけれど。こちらよ」
管理室は小上がりになっていたようだ。管理室から出てきて低い目線になった老婦人後ろをついて行くと、絨毯が敷かれた階段の横に、目立たない引き戸があった。小さなくぼみがありそれを横に引くと、冷蔵庫でも入りそうな空間があった。ルヴィとネムは荷物を入れた。重さが大丈夫か尋ねると、この程度であれば問題ないと返された。
「ここの建物はね、釘を出来るだけ使わなかったり、電気を用いないイクシオリリオン純系時代の技術を取り入れて作られたそうなの。力学を計算して作られたとか。面白い仕掛けは他にもあるわ。こんなに趣のある建物を受け継いで管理を携われることは私にとって誇りね」
この建物に強い思い入れがある様子がうかがえた。
「もしかして……どこかに隠し通路とか階段とかあったりするんですか?」
するところころと声を立てて老婦人は笑う。
そして指を立てて微笑む。
「それは秘密、ということにしましょう。興味を持ってくれて嬉しいわ。紹介したいことはたくさんあるけれど、まずはあなたたちのお部屋に行かないとね。これからたくさん時間はあるもの。暇なときにでも、私とおしゃべりをしに降りてきてくれると嬉しいわ」
二つのLサイズのスーツケースを入れ、引き戸を閉めると、老婦人は振り返り、来た方向を指さした。
「私は大概この管理室にいるけれど、席を外しているときは不在札を掲げているわ。何かあったときの緊急連絡先はこの番号にお願いね。各部屋には管理室に直通の電話を設置しているわ。それと……」
一度、言葉を切ってから老婦人は続けた。
「実は、もうひとり管理人がいるのだけれど、彼女はこのレジデンスの管理業務とは他に、近くで雑貨店も営んでいるの。こちらに来る機会はあまりないかもしれないけれど、もしこの管理室にいるのを見つけたら不審者ではないってことだけ分かっていてね。長い黒髪に緑の瞳、カカオ色の肌をしているキュートな女性よ」
この建物を、齢七十を超えた高齢女性が管理しきるのはかなり厳しいだろうと思っていたが、もう一人管理人がいると知ってほっとした。
「よい学生時代を」
本国式に小さく手を振ってくれた。
その右手の薬指には鈍い輝きの銀のリングがはめられていた。




