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黄金が降る  作者: 毎路
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105 明星

『……くれぐれも奴の背後には気をつけろよ、ヒーカン』


 ふと目を開けると、青いライトに照らされるデスクが見えた。体を起こし、首を振る。突っ伏して寝落ちてしまっていたらしい。時計を確認すると深夜2時半だった。


 施設内は地下にあり、蟻の巣のように通路が張り巡らされている。この部屋は防音設備はないが、それでもこの時間帯に職員の気配で目が覚めたということでもない。デスクを見下ろすと、資料や書類が崩れ、悲惨なことになっている。


 部屋を出てコーヒーを取りに行く。

 ドリップ音を聞きながら、欠伸をかみ殺していると、話し声が聞こえて来た。


「――おや、これはこれは。こんな時間までご苦労だね」

「どうも。ハン局長こそ、このような(・・・・・)時間まで詰めていらっしゃるのですか?」


 薄ら笑いは抜け目なく狡猾なピオニーらしい。なぜか数日前から臨時で首都にある本部からこのリグナムバイタに来ているという。ジャカランダ支部の上司が、エージェントのハッキング能力を使って収集させた情報としては、ある指示を境に待遇が一変し、首都アックスのFBI本部の局長にまで上り詰めた。かつての上司が蛇蝎のように嫌っている相手だという。


 接する限りは、それほど忌み嫌う相手には思えない。

 そんなヒーカンのことを見通してか、まるで忠告のように上司は告げた。


「そういえば………君はその能力を買われてリグナムバイタ支部にやって来たそうだね? 短期間の立件と事件解決までの対処は見事だったと聞いている」

「――いえ」

「アクイレギアンが謙遜かね?」


 この仕事で誇ることなどありはしない。 

 既に被害者がいる時点から始まる。

 真実、今回も長年追い求めていた事件とは何のかかわりもないものだった。


「その腕を見込んで、一つ頼みがあるんだが」

「……何でしょうか」


 ここはリグナムバイタ支局の本部だ。ヒーカンはジャカランダからリグナムバイタへ移動してきたばかりの新任。そしてこの男は、リグナムバイタのFBIとはゆかりもない、首都アックス本部の局長。


 リグナムバイタ支局長の頭を飛び越える指令は歓迎されるはずもない。

 警戒するヒーカンに対し、ハンはにこやかな相好を崩さない。


「少々、手違いがあってね。本来、世に出てはいけない薬物中毒者が野放しになっている。脱走を許したのはリグナムバイタの矯正施設からだ。意味は分かるね?」

「………リグナムバイタで、いまだ一度も脱走者を出したことがないあの?」


 それはまさにこの業界での醜聞といってよかった。


 しかしそれについて言及するのはこの得体のしれない男だ。つい此間まで民間の弁護士だったところを、異例の抜擢だったという。この業界の未経験者、法学には強いだろうが、いきなりすべてのFBIを統括する局長にヘッドハンティングされるなど前代未聞だ。それだけ有能とみるか、おかしいと見るか。少なくとも後者が圧倒的多数のようだが、この得体のしれない男は、まがいなりにも新局長だ。


「そうだ。我が国の犯罪抑制施設に対する権威が揺らぐ一大事だ」

「よく、ご存じで」

「弁護士時代、私が担当した案件でもあるからね……ところが、この件は本来我々の管轄にはない」


 おそらくその脱走者がリグナムバイタの人間で、州を跨ぐ犯罪ではないからだろう。


「彼は重大な犯罪者だ。多くの女学生に暴行を働き、薬物を乱用して暴力的で虚言癖もある。どうか単独で極秘任務に就いてくれないか」


 普段であれば、一もにもなく頷くところだ。しかし、今ヒーカンは前のジャカランダの上司命令で動いている任務がある。それだけではなく、秘かにヒーカン自身が進めている捜査もあり、これ以上はキャパオーバーだ。


「…………ボスの許可なしには」

「私が許可しよう。ザハ支局長には伝えておく」


 新しい上司の名前を出され、思わず眉間にしわが寄る。

 流れが明らかに不自然だ。


「失礼ですが、何故そこまで?」

「彼が私の同胞で、彼の両親からも頼まれた未来ある若者だからだよ。新たな罪を重ねてほしくない」


 それは取ってつけたような小奇麗な言葉だった。

 あまりにも浮いていた。


「どうしたのかね? 今、君はフリーだと聞いているが」


 自然に瞬くよう心掛け、頷いた。


「謹んでお受けします。ただ、まだ新しい環境になれないため、」

「ああ。いいよ。頭に留めておいてくれるだけで――今はね」


 定型的な返事をやや食い気味に頷いたFBIのトップは、データだという記憶チップを寄越してくると、付き人のように従う部下の耳打ちに「それでは失礼するよ」とヒーカンに笑いかけ、通路の角に消えていく。


『奴があの地位につくのは明らかに不自然だ。絶対に何か裏があるはず』

「――見ないことには始まらない、か」


 今日も借りたホテルには戻らないのだろう。

 紙コップを呷って、握りつぶしトラッシュボックスに突っ込んだ。





 与えられた調査室に戻り、パソコンに記憶チップを突っ込んだとき、通知が来ていることに気づいた。


「………なんだ?」


 クリックして開くと、一面に暗い空が広がった。


『ヒーカン、ほらみて。とっても……きれいね』

「―――――」


 マウスを握る手が硬直したのと同時に、画面にノイズが走り、暗転する。 

 我に返り、マウスをクリックしたり、電源を押したりするが反応しない。


「チップは!」


 慌てて差込口に触れるが、ピクリとも動かない。

 いや、逆なのか。


「――やられた」


『気をつけろよ、ヒーカン』


 前の上司の言葉が再び耳に蘇る。


 背もたれに体を預けると、寝不足の脳がじんと痺れた。おそらくこのパソコンにあったデータはすべて駄目になっただろう。あの少年と少女の携帯に忍ばせた追跡プログラムのコピーも失われたことになる。……回復の手立てはある。オリジナルのプログラムをリグナムバイタの情報部に取られたのだが、それを再びハッキングして複製させればいい。ただ、リスクはある。相手は同業、同レベルの技術を持っていると見るなら。


「動くのは慎重にしなければな」


 目元にやった手を下し、うんともすんとも言わないパソコンを見下ろす。

 なにやら、目をつけられたらしい。


 もらったチップが原因か、それとも開いたメッセージが原因か。

 目元を押さえると、眠りそうになるので、片手で携帯を取ると、そこにもまた通知が来ていた。

 例の、少年からだ。


「……………頼み事?」


 内容を読み進めて、どんどん思考回路がおかしくなっていくのを感じた。睡眠と休息が必要だ。観念して施設を出、借りているホテルの一室に数日ぶりに戻る。上着をベッドに放り、バルコニーに出て、もう一度メールの内容を眺めた。


「…………願ってもないチャンスだな……」


 どれだけその内容が荒唐無稽であっても、頷かない手はない。

 追跡と盗聴のプログラムを失った途端に、その相手から連絡が来た。

 僥倖といっていい。


 了承の連絡をし、早急に都合の良い日にちを尋ねる。

 相手は、多忙な大学院生だ。

 こちらが出向くのがいいだろう。


 一通りの連絡をしたところで、息をつくと白い呼気が顔に当たった。

 煩わしくて顔を上げると、空が僅かに白んできた。


 パソコンが途切れる前に広がった空に似ている。


『あれよ、ヒーカン』


 夜明けの星の名は何だったか。

 遠い記憶の中で姉が教えてくれた。


 この疑問を解消したいのではない。ただ姉の言葉で聞きたかった。


 ――この空の、僅かにも照らされない闇の中に、きっと姉がいる。





*****




 重大な失態だ。結果を出せないままならば、挿げ替えても構わない。据えたばかりの男に資質が足りなかったと辞任させればいいだけの話だ。そう伝えれば、やっと意図が伝わったらしい。


「取り立てるに当たっての条件が崩れたのだから、その足元から崩れることが分からないのは今から処理しても何ら瑕疵のある決断だとは思いませんけれどね」


 通信用の画面をしまう家令がその老獪な面に冷笑を纏わせる。


「そう述べるといい――下がれ」

「では。本日はこれでお暇申し上げます」


 脇にディスプレイを抱えた家令は奥に消え、レギナンドは紙袋を掴み、プライベートスペースに上がった。硝子張りのワークスペースとしてのフロアから広がる夜景は途切れ、大理石の床に間接照明が反射する。エスカレーターからフロアに降りると、自動で明かりが灯った。


 生態認証で扉を開け、自室に向かう。

 書斎机に追加の処方薬が入った紙袋を置き、窓際のソファに腰を下ろす。


 サイドテーブルには、錠剤が転がり、水差しは新しいものに替えられている。すっかり薬物中毒者のような有様だ。


 なぜ、役職を与えるにあたっての功績が無に帰すものになったのに、その首を切らないのか。それはその者が寄越してきた材料の中に、有益なものが他にあったからだ。そしてそれをレギナンドは誰にも打ち明けていない。最も近くでレギナンドを批評する、家令にも、決して。


 携帯を生体認証でロックを解除し、さらに16桁のコードを入力し、その追跡ツールを開く。すると、二名の人物の現在地が分かる。捜査の一環としての資料の中にあったもので、このツールの出元も既に把握している。いち捜査官のパソコンからだ。


 これがレギナンドにとって有用だったから。

 だから、猶予を与えた。

 それだけだ。



 ……あの広大なカレッジでは、手掛かりもなしに出くわすことは難しい。

 図書館で彼女が一人になったことに驚き慌てて駆けつけたのは、偶然ではない。


 彼女の動きも、そしてあの少年の動きもレギナンドの手の中にある。






 自室を出て、向かいの扉を開く。そこはあの日を境にレギナンドの領域ではなくなった。あの時のまま。廊下から、一歩も室内に踏み出すことなく目を閉じると、驚いたような彼女の顔が浮かび、焦燥と頭の奥の鈍い痛みが遠ざかった。目を開ければ、そこには誰もいない寒々しい部屋があり、忌々しい事実を思い起こさせた。


「………誰が逃がし、保護している?」


 虚空に向かい、レギナンドは首を傾げ、あの薄暗い評議会(カウンシル)に座した老体たちを見た。ひとり、ふたり……とその網膜に焼き付いた、暗闇に紛れる人影。虎視眈々とレギナンドが座している椅子を狙う、老獪たちを数えた。


「タグを外すという発想があるとは思えない」


 老父と同じ、古めかしい時代の人間たちだ。収容される際に埋め込まれる生体チップの機能を停止させ、数々の防犯カメラの死角を突き、逃亡させ、今もなお見つからないよう匿うという手間をわざわざするのならば、それは実行するものと間に指令役が入っている。狭い世界だ。


 警察は枝葉のような実行役から大本をたどるが、レギナンドはその逆ができる。


「また………」


 彼女がこの部屋へ来る未来は、思い描けない。


 口元を押さえ、フラッシュバックしたあの長方形の切り抜きに埋め尽くされる。膝から崩れ落ち、レギナンドは懐に忍ばせていた錠剤を取り出して飲み下した。――許さない、許せない、認めたくない、忘れたい、消したい、無かったことに。


 ……しばらくして呼吸が楽になった。

 視野は等しく色褪せ、すべての物事が遠ざかった。


 手を開くと、錠剤の殻を握り込んで血が出た手のひらがあった。


 この血は呪われている。

 明けの明星――輝く模倣体。

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