取り敢えず顔を見せます
左腕から血が、流れる。
それを右手で抑える。
これをまた自分の簡単にしか出来ない回復魔法で塞いでしまうと、また消えない傷になってしまう。
マグリット自身。そんな事を気にしている訳では無いが、貴族に戻る覚悟を決めた身としてはこれ以上、傷を増やすべきでは無い事はわかっている。
簡単だ。
転移が使えるのだから、医者に掛かるのなど造作も無い。
深夜帯とは言えギルドはやっているし、ギルドと医療は密接だ。腕の良い医者であろうとも捕まるであろう。
けれど、何故か。
今世では、どうも戦闘をした後の高揚感であったり、剣呑さであったり、まだ足りないと暴力的な感情の制御が上手くいかない。
はぁ、と大きな溜息を吐く。
今までこんな事無かったのに、と。別の意味で疲れる。
こう言った感情は抑え込むのに、些か労力がいる。
かと言って、発散する為だけに人知れず、魔物を狩り尽くすなんて事はしたくない。
「あぁ・・・・・・」
感情の制御が上手くいかない理由にやっと、合点がいく。
まだ前回の仕事が、身体に染み付いているのか、と。
マグリットにとって、前回九回目の人生はまだ三年前でも無い。
今回の十回目では、最初のうちは手応えの無い魔物ばかりを相手にしていた事もあり、気付かなかった。
しかしSランク昇格後、なかなかに厳しい戦いを強いられる事も少なくは無かった。
Sランクにまで上り詰めたのも今回が初めて、というのもあるのだろうが。
どうやって消化しようかと悩む。
この後行きたい所がある為、以前はどうしてたかなと、思案しながら剣に付いた血を振り払う。
ーーーーーーーーーーー
振り返った瞬間。
「ご機嫌よう、お兄様。」
一人だと思っていた部屋、いや先程までは確実に一人であった部屋で突然声を掛けられて、飛び上がる程に驚く。
「ま、ま、マグリット!」
吃ってしまうのも仕方が無いと思う。
確実に気配など無かった。
アレクとて騎士の端くれだ。
それ位は、わかる。
つまりはマグリットは、いきなり現れたという事。
「連絡をするという約束通り、顔を見せに来ましたわ。」
アレクが驚いたのなんて何のその、何も無かったかのようにローブを着たマグリットが腕を組んで壁に寄り掛かっている。
「ど、どうやって・・・・・・」
敢えて何も言わずに、微笑み返す。
笑っているのに、何故かゾクっと寒気が走る。
「言う気は無いって事だね。
それより、何か、あったのかい?」
雰囲気が・・・と呟く。
物騒な気配は結構落ち着いてから来たつもりなのだが、まさか気付かれるとは。流石は第一騎士団副隊長、といったところか。
「・・・・・・何も?」
そう別に、大した事は無かった。
酷薄な笑みに、なってしまったかもしれない。
マグリットの顔を見ていたアレクの顔が、引き攣っているのがその証拠だ。
「詳しくは聞かないけれど、約束だからね。
でも、もう少し頻繁に顔を見せてくれても良いんじゃない?」
問い質した所で無駄だと、悟っているのか、諦めているのか。
「頻繁?
お兄様が言う頻繁とは、どれくらいですか?」
そうだねー、と顎に手を当てて考える。
頻繁とは言うが、出て行ってから二週間と経っていない。
マグリット的には休み期間など、限られているのだからわざわざ来る必要性も感じてはいないのだが、留守にする為の約束だからこそこうして顔を出したに過ぎない。
「何だか簡単に来れそうだから、二、三日に一度くらいでも良いんじゃない?」
その台詞に、思わずゲンナリした顔を向けてしまう。
「何だか、表情が豊かになったね。」
これは豊かになったというよりも、貴族令嬢としての仮面が剥がれているだけだ。
「市井では貴族のように、表情を取り繕っている方が浮きますから。」
「随分と、市井に馴染んでるんだね。」
少しだけ、寂しさを滲ます。
だがマグリットは、何も答えられない。
貴族としての生き方を忘れた訳では無いし、忘れられない程の教育も施された。
当然貴族としてのプライド、矜持だって、ある。
けれど何度もやり直す内に、気付けば市井で過ごす年月の方が長くなっていた。
本当の市民のように、何処かに雇われながら毎日コツコツと働いていた事は、正直の所一度も無いのだが。
それでも民に紛れて民のように過ごした日々は、もう貴族社会で腹の探り合いをしていた期間よりも断然長い。
市井らしい表情も、出来上がるというものだ。
繕う事は、忘れはしないけれど。今は別にする必要を感じない。
アレクには何となく見透かされているだろうから。
「こんなのは処世術のひとつですわ。
そんな事よりも、そんなに多く顔を見せるつもりはありません。」
転移がある為、簡単に帰っては来れるがそれを明言するつもりは無い。
「何故?」
逆に何故帰ってくるのが、当たり前かのような顔をするのか。
そんなに頻繁に帰って来れるのを見せつければ、屋敷に戻って来いと言われるのが目に見えるようである。
「忙しいので。」
即答する。
しかしアレクはよくわからなかったのか、キョトンとした顔をする。
「忙しい?」
何に?と声には出さずとも問い掛けしているのが分かる。
公爵令嬢が市井で忙しい?と本気で考えているらしい。
一年間だけとは言え、今世でも市井で暮らしているのだ。外での用事が出来てもおかしくはない。
貴族というものが、市井で普通に生活出来ないと思っているのだろうか。恐らくは生活していたであろうとは知っているが、実感として伴わない、といったところか。
貴族としてのマグリットの印象が。いや、もしかしたらやり直す前のマグリットの印象が強いのかもしれない。
確かにその印象であれば、きっと市井には染まりきれていないに違いないのだから。
「お兄様、あそこ。」
扉の方を指差して、アレクが後ろを向く。
「何だい?」
そう言いながら、扉の方まで歩いていく。
「顔は見せたので、帰りますね。」
えっ。と思い振り向いた先には、もう既にマグリットは居ない。
「いや、本当どうやって行き来してるの?」
流石に唖然としてしまう。
けれど。
「魔力の、残滓・・・・・・?」
マグリットは魔力の扱いに長けている。
つまりは魔法を行使しても、漏れ出る魔力は極少数。
それに気付ける時点で、アレクとて優秀だとしか言いようがないのだ。




